『00147233125』

「霊力捕捉キャッチしました。存在証明開始します」
「脳波正常、心拍数正常、バイタル問題ありません」
キーボードを叩く音。点灯するグリーンのモニター。様々なグラフや数値が翠の海を泳いでいく。
「よし、ではキリシュタリア。まずは、近くの霊脈ポイントを探ってくれ」
『承知した。――さあ、旅の始まりだ』
(こんな感じだったのか)
立香はグランドオーダーをカルデアから観測するという初めての体験をしていた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 今なんて?」
ロマニに動揺に眉一つ動かさず、キリシュタリアは先程と同じ言葉を繰り返した。
「次のオーダーは、僕ひとりで行く。藤丸は連れて行かない」
「……うん、聞き間違いじゃない。理由を聞かせてくれるかい?」
額に手を当てて項垂れているロマニだが、その視線はひたりとキリシュタリアのソレに合わせられる。生半可な回答は許さないと翠の瞳が告げていた。
「これまでの特異点における戦闘記録から、僕ひとりで達成できると試算した」
「だとしても、何があるのか分からないのが特異点だ。余力があるに越したことは無い。やっぱり、立香ちゃんとマシュに」
「ロマニ」
鋭い制止。ともすれば、怒っているようなそんな声色にロマニは酷く驚かされる。キリシュタリア・ヴォーダイム。家柄も魔術回路も千年続く魔術師の名家、ヴォーダイム家の若き当主。天体科の首席にして、Aチームのリーダーだ。だというのに、その性格は温厚の一言に尽きる。声を荒げること、暴力を振るうこと、不遜な態度をとること。生粋の魔術師としては異常に映るほど、このカルデア内で彼の横柄な対応を見たことが無い。
そんな彼が、今、――少し怒っている。
「ロマニ、藤丸は一般人だ。成人もしていない。それに、性差でものを言うのは好きじゃ無いが」
彼女は力の無い女の子なんだ――と彼は言う。「それは」と口を濁らせたロマニに畳みかけるようにキリシュタリアは言葉を続ける。
「第一から第四特異点までの彼女の成果は驚嘆に値する。そして、彼女ならきっとやってくれると信じさせるだけの何かが彼女にはある。この私でもそう感じるんだ。……けれど、彼女が人間である以上、休息は絶対に必要なんだ。Dr.ロマン、懸命な君なら分かっているだろう。僕たちは彼女に頼り過ぎている」
「…………」
「賭けるなら全員の命を賭けるんだ、ロマニ・アーキマン」

当事者であるにも関わらず、何も聞かれないまま立香のグランドオーダー初欠席は決まった。せめてマシュだけでもという提案は、主従契約を結んでいる以上、それはリスクを伴うと却下された。これにより、管制室はかつて無いほどの緊張感に見舞われる。藤丸立香とマシュ・キリエライトが居ないグランドオーダー。この事態にロマニを含めカルデアスタッフは気づきを得ることになる。
(始めはただの実験体だった)
カルデアスタッフのひとりは、淀みなく波形を追いながら思い返す。
世界崩壊という未曾有の事態に貴重なマスターを死なせるわけには行かないと、死んでも構わない駒を送った。第一、……彼女はとても冷静だった。泣くことも喚くこともせず、カドックと共に駆け抜けた。第二、第三、……意外と上手くやると思った。第四……、自分たちが相対する相手を知って絶望した。魔術王ソロモン、魔術の世界に生きているならその威光を知らぬものは居ない。けれど、藤丸は立ち上がった! 第五、……キリシュタリアに言われて気が付いた。どれほど魔術の世界とは無縁だった人間に依存していたか。
(巫山戯るな!)
我らは崇高なる魔術師だ。根源へ至るため、ありとあらゆる可能性と研鑽を積み重ねてきたのだ。進むために、捨て去ったものは数えきれず。だのに、何も知らずに何も失わずに生きてきた小娘ひとりに依存しなければいけないなんて、あってはならない。あってはならなかったのに、事実、そうだった。
「…………」
ならば、証明するしか無い。藤丸が居なくとも魔術師自分達だけで特異点を解決できると。

