ハロー、Samhain(サウィン)!

ドラキュラ伯爵がワインを片手に持ち、ドラクルなアイドルが壇上に上がるのを引き留めている。その向こうでは、黄金色に輝く棺からどうみても死にそうにないミイラ男が高笑いを上げている。メジェドの布を被ったウサギ耳の幽霊がカボチャのランタンを持って右往左往しているではないか。……自虐に過ぎる。そんな彼らの足元を黒猫が駆け抜けていく。幾ばくも無く。黒いとんがり帽子を被った小さな魔女とアリスの衣装を纏った少女が現れて、楽しそうに追いかけて行った。
――不気味な三角の形にくりぬかれたカブとカボチャ。不気味な青い揺らめきを放つ蝋燭。どろりと溶けた蝋は何故かその下の床には落ちずにユラユラと光を反射している。ああ、これぞハロウィン。
立香が一歩、マイルームから足を踏み出せば、そこは非現実的な空間が広がっていた。
「とは言え、私の日常こそが非現実そのものなんだけどね」
人類最後のマスターである藤丸立香は、人理が漂白された現実の方が余程ハロウィンだと笑う。
「返す言葉もないことを言うなよ」
狼男に扮装したカドックが死んだ目で呟いた。
ごめんごめんと立香がその背を軽い音で叩くと、返事の代わりにジロリとした視線が返ってきた。
首を竦める立香に不満そうにしていたカドックだったが、直ぐにその顔が意地悪いものに変わった。
「……なによ」
「いいや? よくその格好を許したなと思ってな」
「うっるさいなー!」
ぼすり。今度は軽くない音がカドックの背から鳴り響いた。それが立香の照れ隠しだと分かっているカドックは、クックッと忍び笑う。さもありなん。今宵の立香も他の者達同様に仮装をしているのだが、如何せん、自他共に認めるファンシーさ。若草色のミニドレスに白く光沢の放つ大きな翅。足元には綿毛のような白いボンボン。高く結い上げられたショートヘアとくれば、ピンと来る人もいるのではないだろうか。
「ティンカーベルの仮装か。まあ、定番と言えば定番だよな」
カドックが翅をちょんちょんと触りながら頷くが、立香の頬は膨らんだまま御菓子の籠を持った手を大きくスイングしている。
「マシュがフック船長やるって言うから」
「!? それは、また。うん、まあ、いいんじゃないか?」
なぜフック船長……とカドックは疑問を呑み込んだが、察した立香が頬をポリポリと掻いて乾いた笑いを零す。
『え!? ウェンディではなく!?』
『はい。私、一度、海賊になってみたかったのです!』
輝く笑顔のマシュの隣では、ドレイク船長が薔薇のような笑顔を花開かせていた。背後から黒髭のデュフフフというビブラートも聞こえてくるが、それよりもバーソロミューの「推しが!!!!」と叫び声の方が勝った。
そっかー、と立香は微笑ましげにマシュに頷いたが、
『つきまして、先輩にお願いがありまして』
という一言に一気に地獄にたたき落とされた。
「どう見ても配役ミス!!!」
「パンツ見えるぞ」
廊下に両手をついて嘆く立香にカドックがさり気なく首に巻いたファーを掛けてやろうとしたが、見せパンなのでお気になさらずと返された結果、ふわふわの黒いファーが宙を彷徨った。
「うわぁ」
ハッと立香が顔を上げる。と、そこには正にこの世のファンタジー、正真正銘の妖精が居た。
「ちょっと、今なんて言った?」
「なんて素敵な仮装なんだマスター! いやすごいね、流石ミスクレーン! 再現度が高くて目眩がしそうだよ……って言ったよ」
こてりと可愛らしく小首を傾げる王子に、立香はぎりぎりと歯ぎしりを止められない。
「なんでいるの!!! 絶対こういうイベント出てこないと思ったのに!!」
「ええ~、酷くない? ボクを差し置いてこんな楽しそうなイベントをやるなんて。そんな薄情なマスターだと思わなかったなぁ。ねぇ、カドックもそう思うだろう?」
「僕は巻き込まれたくないので、これで退散する。ハッピーハロウィン」
じゃあな、と手を上げて廊下を回れ右したカドックに立香の「薄情ものおおお!」という悲鳴が掛けられるが、細身なその背は一度も振り返らず、なんなら全力疾走して曲がり角に消えた。
カムバック!と言いながら手を上げる立香の背にふわりと布の感触が落ちる。
「いい加減立ちなよ。さっきから見苦しくて見ちゃいられない」
「……」
ぷくりと頬を膨らませたまま、立香はゆっくりと差し出された手を取って立ち上がる。繋いだ手はそのままに視線は交わらない。立香が頑なにオベロンの顔を見ようとしないからだ。
「地雷ですみませんね」
拗ねたような声色。視線を床に落としたまま靴の爪先をコツンとオベロンの靴にぶつけた。
「……妖精なんて、なるもんじゃないだろうに」
静かに呟かれた言葉に立香は首を竦めるほかない。オベロンはゆっくりとマントで立香を覆い、周囲の視線から隠す。
「魔法の言葉をどうぞ、お嬢さん」
「……トリックオアトリート」
がさりと立香の籠の中から音がした。それが何かを確かめる前にオベロンが密やかに囁く。
「そんな下手くそな仮装じゃ、妖精に浚われても文句は言えないぜ」
「!」
溢れる蝶と小さな木枯らし。咄嗟に塞いだ視界を再び開くとそこには誰もいない。手品のように姿を消した男に、立香は小さく溜め息を零す。
(この格好が気に入らないだろうなって思ったから、呼びに行かなかったのに。わざわざ会いに来るんだもんなぁ)
何処までも自虐的なヤツだと立香は内心でだけ肩を竦める。さて、それよりもこれから雪崩のように突っ込んでくるサーヴァント達をどう捌いたものか。ジリジリと狭められる包囲網を前に歴戦のマスターは腕組みして現実に向き合った。

