昔々あるところに――
「二人とも今日はありがとう。お陰様で予定より早く目標数を達成できたよ。助かる~。休み調整しておくから、暫くゆっくりしてね。」
「そなたも良う戦った。見事な采配であったぞ。」「マスターお疲れ。君もゆっくり休むといい。」
本日の周回メンバーである、スカディとエルキドゥに労りの言葉を伝え、立香は自室に戻る。
カツカツと靴音を響かせて、廊下を歩いて行くと、道奥の自室前にオベロンが立っていた。一瞬、右足が出遅れそうになったが、根性で踏み切った。彼の目前まで行く。
「珍しいね、中に入って待ってていいのに。目立つの嫌いでしょ?」
「……」
物言わぬ彼にそれ以上の追及はせず、認証パネルに手を当てる。ピッと軽い開錠音と共に扉が開かれた。手の平を仰向けに、ジェスチャーだけで室内へ促した。
オベロンが徐に部屋に入った後ろから立香もマイルームに帰還する。電子音で背後の扉が閉まったことを確認。握りしめた左手の内側を指の腹だけでさする。さらりとした感触。脈拍も平静と変わらぬ鼓動を響かせている。
ゆっくりとオベロンが振り返れば、ふわりと彼のマントが空気に踊る。映画のワンシーンみたいだなと立香は独り言ちた。何気ない所作一つでも、一々様になって腹立だしい男である。
「それで何か用かな?」
「…マシュと会話した。きみとあの娘の関係性については、理解したよ。悪かったね、俺が口を出すべきじゃなかった」
ごくごく普通の謝罪に立香はあんぐりと口を開けた。
あの妖精王が謝っただと――!?
「わお…。あー、うん。分かったよ。わざわざ伝えてくれてありがとうね」
「「……」」
ごめんね。いいよ。簡潔な仲直りのやり取りだ。これ以上もこれ以下も無い。なんと言ったものかとオベロンは口の中で舌を転がす。いつもは回らなくていいところまで軽快に回るこの舌が麻痺でもしたかのように、上手く動かせない。
オベロンの葛藤を知ってか知らずか、立香はふっと柔らかく目元を緩めた。
「うん。ありがとう、オベロン。……私はもう大丈夫だよ」
優しい声音。棘も剣も無く、眇められた黄金の瞳は真っすぐにオベロンに注がれている。
ああ、神様! ――許すよと表情で囁いてくれるその娘のなんと美しいことか。
その透き通る笑みがオベロンを、何時ぞの終わりに感じた、奈落の底に真っ逆さまに突き落とす。
「え?ああ、まあ、当然じゃないですか。だって、散々酷いこと言って泣かした後で、『ごめんね。もう一回好きになってくれますか?』なんて、そんなに人生いーじーもーどじゃないですよ。」
すぱんッと彼女の普段の戦闘音のように、容赦の無いコメントがアルトリアから叩き落された。
ずずずと茶を啜りながら、村正は囲炉裏の隅で寝っ転がっている虫の塊を流し見た。
まあ、なんだ。つまり、――フラレたのである。
オベロンの目には、何時か見た淡い薄紅色はどこにもなかった。神霊級には涎が出る程の極上の魂の色であったろう。唯々ため息が出る程の美しい水晶の如き魂の色だけが見えた。
「仲直りできたんでしょ。良かったですね、オベロン」
(そうそう、ヨカッタヨカッタ)
「これで元鞘ってやつだな。この間の戦闘じゃあ、中々に肝を冷やしたからな。 落ち着くところに落ち着いてくれて、こっちもようやく人心地ってな」
(その節は、ゴメイワクヲオカケシマシター)
じわじわと村正の庵の隅が黒い空気に侵食されていく。妖精王イジケモード(出力MAX)である。
「「はぁ」」
アルトリアと村正は揃ってため息は吐く。本当にどうしようもない妖精王(です/だな)
仕方なしにアルトリアがオベロンに声をかける。
「結局、どうしたいんですか貴方。実際問題、立香が許した今、二人は以前の主従関係です。問題はないと言えば無いんじゃありませんか?」
アルトリアの言う通りだ。自分には分相応な色を手にして、持て余していた。であれば、今の関係性がベストだ。マスターの精神性に不安要素は残るものの、マシュも周辺も気遣っている。
自分一人でフォローする必要は無い。