恋に浮かされたような熱視線で、男は画面の向こう輝ける威光の象徴を見つめた。

(滑稽、此処に極まれり)
オベロンは嘲笑する。いまさら、――今更だ。事実、本来のカルデアは藤丸立香ただひとりに依存して生き延びた。Aチームが生きていたならば、早々に彼女はお役御免になるかと思いきや。彼女のお人好しと周囲の思惑により思った以上に彼女の出番は多かった。反対した。無理矢理引き留めた。けれど、彼女が行かなければ上手くいかないのだ。
(これが運命だとでも言いたいのか)
視線を右にずらすと緋色の髪が目に入る。藤丸立香は、食い入るように翠のモニターの先を見つめていた。
『最初だけ』
そう言って彼女は管制室に残った。自分が居ない特異点がどうなるのか気になって仕方が無いらしい。なんとかなると言っても心残りは消えなかったようで。仕方なしにオベロンも一緒になって残っていた。
「さて、ひとつ応援でもしようかな」
誰にも聞こえない声量で呟いたオベロンは、ゆるりとその翅を動かした。小さな光の粒子が大気中に溶けて消えていく。あまりにも小さなそれに画面の向こうに全力を注いでいる人々は気づく由も無かった。

人理定礎値:A+
年代:A.D.1783
場所:北米アメリカ

「さてと」
霊脈ポイントに到達したキリシュタリア。こんな状況で抱く感想では無いが、彼はとても昂揚していた。今なら星に手が届く――、そんな予感が彼にはあった。
「旅路には頼れる供が必須だ。と言うわけで、召喚しようと思う」
『い、いきなりだなぁ。まぁ妥当だと思うよ。誰を召喚するんだい?』
「フフ、それは見てからのお楽しみだ」
さあ、呼びかけよう。世界を越えて、時代を超えて、今一度、手を取って!
「――――告げる。 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
燐光が大地に走る。それは大きな輪を描きながら、地上に星を描いていく。
「誓いを此処に。 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!」
白日。目を灼く光が周囲に散った。モニタールームは息を飲む。これまで計測したことが無いほどの大きな魔力を感知し、各種計器が悲鳴を上げている。
「これが、……これが、キリシュタリア・ヴォーダイム!」
「ははは、天才様は何もかも規格外ってわけだ」
カドックの熱に浮かされたような言葉に、ベリルの乾いた笑いが差し込む。ぺぺとオフェリアは当然という風情で黙して語らず。デイビットは一瞥した後、その身を反転した。芥もそれに続く。
「どちらへ?」
マシュが慌てて声をかけた。尋ねられた二人はにべも無く言い放つ。
「見る必要が?」
「無いでしょ。あれは上手くやるわよ」
ビッと指さされた先、そこには五つの光を前に穏やかな笑みを浮かべるキリシュタリアが立っていた。
「セイバー・ディオスクロイ……、何故我々が人間なぞに/兄様、どうぞお気を確かに」
「ライダー・オデュッセウス……、マスターの力になろう。存分に振るってくれ」
「アーチャー・ケイローン……、森の賢人の知恵を貴方に」
「ルーラー・アストライア……、星の輝きに従い参上いたしました」
最後の一人。
褐色の肌に、不屈の瞳。大きな矛と盾を持ち、その英霊は声を張り上げた。
「神霊カイニス! 俺を呼び出すとは高く付くぞ、ニンゲン!」
殊更に眦を下げてキリシュタリアは右手を差し出した。
「知っている。知っているとも。誰よりも強い意志を持ったひと」
堪えきれなかった一粒が彼の頬を滑る。
「どうか力を貸してほしい」

