協奏曲★三章:託すもの・託されるもの

「頭おかしいんじゃないの?」
開口一番、とんでもない剛速球が来た。
常ならば、茶化して有耶無耶にしてしまおうと考えたであろうが、今日は、今回のはダメだ。
冷えた目の奥に、青い炎が立ち上っている。
(ガチ切れ……)
立香は首を竦めながら、恐る恐る視線で問うた。
「何?分かってないの?あー、そう。そうなんだ。
じゃあ、親切で優しい妖精王が説明してあげるよ」

オベロンは近くの切り株に座り、顎で隣の席を指示した。
座れ――。無言の圧を感じつつ、ゆっくりと立香は隣の倒れた木の上に腰かけた。
マシュたち含めた他のメンバは、なんやかんやとシミュレータルームからオベロンによって退出させられた後である。その為、気分は担当教諭に居残りを命じられた生徒のような、そうでないような。
説教の気配を察知した本能がしおらしくせねばならないと、立香の膝の上に置かれた両手を握りしめさせる。

「今日のシミュレーションの目的は?」
「対乱数戦。マシュを含めた、事前察知無しの襲撃戦を想定したもの」
「きみの考える最善結果は?」
「想定外の戦闘と後手になっていることを鑑みて、被害少なく、追手が無い状態での撤退」
「そう。じゃあ、聞くけど。なんで、最後、マシュのフォローに回ったの」

今回の目的は先に言った通りで、レイシフトをイメージし、本日含めた数日間、シミュレータ内に籠り、他メンバによる襲撃戦をランダムに発生させるものだった。初手は躱し切った。が、度重なるいつ訪れるか分からない襲撃で徐々に精神を摩耗。最終日である本日、5度目の襲撃でマシュが一時的に体制を崩した瞬間があった。マスターは迷いなくマシュの傍により、魔力パスを強化、後方へ撤退させたが、彼はどうもそれが気に食わないらしい。

「崩れた陣のフォローをしただけだよ。それも、マシュ以外のメンバに余裕があると判断したから行ったんだ」
悪手を打ったつもりは無かった。直ぐにカバーしたお陰で、マシュは直ぐに立て直し、戦線も維持できた。第三者が間違っているというなら真摯に受け止めるつもりだが、現状の自己フィードバックでは問題があるようには思えない。ただのケチ付けなどはこの妖精王がするはずも無いが、理由無き物言いに唯唯諾諾と従うような経験は積んでない。瞬間判断については、各英雄達に鍛えらえているつもりだ……。
(でなければ、これまでの旅路でとっくの昔にお陀仏だろう)
その思考が読めたのかどうか。すっと紺碧の瞳が眇められる。うっと立香は怯んだ、――美人は怒ると怖いのだ。

「似たような場面なら他にもあった。マシュ以外で、だ。マシュの時だけ、きみはフォローに回った」
「? マシュはオルテナウスで補強されていると言っても、ギャラハッドがいた時程のスペックは発揮できない。他の人と違うフォローの仕方は当然だと思う。」
に?
「……」

物分かりの悪い生徒に言い聞かせるように、オベロンは強調する。彼の言い分は正しい。マシュが体制を崩した瞬間、敵役は敢えて、追撃を緩めた。マスターがフォローに来るのを誘い、王手を取るつもりだったのだ。そして、それは立香も分かっていた。分かっていて、飛び込んだのだ。
実際にその後、マスターに向けた追撃は来たが、オベロンが大鎌でその一手の軌道を逸らさせたお陰で事無きを得ている。一瞬交差した視線で憎悪の色があったのは、そういうことだった。
オベロンは体を前に倒して、両手を膝からだらりと伸ばした。その姿は、あまりにも柄が悪い。
白いお忍び姿にはひどく不釣り合いだ。
意識が反れたのを咎めるように、彼は舌打ちを零して立香をねめつけてくる。
「ねえ、過保護が過ぎるんじゃないの。この戦いにおいて、KINGマスターのきみが死んだら何もかも終わりなんだよ。マシュの手が吹っ飛ぼうが、串刺しにされようが、あれはサーヴァントだ。もっと言えば、あの子が死んでも不都合は」
「だめ」
ともすれば、真っ直ぐなその瞳は、糾弾している側のオベロンを怯ますほどの力強さがあった。
暮れなずむ夕日が、覆い被る宵闇を斬りつけんばかりの刹那の鋭さ。
「マシュを犠牲にして進む明日に意味は無いよ。……今日のはごめん。ごめんなさい。次は踏みとどまるよ」
これで会話は終わりというように立香は立ち上がるが、オベロンが目の前を通り過ぎようとするその左手を掴んだ。
「いい加減にしろ。きみはマスターで、あの子はサーヴァントだ。同情や仲良しこよしでこの先が生き残れると思っているのか? きみは、君たちの旅路はそんなに楽なもんか」
「言いたいことは分かるよ。だから、次は気を付けるね、って言ってるの。でも、何度でも言う。
マシュを、……皆を切り捨てることはだけは絶対にしない」
「俺以上の噓つきがいたとは驚きだね。……マシュだけだ。このカルデアにおいて、きみが喪失を恐れているのは、マシュ・キリエライトだけだ」
沈黙するマスターに畳みかけるようにオベロンは説いた。
「ノリッジの時も思ったけど、きみの彼女への思い入れは異常だ。これまでの旅路を思えば、当然かもしれない。全ての始まりの子。ましてや、彼女の半身はきみと同じ人間だ。
だが、それでも――、だ。あの子はサーヴァントで、きみはマスターなんだよ。代わりはいない」
「いるよ」
「なんだって?」
「カドックが、カドック・ゼムルプスがいる」
ハッとオベロンは嘲笑する。生粋の魔術師である彼の存在はデータベースで知っている。だが、藤丸立香の代わりになど、到底なれやしない。カルデア中のサーヴァントに聞いてみるがいい。
誰一人、否、一人の皇女を除いて彼に従うものはいない。
この娘だからこそ、みな、精神性を英雄性を、下手をすれば生前の在り様すら変えて尽くしているのだ。
(だが、この愚かなマスターだけがそれを信じちゃいない。)
「いいとも。きみの代わりがいるとして、だ。マシュの、サーヴァントの代わりと比べて、どうだい? が違うんじゃないの?」
横顔でも彼女の眉が跳ね上がったのが分かる。隠そうともしない怒気が掴んだ手が魔力に乗って流れ込んでくる。
此度、瞳を眇めたのは、彼女の方だった。
「特別扱い上等。マシュの代わりはいない。あの子は特別なの。私の唯一。守るべき大事な後輩。それで、――何か問題が?」
「……」
開き直った彼女に、オベロンが沈黙する番だった。マスターより大事だと告げる彼女になんと言えば分からせられるのか。思いつく言葉はあった。自分にとって大事なのは、マシュではなくマスターだと。けれど、それはまるで、マスターが大事だと言っているかのように聞こえないだろうか。自分は優先順位の話をしているだけだ。個人の感情など、この奈落の虫には無い。
そうとも、いっそ娘が死に、汎人類史が滅びたほうが己の宿命には沿う話だ。呪いは解かれ始めていると、かの探偵は言った。荒唐無稽な妄想だと己は罵った。
無い。無いのだ、この身には彼女を大事に思う気持ちは無いのだ。
であれば、なんと言えばこの娘を説得できるのか。優先順位では意味がない。何故なら、この娘は一番マスターを差し置いて、零番に紫の娘を置いている。そんなルールブレイク罷り通るかと憤りたいが、彼女が耳を閉ざした以上、この話は埒が明かない。
違う視点からのアプローチ彼の常套手段が必要だ。

