「ニンゲン! よくやったな!」
「お竜さん」
白い竜の乙女がぎゅうぎゅうと立香を抱きしめる。様々な過去の遺恨を乗り越えて、無事にこの特異点を解決出来た。これもまた一つの歴史。その終わりに見た志士の覚悟と運命への抗いを決して忘れることは無いだろう。
最後の最後に、謎の蘭丸Xに危うく遥か別の星まで連れていかれそうになったが、すんでのところでカルデアに帰還した立香を、ちょっぴり苦しいけれど、この上なく熱烈で温かな抱擁が待っていた。ひとしきり抱きしめて満足したのか、お竜さんは身を離して、両手を立香の頬を包む。白く光り輝く彼女を見て、ほうと立香は息を吐く。
「お竜さん、神様みたい。ううん、まるで白無垢みたいで……とっても綺麗」
心の底からもたらされた言祝ぎの言葉に、竜の姫は頬を軽く染めて彼女の額に口づけた。
「ありがとう。お前が龍馬を導いてくれたから、お竜さんはお竜さんに成れたんだ」
そんなことはないと言おうとしたが、その謙遜を決して彼女は喜ばぬだろうと口をつぐむ。その代わり、嬉しいと良かったと、その気持ちを伝える為、マスターは全力の笑顔を白き竜の乙女に向けた。
「沢山助けてもらったからな。今度はお竜さんと龍馬がお前を助けてやる。どーんと任せておけ!
人理なんてちょちょいのちょいだぞ。直ぐに解決してやる。そしたら、お前もお嫁さんになって一緒に新婚旅行に行くぞ」
「え!?」
突然の新婚旅行というキーワードに立香は目を白黒させる。一体どういうことだろうか。今の会話の中にそんな流れがあったようには思えないのだが。
「白無垢みたいって言ってただろう?」
「え、うん。確かにそう言ったね」
「白無垢が綺麗なんだろう?お前も綺麗にしてやる。だから、お嫁さんになって白無垢を着るんだ」
なんという超理論。思わず、立香は笑ってしまった。どこかほろ苦いその笑みで、彼女は答えを返す。
「お竜さん、お竜さん。白無垢を着る前に、旦那さんを見つけないと。私、お嫁さんになれないよ」
「なんだそんなことか。ニンゲン。こんなに可愛いお前なんだ。番なんてきっとすぐに見つかるぞ」
ぐりぐりと頬を揉みながら、お竜さんはまるで我が子を見るように彼女に笑い掛けた。あんまりにも優しい笑顔を向けてくれるから、ぽろりと立香の口から隠していた弱音が零れ落ちる。
「見つかるかなぁ。……だって、私、あちこちボロボロで全然女の子らしくないもの」
その言葉を聞いて、お竜さんは目を丸く見開いた。信じられぬと彼女の表情が語っている。
「驚いた。ニンゲンの雄ってのは随分とフシアナなんだな。そうか、じゃあ、他の雄を探せばいいぞ」
人間以外の!と言い放った彼女に、立香はあんぐりと口を開けて、あはははと豪快な笑い声をあげた。
「確かに! それは盲点だったなぁ」
くすくすと立香は、お竜さんの両手に手を添えて笑い続ける。何かおかしなことを言ったか?とお竜さんは少し首を傾げながらも、まあニンゲンが笑っているからいいかと一層ぐりぐりと彼女の頬を撫でた。
二人から少し離れたところで――、龍馬は微笑まし気な視線を二人に向けていた。
そんな彼の背後に、ぞわりと何者かの気配が出現する。反射的にそちらを振り返れば、ダークグレイの髪に気怠そうな青年が立っていた。薄羽に異形の手足。虫の羽をかき集めたマントが一段と不気味な印象を与えるが、男の自分ですら見惚れる美貌に目が行く。
その姿で人前に出てくるのは珍しいなと思いながら、龍馬は青年―オベロンに声をかけた。
「なんぞ、今回はわっぜ世話になり申した」
聞きなれぬ方言に彼は眉をぴくりと動かす。動揺したせいで方言が咄嗟に口をついてしまったと慌てて龍馬は言いなおす。
「いや、ごめんね。昔馴染みにあったせいか、言葉が戻ったみたいだ。君にも随分と助けられたよ。ありがとう」
ふんと彼は興味無さそうにその言葉を受け取る。オベロンが口を開かない為、二人の間に沈黙が落ちる。
さて、マスター以外にはとんと会話をせぬ彼に何を言ったものか。いや、何か会話をするほうが彼にとっては迷惑か、などと思考しているとぽつりとオベロンから言葉を投げかけられた。
「あんた変わってるな」
「うん? まあ、良く言われるよ」
帽子の無くなった頭を搔きながら苦笑する龍馬に、そうじゃない、とオベロンは言う。
「あんな人外の――、それも呪われたものを伴侶に選ぶとは、あんた相当変わり者だよ」
言葉だけみれば随分と酷いが、どこか哀愁が帯びたそれに、龍馬は聊か驚いた。確かに、そう言われればそうなのだが。
「うーん、でも、お竜さんじゃきのぅ」
またしても飛び出した言葉に、いかんいかんと気を引き締めて、龍馬は言葉を続ける。
「これも惚れた弱みって言うのかな…。彼女が何かとかそういうのは考えてないんだ。
ただ、お竜さんがお竜さんだってこと。それが僕にとって一番大事ことだから」
