『私ね、オベロンのことが――、好きだったの』
「……シュ、マシュ!」
ハッと呼び声に視点を交わらせる。対面には、モルガンとハベトロットが心配げにマシュを見つめていた。どうやらかなり長い間、白昼夢していたようだ。折角の茶会の席で思考に耽るなど大変な失礼だ。慌てて、ぺこりと頭を下げて謝罪の言葉を紡ぐ。
「も、申し訳ありません!折角のお誘いの場で、歓談に参加もせず……失礼いたしました」
「マシュは固いなぁ~。そんなの気しないでおくれ!」
ほらほらマシュが好きそうなお菓子を取り寄せたんだ、いーっぱい食べてね。紅茶のお変わりはどう?僕的にはこの林檎の紅茶がおすすめなんだわ。と、ニコニコとハベトロット(ハベにゃん)は、マシュの気持ちを盛り上げようとする。温かい気遣いにマシュは薄く微笑んだ。ぎこちないその笑みに、ふうとモルガンが息を吐いて
「どうしました。マシュ」
「トネリコたら……折角僕が水に流したのに。蒸し返すのかい?」
「それではマシュの気が晴れぬでしょう。マシュ、ここには私達しかいません。貴女の想いを聞かせてください。何が貴女を悩ませるのです」
私にはもう妖精眼はないのです、貴女が教えてくれなければ何も分からない――と彼女は苦く笑うので。マシュは胸を熱くする。この二人は、正式なカルデアのサーヴァントであるが、マシュが繋いだ縁の先に位置する者たち。このカルデアにおいて、彼女をただのマシュとして見てくれている二人だった。
「私は――、私は先輩のお役に立てているでしょうか。最近は頼もしい方が随分と増えました。キャスターのアルトリアさんやモードレットさんのように防御に特化した方もいらっしゃいます。私はと言えば、以前のような出力は出せず、オペレーターに回ることもしばしばで。ブラックバレルがありますが、あれは私の力というより、技術チームの叡智です」
ぽつぽつと最近の自分の中の心の蟠りを吐露していく。
「マシュ。私の騎士。貴女が役に立たぬというならば、この地のサーヴァントは須らずゴミです」
「うわ。辛辣~。でも、僕も同意見かなぁ。あのね、マシュ。僕とトネリコの役割が違うように、マシュと僕らの役割も違うんだわ。マシュは、マスターのことをちゃーんと気遣ってあげているだろ。物理的に守るのも大切だけど、彼女の気持ちも守ってあげなくちゃいけないんだわ。それが出来るのは、マシュだけなんだって僕は思うけどね~」
同感です、とモルガンは優しい笑みを浮かべ、紅茶を手に取った。照れくさげにブルベリーのスコーンにクリームをディップするハベにゃん。受け取ったそのつやつやとしたお菓子は、陽光に煌めいてとても美味しそうだ。ほかほかと緩やかにあがる湯気と香り豊かな紅茶たち。それらに懺悔するようにマシュは瞳を一つ閉じる。
(お二人ならそう言ってくれると――そう思って、敢えて私は口にしました)
情けなくて、悔しくて、――涙が出そうになる。ダメだと思った。この二人に甘えては、私は彼に勝てない。
明くる日、マシュはミーティングルームで人を待っていた。
コンコンと軽やかに扉がノックされる。
「どうぞ! お待ちしていました……突然のお呼び立て申し訳ありません。今日は折り入って、皆さんにお願いがあります」
『ごめ、ごめんな、さい。痛い、ごめん。ごめんね』
オベロンはサンルーム(このような娯楽施設があることに驚くが、時々、カルデアの人間はこういったものに全力を注ぐきらいがある)で、ぼんやりとブランカの背を撫でていた。泣いたあの娘はどうしただろうか。あの後、マシュが現れて、どうしようもない怒りを一人闇の中で耐えた。
一日、二日と経てば、一時の感情の噴出として現れた怒りは正しく姿を変える。それは、悲しみだった。奈落の虫が娘一人を泣かせて凹んでいるなど知ったら、かの劇作家は手を叩いて喜んだであろう。我が息子よ、君は恋を知ったのだ――と。
(馬鹿馬鹿しい―。誰が誰に恋をしているって?あの娘が勝手に俺を好きになっただけだ。
とても正気の沙汰とは思えない。ああ、そうだった、あれはもう既に十二分に狂っているんだったな)
そもそも、そもそもだ。この身に振りかけられた呪いによって、自分の心すら真実が分からないというこの虫に、何を理解しろというのだ。今この瞬間、悲しむ心が真の心なのか、オベロン本人にすら知覚出来ないのだ。それは、――不幸だろう。あの娘の想いは永遠に報われない。これ以上、あの娘に何を背負わせると? このまま離れて、距離を置き、何もかも有耶無耶に。いっそこれを機に、呼ぶのではなかったと座に返してくれればいい。もう二度と呼ばれることはないだろう。
ああ、何もかも面倒だ――。
手元にあるブランカが気遣わしげに黒の瞳をじっと妖精王に注ぐ。オベロンは嗤った。これは影法師。あの国の白の王女ではない。この感情の機微はただの模倣だ。彼女ならそうしたであろうという動きをシミュレートしただけの残像。哀れな己を彼は嗤う。
どこまでも喜劇な王だな、と。
