I’m always with you ~Day 3~

差し出された紙を見て、彼女は酷く驚いた様子だった。青年は長い沈黙に居たたまれず、「気に入らないなら……」等と可愛げの無いことを言ってしまう。少女の睫が忙しくなく上下した後、首が高速で横に振られる。断られなかったことに思わず安堵の息。
「じゃあ、まぁ、そういうことで」
「……ありがとう。まさか、きみから誘いがあるとは思わなくて」
ほんのりと眦を滲ませた少女に流石に居心地が悪くなる。実のところ、少女の言い分は正しくて。遊園地への誘いは青年ではなく、姦しい彼の家族である少女二人からの提案だった。

「え!? 海だけ?!」
『無い。それは無いよ』
結局キッチンに逃げても夕飯の後に問い詰められ、果ては二人がかりで泣き真似までされたらここ数日の出来事を洗いざらい話す他無かった。とはいえ、二人の治療が対価とは言えない。その為、忘れ物を届けて貰った人に街で偶然会い、話してみたら思いの外馬があったので交流している――という風に誤魔化さざるを得ず。それが、二人には大層なラブロマンスに聞こえてしまったようだ。友人未満の知人だと何度言っても聞く耳を持たない。
「……ブランカ!」
『あれだね? 直ぐ取ってくる!』
ドタバタと普段のお淑やかな少女からはとても想像できない様子で階段を駆け上がり、二枚の紙――遊園地のチケットを持って駆け下りてきた。いらない!持って行け!の押し問答。どちらが負けたのか、語るに及ばずだ。

「――」
酷く感じ入っている様子の少女に段々と気恥ずかしさよりも苛正しさが込み上げてきた。
「そんなに予想外?」
青年の少しばかり棘のある言い方に対して
「うん」
(――即答)
間髪入れず少女が頷く。そこまで言い切られると自分が血も涙も無い冷酷人間だと言われているようで青年は傷ついた。その様子に、少女が慌てて言葉を続けた。
「気を悪くしたらごめんね。でも、本当にびっくりしたの。だって、遊園地だよ? こういう騒がしいところ嫌いそうだから」
ヒラリとチケットを宙に泳がせた少女の言葉にドキリとする。確かに、遊園地は苦手だった。正確には、人の多いところが苦手なのだ。タグの無い自分に絶えず注がれる奇異の目。否応なしに己の異質さを自覚させられる。
(アルトリアやブランカだって分かっているだろうに、どうして遊園地のチケットなんて渡してきたのか。そして、――どうして俺はそれを馬鹿正直に渡したんだろう)
行ったフリでも良かった、相手に断られたとでも、どうとでも言い訳は出来たのに。安っぽい、近いだけが取り柄の一昔前感が否めない遊園地のチケットを嬉しそうに見つめる少女を見て、
(渡して良かった、なんて……)
青年の頭の中で警鐘が鳴る。こんなに得体の知れない相手の口車に乗ったばかりか、自身でも信じられないほど心を許し始めている。これまで、彼に近づくものは何かしらの下心を持って擦り寄ってきた。彼女だってそう宣言したようなものだ。だというのに、……彼は彼女を突き放せない。
「日が暮れる前に」
頷く少女の隣を歩きながら、青年は独り言ちる。
(ねえ、きみは何者なの)

