「さあ行け、お前たち!」
わーっと虫たちがオベロンの指示に従って、緑鮮やかな田んぼに駆けて行く。満足げにその様を見ながら、オベロンは腕を組んで水田を睥睨した。
(おのれ、害虫ども)
よくもまあ、この俺が汗水垂らした稲を貪り食ってくれたものだ。虫の癖に、虫の王に逆らうとはいい度胸だ。フフフと座った目つきのまま、オベロンは不穏な笑みを浮かべた。
「何あれ」
彼の後方数メートル。我らがマスターが胡散臭げに呟いた。そこにアルトリアが通りかかる。
「ああ、マスター。お疲れ様です、素材集めは順調ですか?」
「うん、それはまあこれからが本番だけど。どうしたの、あの人」
あれ、と指さされたオベロンを見て、アルトリアは苦笑いを零した。
「いやぁ。最初は嫌々やってた収穫なんですけど、なんかはまっちゃったみたいで。
そうしたら、その、見事に害虫被害にあったみたいで」
「ああ~」
なるほどね、と立香も侘しい視線をオベロンの背に注ぐ。彼は真面目なので、何か始めると拘るきらいがある。しかも、上手くいかないと聊かむきになってしまうところもある。それこそ最初に手伝いを依頼した時にはボロクソに文句をつけていたはずだが、彼女らの知らぬ間に稲作に楽しみを見出していたらしい。それが、(よりによって)彼の眷属である虫に阻まれるなど、正しく腹の虫がおさまらぬというやつか。
まあ、彼が彼なりにこの特異点を楽しんでいるようで何よりだ。と、この時は呑気に人類最後のマスターは思っていた。それがまさか、あんな騒ぎになるとは――。後に、あの時止めておけばまだマシな結果になったかもしれないと、苦悶の表情で後輩に語ったという。
「忙しいから無理」
「は!?」
そろそろレイド戦ということで、オベロンに招集をかけたところ、にべもなく断られた。
「いやいやいや、今回はオベロンに来てもらわないと。レイド戦だよ。殴り合いだよ?」
「知らないよ。生憎と俺は米の収穫に忙しいんだ。今回は害虫被害を極小に抑えらえたから、かなりいい結果が出そうなんだよね」
心なしかウキウキとした気配を感じ取り、うっ、と立香は怯む。彼が楽しむものなんて、数える程、いや、今回初めてでは無かろうか。そんな彼の楽しみを取り上げて、地獄のような戦いに蹴り落とすなど鬼の所業とも言われても仕方あるまい。
しかし――、だがしかし。
「きみに拒否権は無い。行くよ、オベロン!」
「ふっざけんな! 離せ、あの女狐連れてけよ! この、滅ぼされたいのか、汎人類史ども!!」
令呪の効果でもあるのだろうか、ずるずるとオベロンを強制的に天幕より連れ出して、立香は来るレイド戦に構える。もはや一刻の猶予も無い。戦いはすぐそこに迫っているのだ。と、二人で青い空の下に出たところ、村々からきゃーきゃーと騒ぎ声が聞こえてくる。
どうやら二人で言い合いしている内に、戦いは始まっていたようだ。急がねばと立香は更に腕に力込める。一方、引きずられたオベロンは、親の仇を見るかの如く、村の奥の方を見やって、
「は?」
――見てしまった。
大切に大切に育てた、間も無く収穫間近だった己が水田が、混乱した村人と迫りくるノッブ達によってめちゃくちゃに踏み荒らされている様を。
「あ」
立香の口から思わず言葉が零れ落ちた。
これは……、これはもしや?とってもまずいのでは?有体に言って、逆鱗というやつでは?立香は、そっと引っ張り出したオベロンを盗み見る。
ごっそりと表情の抜け落ちた顔。ひえ、と彼女は悲鳴を飲み込んだ。
ゆらりと幽鬼の如く、オベロンが立ち上がる。先程とは反対にがっしりとマスターの首元を掴み上げて――、「生きて帰れると思うな」
地の底から響くような――怒りに満ち満ちた声だった。
すっと立香は真顔で十字を切った。彼女は無宗教だが、それ以外出来ることが何もなかったのでそうした。
その後、一瞬の休みさえも与えられぬまま、マスターと仲間たちはレイド戦を駆け抜けた。
ハニワをちぎっては投げ、ちぎっては投げ。今自分が何ノッブを食べているのか――。取り合えず、ノッブだったことは確か。
そうして、夜が明ける頃、マスターと林檎は燃え尽きた。
その戦場にて、一騎当千の活躍を見せた水着ノッブが言う。
「ふう、この夏もわしが活躍してしもうたな。
いやー、ほんとわし優秀過ぎて困っちゃうのう。のう?ま、わしじゃから是非も無いよね!
……ところで、あの虫っころ。大丈夫か? 本当に妖精王とかファンシーなやつ?
鬼か羅刹かとか言われたほうがしっくりくるんじゃけど? わしより魔王みが強いやつとか初めて見たんじゃけど?」
一連の報告を聞きつけて、黒髭とガネーシャ神が親切心で大流行した米作りゲームを進めたが、力なく首を振ったそうな。
曰く、シミュレーションじゃ意味が無いんだ――とのこと。
「こだわり強すぎか」「あの人、オタクの才能あるんじゃないすかね?」