静かなサンルームにカンと金属音が響き渡る。入口より少女が歩み寄ってくる。黄金の稲穂の如き、波打つ長髪。青いリボンを身にまとって、彼女はオベロンの前に立つ。
「アルトリアか」
視線をくれもせず、オベロンは少女の名を呼んだ。
「随分と、しょぼくれていますね。オベロン」
ぎろりと鋭い蒼の瞳が睨み上げる。凹んでいようと無礼者に寛容を与える程、この妖精王は気安くは無い。そんな視線をものともせず、ふんと鼻息荒くアルトリアは跳ね返した。
「聞きましたよ。いえ、見ましたよ。貴方、立香を泣かせましたね」
「……」
「沈黙は肯定です。当初の予定では、マスターを泣かせた貴方をタコ殴りにしてやろうと思っていましたが、辞めました。今の貴方を見れば、誰だって同情は……うん、そうですね。ほんのちょっぴり一部方々が同情してくれるでしょう」
「それ喜ぶリアクション取ったほうがいいやつ?」
「いえ……こほん。こういう時は私にお任せをと言いたいところですが、流石に経験値が足りません。こういうのは決まっています、年の功と!」
~転換~
「で? 儂のところに来たと」
ぐでんと丸きりやる気を見せない妖精王を引きずって、アルトリアは全力の笑顔で答えた。
「はい! こういう時こそ、貴方の出番では? 人間として長生きしたんでしょう。ほらほらほら、知恵袋的な、経験者は語るってやつをですね。一つ、この捻くれものに教示してあげてくださいよ」
「いらねー!」
妖精王の抗議はぎゅっと彼の首を絞めて、黙殺した。ぐえと虫が息に喘ぐ。
(こんな扱いを受けても何もしないつーのは、本当に凹んでやがんのか? それともこのお転婆娘だから許してんのかねぇ)
おっとこれ以上は妖精眼の目に余る。ふーっ、仕事道具を鍛冶場において、囲炉裏に上がった。此処は色々と揃っていて、生前のたたら場のような居心地の良さだ。ゆっくりと煎茶を注ぎ、アルトリアとオベロンの前に置く。アルトリアは慣れぬ畳に右往左往しながら横座りで座布団に腰かける。一方、オベロンはしぶしぶと胡坐をかいて、誂えられた座布団に座った。
なにこれクッション? いえ、ザブトンですよ、ZABUTON。
ブリテンジョークか? 村正は笑いを口の中の頬の肉を嚙むことで堪えた。これ以上場をややこしくするな。話が進まない。
「そんでぇ、お前さんは結局どうしたい」
「はぁ~、別に~なんでもいいんじゃないの~」
これですよとアルトリアが胡乱気にオベロンを見やって、キリッと村正を見る。期待の眼差しを感じるが、言うて、自分はただの鍛冶師である。話し上手な波止場の店主でなし。ましてや恋の切った張ったの吉野の楼主でもあるまい。
「そうかい。じゃあ、この儂があのおぼこい嬢ちゃんを女にしても文句は言わねーな」
「は?」
ぴりっと空気が帯電するが分かった。あれ? これ私が聞いていいやつですかね、とアルトリアは話の雲行きの怪しさに目をぐるぐるさせ始めた。
「なんでいきなりそういう話になるんだよ」
「いきなりじゃねーよ。小耳に挟んだ話だがな。あの嬢ちゃんの精神に揺らぎがあることは分かってんだよ、カルデアの連中さんもよ。だから、王道っちゃー王道だがな。恋や愛ってのは人を強くする。幸いなことにここにはそれなりの人格者が揃っている。マスターを篭絡する連中は論外だが、適度に息抜きさせてやるっていう大人連中からそれなりに好ましいのを宛がうのもありじゃねーかと」
「ふっざけんな!!」
パリンと湯呑が握りつぶされた。ぼたぼたと湯が彼の右手を濡らしているが、構わなかった。
「どこまで道具扱いすれば気が済むんだ。あいつはもう何もかも差し出した……命も、心も! これ以上何を奪うっていうだ!」
轟轟と彼の全身から憎悪の風が吹きすさぶ。嵐だ。黒い嵐が囲炉裏内を覆い始めた。
「ちょ、オベロン!落ち着いてくださいよ! あなた極端すぎません!? 振り切れかたぁ!」
情緒不安定か、杖を掲げ、防御姿勢に入ったアルトリアに対して、村正は静かに坐したままオベロンをひたと見つめた。
「なら、てめーで守れ」
ぐっとオベロンは眉を顰める。それが、それが出来たら苦労していない――!
すっと手前の湯呑を持って、村正は視線を中の緑に落とした。斬り結ぶ刃の如き、視線から外され、オベロンの怒りは徐々に縮小していく。
「お前さん、改めて思うがよ。お利口さんすぎやしないか」
「「え」」
異口同音にアルトリアとオベロンが豆鉄砲を食らった鳩のような顔をした。この表現は村正にしか分からないので、妖精眼で見られても何も問題ない。アルトリアなど見られているのを承知の上、これが?こいつが~??と異常者を見る眼付きだ。
やめろ、妖精王だって傷つくんだぞ。(嘘だけど)
「お利口さんに呪われた妖精王とやらをやってんじゃねーか」
「!」
「だらけてやる気をなくすのもお前さんの勝手だ。生まれの――謂れのままに妖精王とやらをやってればいい。だがな、ひとつ、忘れちまってんだったら思い出せてやるよ。もうお前さんの役目は終わってんだ。今度は好きに役者やりゃーいいんだよ、三枚目」