管制室は熱狂に包まれていた。
「キリシュタリア! 万歳!」
「ソロモンがなんだ! 俺たちは負けない!」
「アハハ、今までのが何だったんだていうぐらい存在証明が楽だ。見ろよ、この数値。何もしなくても計器に飛び込んでくるぞ」
手を叩き、飛び跳ねる者までいる始末。ロマンは彼らを諫めながらも何処か安堵したような空気を纏っていた。誰ひとり、後ろを振り返るものはいない。
管制室の一番後ろに立って、立香はその歓声に耳を澄ました。
(本当はこうだったのかな)
何時もギリギリ。不安も懸念もドミノ倒しにやってくる。脆弱な立香の為に、どうやったら見失わずにすむか。どうやったら紙のような彼女の防御を高められるか。スタッフひとりひとりが創意工夫と試行錯誤を繰り返していた。到底分かったような口はきけないが、本当に大変だったのだろうと思う。それをこうして第三者視点で見ることで漸く実感できた。
(やっぱり間違いだったんだ)
自分が人理救済を行ったことを後悔はしていない。けれど、強いるはずの無い苦労をみんなにかけていた。それはとても、心苦しい。だから、やっぱり彼女が選ばれてしまったことは間違いだった。
「……」
オベロンはゆっくりとその翅を閉じた。そして、胸に手を当てて反対の手を立香に差し伸べた。
もう十分だろう・・・・・・・?」
琥珀の瞳に浮かぶ逡巡、しかし、その小さな手はオベロンの掌にそぅっと乗せられた。手を引かれながら、管制室を後にする。
「あ、先輩」
「マシュ、後で妖精王のお茶会に君を招待しよう。それまでに彼の活躍を記録しておいてくれ」
ぱっとマシュの紫の瞳に歓喜が湧く。妖精王のお茶会――、なんと甘美な響きだろうか! 喜びをそのままに彼女は破顔した。
「はい! しっかりと見ておきます!」
「ありがとう! それではごきげんよう、諸君」
マシュ以外、誰も振り返らない管制室を後にして、オベロンを立香を自室へと案内する。
「どうだった? ぜひ感想が聞きたいなぁ!」
「……分かってる癖に」
オベロンの口が歪む。三日月の形をしたその唇が諳んじた。
「藤丸立香がいないグランドオーダー。ああ……、最っ高の見世物じゃないか!」
彼女の手を取って、くるりくるりとオベロンはステップを踏む。突然始まったダンスにも不平を言わず、立香は酷く冷めた心を持て余していた。彼女の背に手を当てて、オベロンは唇が触れ合いそうなほど顔を近づける。
「どうせこれはただの夢だ。楽しむぐらいの気概は持っておいた方がいいぜ」
「夢じゃ無いって言った癖に」
「そうだっけ?」
空とぼけるオベロンに立香は思いっきり足先を踏んでやる。あいた!と悲鳴が上がり、満足げに立香は息を吐いた。あーあと態とらしく声を上げる。
「折角だから休んじゃおうっと。オベロン、お茶会してくれるんでしょう? 一足先に紅茶を入れてほしいなぁ」
「開き直るの早すぎない?」
立香の眉間に皺がより、ぷいっとオベロンから顔を逸らした。
「オベロンが言ったんじゃん」
「はいはい。悪かった悪かった。……機嫌を直しておくれ」
ゆるりとオベロンの両腕が立香の肩にしな垂れる。そのまま彼の腕の中に大人しく収まった立香の頬に口づけをひとつ。
「そ、うやって、すぐ誤魔化すっ」
頬を染める立香にオベロンは他の誰にも見せない笑みを浮かべた。
「本当にきみって、……俺のことが好きだよなぁ」
「なぁっ!?」
もっと凄いこともしているのに、何時までも乙女のような反応を返す彼女がアイらしかった。ケタケタと笑っていると、腹に衝撃。身を翻した立香がオベロンの腹にタックルを決めたのだ。
「ぐはっ」
二人揃ってベッドの上に落ちる。
「こ、のっ、魔猪娘め!」
「へーんだ! モヤシー! 蟲の王様! イケメン!」
それは悪口なのだろうか。呆れ果てるオベロン。立香はオベロンの胸元に顔を押しつけた。じわりと胸の辺りに水気。それを感じ取って、オベロンは大きく息を吐いた。
「ばーか」
「馬鹿って言った方が馬鹿だもん」
「……言っておくけど」
「きゃっ」
立香は突然、身を横に吹き飛ばされて悲鳴をあげる。大きな黒い影が、立香の顔に帳を降ろした。
「俺は慰めたりなんかしない」
ぷちり――、胸元のホックが外される。
「だから。好きなだけ、……泣き喚いていなよ」