「まあ、マシュにあれだけ啖呵を切っておいて、敵前逃亡したら恥ですけどね。恥」
「ぐぅっ」
なんでこう一番痛いところ突いてくるかな、この魔猪の氏族。育て方が悪かったんだろう。親の顔が見てみたい。と脳内遊びに区切りをつけて、ごろりと横向きの姿勢から天井を仰ぐ。
(あれこれと言い訳を積み上げて、……みっともない事この上無いな)
またオベロンが落ち込んだ気配を感じ取って、アルトリアはじっと彼の横顔を見つめる。私達が普通の存在であったならば、こんなにも悩むことなんてなかったんだろうと思う。特に彼の場合は複雑だ。呪い故に真実を告げられない、己の中にあるモノですら曖昧になる。今感じていることが嘘か誠か。誰にも、彼にも、分からないのだ。やりきれなさにふと視線を手元の湯呑に落とす、――と、向こう側、正面から忍び笑いが聞こえた。
「?」
ぼんやりと前を向けば、村正が真っすぐ自分を見つめて瞳を眇めていた。
「あの……」
マスターと良く似たその黄金の瞳に見つめられるとなんだか、こう――、むずかゆいような。もじもじとアルトリアが身の置き所を探る様相を見て、村正は今度こそ笑う。
「お前さんたちは本当によく似てんな。…大胆かと思えば、繊細。不真面目かと思えば、大真面目。
その不器用な生き方なんざ、そっくりだぜ。出来のいい兄にお節介焼きな妹ってな」
「「はぁ!?」」
なんでこいつと!とテノールとソプラノが二重奏を奏でる。
「はっはっはっ!」
本当によく似た二人だと、村正は心の底から笑い、ひとしきり笑って、もう一度アルトリアを見やる。
「お前さんたちだけじゃねーさ。そりゃ、ちっと他よりも特殊だがな。英雄だろうが一般人だろうが、みんな、同じだ。自分が何者で、何を為すべきで、何をしてえのか。それを抱えて生きていく。これでもそれなりに人生ってやつを生きてきた。色々あったさ。いっちょ前に、刀工集団の頭やったりな。それでも儂は唯の刀鍛冶だ。それ以上でもそれ以下でも無かったんだが、何の合縁奇縁なのか、今じゃサーヴァント風情。
……だが、悪くねぇ。お前さんたちがいて、マスターがいる。人理だ何だと難しいことは分からねえが、のんびり好きにやらせてもらうさ」
お前は? と視線だけでアルトリアは問われる。その瞳を前に自分のこれまでと今を振り返って、言葉を紡ぐ。
「私は…あの国を旅した私ではありません。ただその精神性を真似て出力された紛い物。
さぞ、滑稽に映ることでしょう、…偽物の癖にと」
誰が嗤うものかとオベロンは声なき声で返す。言葉にしたら、傷つけるものにしかならない気がして「アルトリア」と名だけを呼ぶ。分かっていますよとアルトリアが寂しく微笑む。分かっています、貴方はそんな人じゃない。
「偽物でもいいのです。私が、今ここにある私がそうしたい。あの国の私は、ただ望まれたことを望まれたように。それだけを羅針盤にして生きてきました。
そう、だからこそ、今、私は――私が望むように生きるのです。オベロン、貴方にも……貴方の望むように生きてほしい。貴方の望みが何なのか分からなくても、私に分かる範囲で出来る範囲で貴方に伝えます」
私には貴方が立香とともにいる時、幸せそうに、確かにそう見えたのです。とアルトリアは言葉を贈る。捻くれ者の兄のような誰かさんに、この想いが届きますように――と。
妖精眼で見えたそれに、オベロンは眩しいものでも見るかのように手を翳す。望むように生きる。なんと、自分には難しいことか。それでも二人は望むように生きろと言う。主役の居ない一人舞台なぞ失笑ものでしかないだろうに、観客が続けろと手を叩き囃すのだ。
ならば、演じようじゃないか。みなさま、どうかご清聴を。
――世界の終わりを望まれて、生まれ落ちた虫が一匹おりました。
金の髪の魔法使いと国一の腕利き刀鍛冶と家族のように友人のように旅をしました。
旅路の果てに、虫は人間の娘に恋をしました。特別美人でもないが、美しい薄紅色の娘です。
これはそんな虫の哀れな恋物語です――。