抑止の守護者となったはずのその男のエゴにオベロンは、ほの暗く笑う。
「マスターも何時かはあんたみたいになるのかな。
人柱をかき集めても、意地汚く生き果せようとする人理とやらに反吐が出るよ」
一理あるなと龍馬は思った。歴史には残らないが、彼女の成そうとすることは守護者として刻まてもおかしくは無い。けれど、どうだろうか――。自分と違って彼女は誰かの為に成すのではない。ただ、明日を生きんが為に人理を成すのだ。
「……どうだろうね。守護者である僕にも、抑止が何を基準にしているのかなんて知りえない。そういう可能性はゼロじゃない。でも、僕は彼女に幸せになってほしいと思うよ。人類最後のマスターじゃなくて。守護者だなんて、そんなものでもなくて。ただ、ひとりの女の子として、誰かに出会って、惹かれ合って、一人きりじゃない未来を生きてほしいと願っているよ」
オベロンはもう何も言わなかった。何と無く、人を寄せ付けない彼が何を憂いているのか、ほんの少しだけ龍馬にも分かったような気がした。
「そうだね。やっぱりちょっとだけ難しいかもしれないね。 彼女はとっても素敵な人だけれど、彼女が負ったものを見た人が、心無いことを言うかもしれない。
それは、……それはきっと彼女を傷つけるんだろう、ね」
若い乙女に有るまじき、夥しい傷跡。仮に傷跡が消えたとて、彼女の身に染みた非日常は、日常を生きる人々と齟齬を生むだろう。その度にきっと彼女は傷つく。日常を生きる人々を、自分自身の全てを賭けて守ったというのに、その彼女が日常から爪弾きにされるとはなんという皮肉か。何時かその身を許して、これと思う人と添い遂げたいと思ったとして、その肌を見せるには相当の覚悟がいるだろう。そして、見た相手も彼女を受け入れられるかどうか。五分五分などというものではない。もしかしたら……、一生彼女は誰にも受け入れられないかもしれない。
愛するマスターのこれからを思うと、どうにもが耐え難く、龍馬はつい誤った尋ね方をしてしまった。
「君は、彼女を――、醜いと思うかい」
ぴっと彼の頬に熱が走った。何が、と思う間に、後ろからお竜さんの激しい声が聞こえる。
「龍馬!! ――このっ虫けらが、龍馬に何をする!!!」
「ま、まって。待って! お竜さん! 僕がいかんがったじゃき。僕がいらんことを言うたんじゃ!」
ふーっふーっと目を竜のそれに変幻させながらお竜さんの霊基が急速に膨らんでは萎みを繰り返す。感情の制御が出来ていないらしい。その対面でオベロンもまた恐ろし気な魔力を放っている。黒い魔力の端々がざわりざわりと虫のざわめきを響かせている。
「オベロン! お竜さん、ごめん。ごめんね、ちょっとだけ話をさせてね。……オベロン」
厳しい色の声で立香はオベロンに話しかける。何があったと聞いている。しかし、その問いには答えず、オベロンは龍馬をねめつけた。
「二度と……二度と口にするな」
「ごめん。僕が悪かった。本当に……」
てっきりオベロンが龍馬に絡んだのだと決めつけていたお竜さんと立香は、かなり意外そうに龍馬を見た。そんな二人に、苦笑を浮かべながら、騒がせてごめんねと頭を下げる。龍馬は悪くないぞ、この虫が良くない。とお竜さんは未だにオベロンに忌々し気な視線を投げるが、立香はどこかほっとしたように肩の力を抜いた。オベロンに再度言葉をかけようとして、彼に歩み寄った。けれど、それを察したように彼は一歩身を引き、そして、身を翻して立ち去っていく。
「オベロン! 待って! ――ごめん、また後で!」
龍馬とお竜さんに手を合わせながら、立香はオベロンの背を追っていく。そんな二人をどこか呆然としながら、龍馬は見送った。はぁ~と息を吐いて、座り込む。
「龍馬、龍馬。大丈夫か? あの虫――、やっぱりお竜さんが呑み込んだほうが良くないか?」
「だめだめ。本当に僕が悪いんだよ。……やってしまったなぁ」
血が滲む頬を抑えながら、彼の表情を思い出す。縦に眇められたその目が怒りの炎に轟轟と燃える様は、まさしく竜の逆鱗に触れたと思わせた。
ああ、そういえば彼も竜の――と思ったところで、気が付いた。つい、と隣で心配そうにこちらを見る白い竜の乙女を見やる。
(竜……。あ――。)
これはもしかして、もしかするのだろうか。至ったひとつの仮説に、龍馬は口のにやけを抑えられない。
「龍馬?」
「お竜さん。案外、マスターの旦那さんは近くにいるかもしれない」
「なに? …………龍馬。これはお竜さんにも分かるぞ。趣味が悪いってやつだ」
「ぶはっ!」と龍馬は笑いこける。
確かに!でも、それを彼に言えば、きっと同じ言葉が返ってくるのだろう。
目尻に涙を溜めながら龍馬は思う。
竜と人の相性は意外といいのかもしれない――と。
※方言については想像です。雰囲気でお察しください。