◆◆◆

揺れる。ゆれる。世界が揺れる。
「んっ! ……んっ! ……あっ、っ! あぁっ、はっ、――あっ!」
オベロンの屹立が立香の中を掻き混ぜる。内壁を抉るように突き進み、突き当たった壁を叩き、肉を引きずるように外へと逃げる。
「あぁ! やっ! いま…イった、イった、ばっかり…だから! あ! っや!」
優しくして。という懇願は聞き入れられない。激しく体を揺さぶられ、立香の視界もぐるぐると揺れる。
「優しく何てっ、してやらないっ。くっ、はぁ……、ほらっ、好きなだけ鳴きなよ!」
「ひ! ゃぁんっ」
オベロンの体が更に密着して、立香のクリトリスごと擦り上げた。中と外の刺激に立香は一層声を張り上げて快楽の波に呑まれる。
「……、あっ、ああっ、イく、またっ、イくうう……、はぅっ、あぁんんっ」
ぎゅうと締め付けられる膣内でオベロンの陰茎が震えた。ぶるぶると震えるそれに立香はオベロンの耳元に齧り付き懇願する。
「イって、オベロンっ、私と、一緒に……気持ち良くなってッ」
「は゛ぁーっ、……あ゛、ぐぅッ!」
震えていた陰茎が一度膨らみ弾けた。ドッと奥に溜まる感触に立香は心を震わせた。
「あ゛、オベロン、……イったぁ♡」
きゅうきゅうとわざと膣に力を込めて最後の一滴まで絞り出そうとする。その有様にオベロンは悔しそうに歯を噛んだ。
「……くそっ、馬鹿みたいに締めやがってっ!」
ふやけた屹立を抜けないように前後に擦り付ける。
「……ぁ、は、あっぁっ、もういっかい、……オベロン、もういっかいして」
ぽろぽろと立香の目尻から涙が零れ落ちる。交合を始めてからずっと彼女は泣いていた。このまま全ての水分が抜け落ちてしまうのでは無いかと些か不安になったオベロンは、陰茎を抜き、ベッドを降りる。
「あっ、やっ、やぁー、オベロン、オベロンっ」
赤子のようにこちらに手を伸ばす立香。空虚な心に降り積もる充足感を噛みしめながらオベロンは冷凍庫のペットボトルを掴んだ。
「ったく、いつの間にそんなに貪欲になったんだが」
「ひっ、ひぅ、お、おべろんっ、う、う゛ー」
とうとう泣き出した立香にオベロンは急ぎ足でベッドへと戻る。
「ほら、水」
ペットボトルの口先を近づけても立香はいやいやと首を振るばかり。仕方無いと自身でそれを口に含み、彼女の方へと近づけた。
「ンッ♡ ん、んく、ちゅっぱ、あ……、はぁ、んん」
「ん、こら、舌を吸うな」
「ん、やぁ、……んー」
ちゅぱちゅぱとオベロンの舌に吸い付く立香を宥めながら、オベロンはなんとか水を飲ませ切った。張り付いた立香の前髪を避けてやりながら、次いでその頬を優しく撫ぜる。

かつてナイチンゲールが弱気になったラーマに「言葉で伝えないならそれは愛していないのと同義」だと言った。大好きで、本当に本当に大好きで。シータは消えても構わないと言った。ひと目まみえることすら出来なかったラーマは、好きだから守りたいし、好きだから恐怖にも屈しないと答えた。

(言葉にしなくても分かるよ)
どんなに口で意地悪を言ったとて、彼の愛はとても穏やかで優しい。
「俺に愛なんてものは無い」
(愛じゃなくたっていい)
「それでも、」
(それでも、私はオベロンが好き)
だから、戻らなくてはいけない。オベロンと出逢った、出逢うべき運命へと。
「……」

◆◆◆

戦況は上々。ケルト軍団を薙ぎ払い、エジソンを武力で説き伏せたキリシュタリアは明日の戦いに向けて高台より先を見つめやる。夜風に吹かれていると、看護師が声をかけてきた。
「どうぞ気楽に誠実に。人ひとりに世界の運命を背負わせるなど、本来正気の沙汰ではないのです」
その言葉はキリシュタリアの心に少し棘を残した。実際これまでの特異点を修復したのは彼では無い。自ら言い出したことではあるが、藤丸ひとりに背負わせていたことに罪悪感は拭えなかった。そんな彼の背を激しい殴打が襲う。
「うっ!」
「なぁに、しけた面してんだよ」
おらっと強引に肩を組まれた。褐色の肌に少しばかり戸惑いながら、キリシュタリアはありがとうと言葉にする。それを「けっ」と気味悪げに彼女はたたき伏せた。
「いけません。彼は深刻な病を患っています。患者に暴力を振るうのであれば、武力排除もやむを得ません」
「あ゛? 俺とやろうってのか、女ぁ!」
「待って待って、二人とも落ち着いて。夜中だから静かに」
引率の先生とはこんな気分だろうかと時計塔の教授陣を思い浮かべる。賑やかさを残したまま三人は夜闇の階段を降りていった。