「ねえ、恐ろしくは無いの。きみはただの人間だろう? 今更かもしれないけれど、自分が狙われている状況で、どうして己よりも頑丈なサーヴァントを守ろうとするんだい」
オベロンはゆっくりと無感情に告げる。
それまでの憤りをすっぱりと服の下に納めて、切なげに見えるよう、眉を寄せることも忘れない。
(さあ頷け、恐ろしい、と口にしろ。)
かつて、あの国で、様々な妖精たちが許されたがっていた。優しく共感し、恐ろしさを認め、どうしようもないことなのだと説いて回った。皆が皆、オベロンの許しと慰めを乞い、見っとも無く甘受した。いいんだと。恐ろしくていいんだと。オベロンは言う。立香マスターはただの不幸な一般人。戦いが恐ろしくていい。身を竦めて、自分たちの後ろにいても許される。
オベロンの言葉を聞き届け、ふっと立香の体からこわばりが抜ける。
(ああ、落ちる、墜ちる、堕ちる――)
彼女の弱さを、曝け出される本音を、舌なめずりしながらオベロンは待った。

俯いた顔をあげた立香マスターは、――嫣然と微笑んだ。
「マシュがいないことが、私は死ぬことよりも恐ろしい」
唖然とした。
「なんで」
今度こそ無感情に零したオベロンの言葉に立香は、困ったように、駄々をこねる幼子を見るような瞳で柔らかく話す。
どうか伝わってほしいという願いの声が聞こえた。
「マシュはね。私の全部なの。悲しいことも、苦しいことも、嬉しいことも、恥ずかしいことも。ずっと分かち合ってきた。戦いが怖いのも一緒。一人でなんて立てなくて、ダヴィンチちゃんとホームズと所長とみんなと、――ドクターと一緒だったからここまで来れた。この先の果てで、答えを見つけたい。見つけた後のことは、……正直、良く分からないや。そこが終わり、もう無いよって言われたとしても、私は最後まで走るよ。マシュと一緒に走るよ。きっとマシュは全部覚えててくれる。私のこと、私と過ごした時間、想い。全部」

なんだろうか、なんなんだろうか。彼女は本当に何を言っているのだろうか。恐ろしいことに、この娘は、本当に心の底からそう思っている。自分が死ぬと、死ぬかもしれない、何も無くなるかもしれない。それは全ての生命が持つ恐怖ではないのか。
それよりも怖いものがあるなんて――。
ああ、でも、何処かで似た話を聞いたようなデジャビュ
(そうだ、間も無く命が途絶えようとしていた、名も無き妖精を道すがらに見送った時。)
「マシュは君の次代なのか。」
確信をもって、オベロンは投げかける。
「妖精国において、誰しもが死に怯えながら、死を軽んじた。妖精に終わりは無い。
個は死ねど、次代が生まれるからだ。きみにとっては、マシュがなんだろう?
だから、きみは自分が死ぬことより、自分の全てを渡した彼女が死ぬことが恐ろしいんだ」
ぱちぱちと彼女の睫毛が弾けた。突拍子も無い話を聞いたと、心も読まずとも彼女の表情が物語っている。
暫しの沈黙の後、彼女はにやりと意地悪く笑ってオベロンに言い返した。
「色気が無いなぁ。マシュはね、私の大切な、だよ」