「キャーッ!」
「ッ!!!!」
轟々と唸る風を掻き分けて――、右に左に、時に真っ逆さまに空を飛ぶ。ガタンゴトンと音を立てて、列車は終点へと辿り着いた。
「あー、楽しかった♪」
「……」
「……大丈夫?」
「これが大丈夫に見えるなら、眼科に行くことをお勧めするよ」
フラフラとよろつく体をなんとか押し出して、ジェットコースターのアトラクションエリアから離れる。
(自転車といい、ジェットコースターといい、コイツほんと何なんだ!?)
年季が入った遊園地といえど、流石にジェットコースターを三連続も乗れば気分が悪くなる。しかし、少女はケロリとして全く堪えた様子は無い。
「何なの? スピード狂なの?」
「えー、もっと凄いやつとかあるから。それに比べると、ねぇ?」
「しっんじられない! ああ、もう気持ち悪い! いいからもう休ませて……」
「……オッケー、あそこの東屋が座れそう。肩貸そうか?」
(誰が――!)
フンと顔を背けて歩き出せば、背後からクスクスと笑う声。頬が熱いし頭はグルグルするしで、青年は駆け足の勢いで植物に囲まれた休憩エリアに入っていく。見つけた木のベンチに荒々しく座れば、遅れて疲労がどっと押し寄せる。堪らず大きな声が出た。
「はっぁー」
「ごめんごめん、疲れちゃったね」
鞄から道中で買っておいたペットボトルが差し出された。無言で手に取って、キャップを外す。ごくりと水分を嚥下すれば口内を清々しいお茶の味と香りが通り抜けた。染み入る水分に生き返る。砂漠で彷徨う者がオアシスの水を飲めば、きっとこんな気持ちになるだろうと大げさ極まりない感想もよぎるほど。ペットボトルを半分以上飲み干したところで、やけに静かな周囲に気づく。そういえば彼女はと顔を正面に向けるると、少女は、――青年を見てはいなかった。少し離れたところにある花壇の丸い形の花を見ていた。山吹色、オレンジ色、クリーム色、黄色とまるで彼女の色を写し取ったような、目に鮮やかなその花たち。
(なんて名前だっけ)
菊のような花弁の黄金の花。思い出せないが、割とシンプルなものだった気がする。庭の世話に余念が無い同居人に聞けば分かるだろうか。
(なんで、……)
別に知る必要は無いはずだ。あと数日もすれば、この出来事も過去のものとなる。彼女に会う必要も、無くなるのだ。彼女の目を奪うその花の名を知ったところで、何になるだろう。疑念と混乱に迷う頭の中に、最大質量を持った言葉が飛び込んできた。
「すき?」
「えっ」
がたんっ! 驚きすぎてボトルからお茶が零れた。少女が怪訝そうにこちらを見ている。
「えっと、花が好き?って、聞いたんだけど」
「あ。……、そ、そうだね。結構、全然、かなり、そこそこ?」
「どっちなの、それ」
あははと少女が笑う。震えるような、吐きそうな、何かが胸の奥から込み上げてくる。滲んだ涙を拭いながら、少女が手で口元を覆う。ああ、その手を掴んで、その下に秘められた花びらに口付けられたら――なんて。
(どうかしてる)
足下から崩れ落ちていくような感覚に目眩がする。怖い――、と青年は思った。会う度に、声を聞く度に、どんどんと惹かれていく。まるで底なし沼のように。
「いつも待ち合わせている中央広場の近くに灯台があるでしょう?」
「……ああ、うん。あったね、そんなもの」
「灯台の周りがちょっとした公園になってるんだって。――明日はそこに行かない?」
「良いけど、きみはそれでいいの? ちょっと花が咲いているくらいで大したものは何にも無いと思うよ?」
うん、と少女が頷く。遊園地も楽しかったけど、静かなところのほうがきみの声が聞こえるからと言う。なんと答えればいいのか言葉に詰まる青年に少女が再び笑いかける。
「あのね。何処でも良いの。……きみが落ち着ける場所なら、何処でも」
キイイ、バタン! 扉が開く音にリビングに待機していたアルトリアとブランカが気色ばむ。
「!」
『帰ってきた!』
バタバタと少女二人が廊下に駆け出すと、そこには呆けた様子で玄関で立ち尽くす家族の姿。
「『……』」
顔を一度見合わせてから、恐る恐るとアルトリアが話しかけた。
「ど、うでした?」
「――うん」
「え?」
「ご飯、作るよ」
『え』
いつもは綺麗に靴を整える青年が、乱れた靴をそのままにスリッパも履かずにキッチンへと歩いて行く。茫洋とした様子に思わず、二人は道を譲った。もう一度、バタンとリビングのドアが閉まる音が聞こえた後、アルトリアとブランカは顔を見合わせて叫んだ。
「どっち!? どっちなの!?」
『分からない!!!』
重傷~~~!と二人頭を抱えて、玄関の廊下で項垂れた。

「また明日ね」
夕暮れに滲む少女が、目の奥に焼き付いて離れない。