I’m always with you ~Day 4~

そこは白い建物がひとつと後は一面のグリーン。青々と生えた芝生が草の香りを放っている。
「だから、何も無いって言ったじゃ無いか」
呆れたように青年は言葉を吐き捨てる。花があると言っても、花壇に少々申し訳程度にピンクの花、ペチュニアがある程度。後は野生の名も無き白い花がちらほら。とてもでは無いが、人が好んでくるような場所では無い。――のだが。
「さ、最高~~~!」
きゃあと黄色い悲鳴を上げて、少女が駆けだした。あんぐりと青年の口が開く。とことん青年の予想とはかけ離れた反応をする少女だった。誰も居ない芝生の上を子犬のように走り回り、挙げ句の果てにスライディングして寝転んだ。
「はー、地球だー」
「凄いな。大地があるだけで喜べるなんて、随分とエコでいいじゃないか」
じろりと地面の下から不満げな視線が飛んでくる。
「当たり前のことは当たり前じゃないんだよ」
「ご高説どうも。ほら、シート敷くからいい加減立ちなって」
バサリと青と白のストライプのシートがグリーンの上に広がった。よすよすと芋虫のような動きで少女は靴を脱いでシートの上に移動。細長いポスター筒から折りたたみの金属を取り出した。
「うわ、何が入っているのかと思えば」
「じゃーん☆ ぱらそるぅー」
大昔に流行ったというアニメキャラのような口調で立香が金属を広げると、白い布がばさりと空に伸びた。その柄を遠慮の無い力でグサリと地面に突き刺せば、あら素敵。快適なピクニックスタイルの完成だ。ご丁寧に籠のバスケットまである。その籠の上部にある布を捲れば、パンと魔法瓶。
「オーソドックスだけど、シンプルにサンドイッチにしました。召し上がれ!」
「……いただきます」
普段、料理は青年の担当のため、他人の手料理は随分と久しぶりだ。恐る恐るとバターで焼き目のついたサンドに齧り付く。
「……」
「どう、かな」
最初の自信ありげな様子から一転して不安そうな表情の少女を他所に、青年は無言で二口目に取りかかった。
(悔しいけど、)
「……美味しい」
イエーイ!とピースサインをする少女に嫌みを一つ。
「人は見かけによらないものだね。料理が出来るようには思えなかったよ」
「キッチンで鍛えられたからねー」
(レストランでアルバイトとかしてたんだろうか)
青年に続いて少女も大きな口でサンドに歯を立てた。それからの二人は無言でもぐもぐと口を動かし、――最期の一欠片を胃の中に。お腹が満たされたところで、少女が「んー!」と大きく背伸びをし、そのまま後ろ手に倒れた。
「気持ちいいよー?」
あまりそういった体験の無い青年は些か戸惑う仕草を見せたが、午睡の微睡みに抗えず、同じようにシートの上に仰向けになる。パラソルが厳しい日光を遮り、海から吹き上げる風が清涼さを届ける。流石に潮騒は聞こえないが、遠く海鳥の鳴く声が聞こえた。
(――静かだな)
何も無い。誰も居ない。世界に二人きりのような錯覚。美しい青空を眺めていると、ふいに横から少女が話しかけてきた。
「ねえ、将来、この街から出て行きたいとかある?」
「……特に、考えては無いかな」
「ふーん、将来の夢とか無いの?」
「無いね。一応、英語を専攻してるから翻訳家志望だけど」
「あ、そうなんだ。生まれは外国?」
「そう。でも、殆ど記憶に無いよ。だから、戻る気も無いし」
(そもそも、何処で生まれたのかもよく知らないしな)
そっかぁと気の抜けた声が返ってくる。軽んじられた訳では無いのだろうが、些か返答が気に入らず、青年は口をへの字にしながら訪ね返した。
「そういうきみは?」
「……」
流れた沈黙に、青年はしまったと顔を青ざめる。これまで、相手の事情には踏み込まないようにしていたのに。つい口が滑ってしまった。数秒の沈黙の後、彼女は唇を開いた。
「皆の幸せ、かなぁ」
青年の眉が顰められる。
「それはそれは、大層な聖人君子なようで」
違う違うと少女が苦笑いをする。少女の振る手に釣られて、顔を横に倒した。視線を感じたのか、黄金色の瞳が白い肌の向こうから昇ってくる。パラソルの小さな木陰の中で、二人の視線が交差した。
「分かんなくなっちゃったんだよね」
「分からない?」
うんと秘密を話すように少女が密やかに頷いた。
「だから、大切な人達がいるこの世界が平和であればいいなっていうのが私の願い」
「……そんなの」
(寂しいじゃないか)
ほんの少し手を伸ばせば、彼女に振られる距離で青年は言葉を詰まらせていた。怖かった。きっと手を伸ばせばもう引き返せないと、そういう予感がしていた。瞬きの間の迷いを少女の蜂蜜色の瞳は見逃さない。ふいに少女の視線が外され、再び青空へと固定される。
「り」
「何時か――」
呼びかけた名前は遮られる。
「何時か、きみと、アルトリアとブランカにもこの広い世界を旅してほしい」
お腹の上で組まれた両手と真っ直ぐ空に注がれる視線。まるで、祈りを捧げる聖者のように彼女は青い空を見上げていた。

「きみのことを教えて」
青年は決してこちらを振り向かない少女の横顔を見つめながら、最後の扉に手をかける。少女の瞼がゆっくりと下りて、琥珀の瞳を覆い隠した。
「明日、私が居る場所に案内してあげる」
素敵な植物園があるんだよ、と弾む彼女の声に青年もまた瞳を閉じた。

(ずっと、ずっとこの声を聞いていたいのに。どうしてこんなに瞼が重いのか)
夕暮れが二人の頬を焼くまで青年の瞳は閉じたまま、静かに時は流れていった。