オベロンはよく空を見上げる。――明るい蒼い空ではなく、漆黒の夜空とそこに浮かぶ星を眺めている。ストームボーダーでは空は見えない。だから、レイシフトした先、野営の時などは必ずと言って良いほど、空を静かに見上げている姿を見かけるのだ。今日も魔獣を蹴散らして、たっぷり栄養のある夕飯を食べた後、思い思いに休息を取っている仲間内から一人離れていく姿を立香はそっと追いかける。マスターである彼女の動向に目を配らない者などいない。眉を顰める者もいれば、面白そうに、あるいは、意味深に笑い掛けて来る者もいる。その反応は千差万別なれど、一様に彼らは口を揃えて言うのだ。『程々に――』と。諾と首を縦に振って、立香は小走りに森へと向かうオベロンの背を追いかけた。
暫く森に分け入り、野営の火が小さく、それでも見えるぎりぎりの場所でオベロンは立ち止まった。すいと彼の顔が空を仰ぐ。空にはか細い三日月と散りばめられた星々。どうして彼が空を、――星を見上げるのか。分からないはずが無い。彼の、輝ける星を探しているのだ。あるか分からぬその星を想って空を仰ぐその横顔。普段、皮肉めいた表情か、お道化たそれでいて冷たい笑みしか見せない彼が、何の感情も見せず、ただただ静かに空を見上げる。きゅう、と立香の胸が鳴る。ああ、今宵も切なく啼いている、彼女の心臓。どうか、静かに静かに。彼の邪魔にならぬように。
(……何時か、何時か見つけてあげたい。あの人の輝く一等星)

――なんて、嘘。

見つけたい気持ちは確かにあるのに、見つからないで欲しいという矛盾した気持ちが溢れる。だって、見つかったら、見つけてしまったら――、この心は、この切なく彼を思うこの気持ちはどうすればいい? ……答えなど返ってくる訳も無く。立香はオベロンの背を静かに見つめ続けた。

(うるさ……)
背に刺さる視線を無視して、オベロンは空を、星を見る。彼の輝ける星を探して――る訳ではない。だって、そんなものはどこにも無いのだ。この夜空に幾万幾億の星があれど、オベロンの輝ける星は無い。だから、そう、姿なき星を想うだけ。その後は無しとされた彼女に、祈りを、願いを、そして問いを、星の波間に落とす。それだけ――。
実はもう一つ。オベロンが星を見る理由があった。それは何時かこの空に昇るであろう名も無き小さな星を見つける為。
……彼女は何時か星になる。どんなにオベロンが厭うても請うても、彼女は最後まで走って奔って、やがて空に昇って星になるのだろう。きっと、小さな、本当に小さな星に違いない。毎日空を見続けていなければ気付けないほどちっぽけな……。だから、空を見上げる。見誤らぬよう。見過ごさぬよう。空を、星を――、見る。

「――何か用?」
いい加減視線を我慢できなくなって、オベロンが声を出す。
「あー、その、……なんて言うのかな」
背後の立香は、居心地悪そうに身動ぎをする。オベロンは、(首が痛くなったので)空から地面に視線を落とした。そのまま何かを言いあぐねているであろう立香の方を振り返る。脈絡無く、彼が言った。
「ねえ。……人は死んだら、星になるんだろう?」
「え」
それはまた随分とロマンチックな……。妖精王が言ったともなれば、本当にそうであるかのようにすら聞こえてくる。ややもして、立香は口を開いた。
「そういう表現をする人もいるね」
「ふーん……。死ぬまで、地表を惨めに這いずり回る生き物の癖に、死んだら随分とご立派なものになるもんだ」
(分かってた。……うん、分かってた。こういうヒトだよ、この王子様は!)
いつもの皮肉たっぷりの笑顔に立香がこめかみを押さえて呻く。つぶさに分かる彼女の嘆きにオベロンは笑う。
「きみも星になるんだろう。それはそれは、ちっぽけで、細やかで、ギリギリ見えるかどうか、そう、――羽虫レベルの!」
「はー? 喧嘩売ってる??」
立香が腕まくりしたところで、オベロンは爆笑した。
「きみ如き存在の星じゃあ、落ちたとて地表に辿り着く前に燃え尽きちまうだろうさ。精々、落っこちないように見守っててやるよ。ははは」

オベロンは空を飛べない――。あのイカロスですら太陽に近づき過ぎた為、地に落とされた。虫の、しかも、偽物の翅しか持たぬ彼が夜空まで飛んでいける訳も無く。彼女という星が空から落ちそうになっても助けることは出来ない。奈落に落ちながら、……遠ざかる星を見ることしか出来ないのならば、いっそ燃え尽きたほうがマシだ。

――なんて、嘘。

本当の事なんて無い。ただ、虚しい伽藍洞、虫の亡骸。それが彼、オベロン・ヴォーティガンだ。はははと笑い続けるオベロンをじとりと見ていた立香が、不意に空を見上げた。遠い、遠い星を見ながら彼女が言う。
「もし、もしも、私が星になったら」
オベロンの笑いが消える。伽藍洞の彼の中に冷たいナニカが忍び寄る。――聞きたくなかった。星になったら、なんて。オベロンは聞きたくなかった。
立香が顔を空から正面に、オベロンに向ける。琥珀のような瞳が、夜に煌めいた。さながら、今頭上にある星のように。
「私が星になったら。流れ星になって、オベロンのところに落ちていくよ。
小さな一粒、無事に辿り着けたら、――ちゃんと拾ってね」
彼女が微笑む。寂しそうに、愛おしそうに。願いを込めて、彼女はその言葉をオベロンに伝えた。
「――」
そもそも星になるなよ、とか。だから、燃え尽きるって言ってるだろ、とか。どうして、俺のところに落ちてくるんだよ、とか。頭の中に言葉が羅列するけれど、オベロンは一音も言葉に出来ない。代わりに、何も無いはずの彼の体の真ん中で、湧き上がる想い。
(ああ、やっぱり星を見てないと――)
彼女のことだ。いざ、落ちそうになろうものならば、夜空の大星座、輝ける英雄や神々がこぞって手を伸ばすだろう。あるいは、星の内部に巣食う花の蔓が彼女を絡めとるかもしれない。そうならないように、ちゃんと、――ちゃんと空を見ていなければ。明日も、明後日も。彼女が星になるその刻まで。

小さな星。細やかな光。
でも、暗闇しかない奈落の中に落ちてきたなら、それは眩いほど、輝ける――。

「疲れた。……温かいミルクでも貰って寝ようっと!」
わざと大きく足を踏み出しながら、オベロンは立香の傍を通り過ぎる。焚火の方、仲間たちが待つ方へ。
「え。え? ちょ、ちょっと待って! 置いてかないでー!」
情けない声を背後に聞きながらオベロンはほくそ笑む。
今夜きっと彼は夢を見る――。星を抱いて、落ちる夢を。