がさがさ。
お祭り騒ぎの一日を終え、マイルームの中で、立香は山のような、いや、本当にお菓子の山である。その中から、必死に捜し物をしていた。定期的に一杯になった籠の中身をマイルームに置いていたが、まさかこんな小山になるとは……バッチリ予想していた。何せ毎年恒例のことなので。年々嵩が増えていることには目を逸らすが。
「――あった!」
オレンジのリボンに包まれたソレを引っ張り出す、お菓子の雪崩を起こさないように慎重に。その包みを開ければ、現れたのは、黒い斑点ことレーズンが見え隠れする茶色に焼けた御菓子だ。焼き加減、薫りともに一級品と分かる代物。
「相変わらず、クオリティが高い」
こうも手作りのレベルが高いと女子としてはやりづらい。なんと女泣かせな王子様だろうと立香は毒づくが、その手元は嬉しそうに小皿へと運んでいく。散々飲み食いをして、お腹ははち切れんばかり。なのに、とっておきの紅茶を準備して、切るのが惜しくなるその焼き色にナイフを入れる立香。――カツン。そのナイフが何かにその軌道を邪魔される。ゆっくりとナイフを右側に押し倒すと金属の輝きが見えた。
「!」
銀色のフォークで、それを掬い上げた。
「コインだ」
しかも、銀貨の。急いで立香はそれを手に取り、綺麗にティッシュで拭き取る。すると、鮮やかな紋様が現れる。十字に絡み合った四つの植物、チューダーローズ、シャムロック、リーキ、……そしてアザミだ。
「~~!」
コインを両手に握りしめて、立香はテーブルに突っ伏す。
(君、本当にそういうところだよっ!)
正直に言えば、指輪が入ってやしないかと期待していた。無いだろうなと思いつつも、オベロンがお菓子をくれると言った時からずっとそわそわと落ち着かなかった。あの酷くやる気が無いくせに凝り性の男が、ただ菓子を渡すわけが無いと確信していた。トリートの側を被ったトリックに決まっている。さあ、どんなびっくり箱であろうかと覚悟を決めて蓋を開けたのに。

オベロンが立香に渡したのは、『バームブラック』というパンケーキ。中に仕込まれた品物のどれが当たるかで、向こう一年どういう運命が待っているかを占う、所謂、フォーチュンクッキーに似たものだ。指輪なら近い内に結婚するだし、布きれならお金に困り、ボタンや指ぬきなら結婚できないといった具合だ。では、彼女の手の中にあるコインは? コインは万国共通で富の証、お金が入ってくる兆しだ。なあんだ、と思った気持ちはそのコインが銀色だったことで吹っ飛んだ。そのコインに意味があったのだ。
「六ペンスってさぁ~!」
怒っているとも取れる声色で立香は頭をぐりぐりとテーブルに押しつける。

幸運の六ペンス。サムシングブルーのと言えば、伝わる人も多かろう。それが今、立香の掌にある。鈍い銀色は、部屋の照明に仄かに照らされて楚々と光り輝いている。

さて、この代物をなんと読んだものか。

単純にお金の入りが良くなりますように?
結婚式を匂わせる六ペンス?
それとも、アザミが刻まれた皮肉?

「多分、」

――全部だ。

 

 

 

 

※ハロウィンの起源、古代アイルランドのお祭り『サウィン(Samhain)』はアイルランド語で『夏の終わり』を意味する。とある大使館の情報を参考にさせて頂きました!