いよいよオーダーは最終章、全員が管制室に詰める。

「随分と好き勝手に暴れ回ってくれたモンだなぁ?」
「ハッ! てめぇが言うかよ」
魔槍と三叉矛がぶつかり合い、火花が散る。一合、二合、三合――、両者飛び跳ねて距離を取った。すかさず、ディオスクロイがクーフーリンに飛びかかる。
「はぁあああ!」
「おいっ! 邪魔スンじゃねーー!」
「黙っていろ! / 勝利に邪魔も何もないわ」
カイニス、とキリシュタリアが呼ぶ。その意図を汲み取り、唸りながら彼は後方へと下がった。キリシュタリアの隣に立ち、「おい」と声を荒げる。吹けば吹き飛んでしまいそうな形の彼は、それを笑って受け止めて言った。
「令呪を君に使う。全力でやってくれ」
「! 分かってンじゃねーか」
ゴツンと白い拳と褐色の拳がぶつかり合う。
細く白い手、その甲が――赤く、紅く、輝いた。
「承った、マスター!」
白い鎧が黄金に変じる。紅い瞳は敵のみを写し、轟々と猛っていく。
「見るがいい、『飛翔せよ、わが金色の大翼ラピタイ・カイネウス』ッ!!」
黄金の翼を大きく羽ばたいた。その余波で熾された強風に片腕を上げつつも、キリシュタリアはその腕の隙間から、かの鳥の後ろ姿を必死に追った。
(飛べ、飛べ――! どこまでも! 海も山も越えて!)
『嗚咽を踏みにじり、諦めを叩き潰す。それが――、人間に許された唯一の歩き方です』
鋼鉄の心臓と血を持つクリミアの天使が狂王を前にしてそう言い切ったように。どれほど敵が強大だとしても、人間はいつか神をも打ち砕く。彼のように、彼女のように――。何度でも立ち上がるのだ。

(ああ――)
感嘆の溜息と共に立香は自分の胸を押さえた。
きっとそうだった。きっとこうだった。もしも――、を何度も数えた。
狂王・クーフーリンオルタを、メイブが死に間際に放った|二十八人の戦士《クラン・カラティン》を真っ向から打ち砕き、キリシュタリア・ヴォーダイムは彼の相棒と二度拳をぶつけ合う。
それは立香が思い描いた理想通りの光景で、知らず涙が頬を伝い落ちる。オベロンは何もするなと言ったが、実際の所、それは酷く難しかった。なるべく関わらないようにしようとしても事態がそれを許さない時もあれば、たまたまそうなってしまう時もあった。けれど、今回は違った。文字通り、藤丸立香が一ミリも介入すること無く、人理定礎は復元されたのだ。
(これなら、)
もう大丈夫。そう胸を撫で下ろした時、ビーッと聞き慣れた警告音が耳に飛び込んでくる。
「どうした!」
「心拍数異常! バイタル低下!」
緑の画面の先、キリシュタリアが苦悶の表情を浮かべ心臓を押さえた。
『オイッ! どうした!?』
『下がりなさい! 治療を開始します!』
ナイチンゲールがカイニスを押しやり、キリシュタリアの胸元を開く。
(あ!)
枯れ木――、のようだった。病人のように細い体、老人のように刻まれた沢山の皺。
「こちらからもデータ計測! ……無茶をしたな、キリシュタリア」
ロマニの一喝に上擦った声でスタッフが報告を上げる。
「り、了解。……ヴォーダイムの魔力系波が著しく乱れています」
「同時召喚で魔術回路に負荷をかけすぎたんだ。急いでレイシフト準備! パスが切れればこれ以上の悪化は防げるはずだ。……そちらも聞こえているね」
『はい、聞こえました。この患者の病態は我々が原因ですね』
「別れの挨拶も満足にさせられず申し訳ないが、急いで彼を帰還させたい」
『いい、そんなモンはいらねぇ。さっさとコイツを引き取りやがれ』
ふっとロマニは口元を緩ませて、それに諾と答える。

着々とレイシフト準備が進めれる最中、立香は隣に立つオベロンの舌打ちで漸く我に返った。
「チッ。詰めが甘いんだよ」
隠すなら最後まで隠し通せ、そう言い放って彼は口を閉ざした。茫洋とオベロンの横顔を見つめていた立香は、もう一度モニターを見返す。

(――――)

「なんで」
ぽつりと呟かれたソレは立香の耳の奥、鮮明に届く。
「なんでだよ。彼は天才なんだ。そこら辺の魔術師なんて足元にも及ばない。ましてや、一般人なんかに負けたりしない!」
伏せていた頭を上げた男はぐりんと顔を回転させ、狂乱の瞳で立香を射貫いた。
「なんで、なんでなんで……。――お前なんだ?」

(そんなの、私が知りたかった)
――打ち砕かれた願い。
第五特異点、北米アメリカの定礎復元完了。

00002245543→00147233125