【ゆるっと牧場生活】Cada mochuelo a su olivo(夏の月)

 ここ最近、日差しが強くなってきた。太陽がギラリと凶悪な光を発するようになり、その光に晒された人々の肌がクリームからチョコレートに、人によってはブラックコーヒーのような色に染まるようになった。
 さんさんと太陽の光が注ぐ夏の一日。世の女性が紫外線に慄くであろう日差しの中、染みひとつ無い白磁の頬を薄紅色に染めながら、オベロンは深く被っていた麦わら帽子のつばを押し上げる。
「やぁ、壮観」
 見渡す先にはグリーンのカーテン。胡瓜、ズッキーニ、トウモロコシ。その合間に差し挟まれる、茄子の黒紫とトマトの濃赤。くっきりとしたコントラストは、さながら油絵で描かれた絵画のようだった。
 遠くを見るオベロンの視界が熱による蜃気楼で歪む。こめかみから汗が吹き出し、頬から顎の先へと流れ落ちていった。
 
 心中を渦巻く感情はただひとつ。 
 『あつい』――。
 この星が発する凶悪な熱のお陰で、ローストチキンの気持ちが良く分かるようになった。

 を待つ秋の森とは到底かけ離れた光景に瞼が落ちる。

 もしも。……あり得ぬ事だが。
 ここに彼ら・・が居たなら。この焼け付くような日差しの元で、悲鳴を上げながら逃げ惑う様がみれたであろうか。暖かな毛で覆われた小さな王女は、ロッジの中から一歩も出まいと普段の彼女らしからぬ抵抗を見せたのだろうか。
 
 みーん、みんみんみん……。

 蟲の声が聞こえる。自分はここに居ると、番を呼んでいる。何年も地中に留まり、そして、一週間にも満たない短い刹那。命を残すために、彼らは叫ぶ。

(声を、)

 上げていたならば。彼らも。彼女も。生きることが許されたのだろうか。あるいは、次へと繋ぐことが出来たのだろうか。

 オベロンの口元が吊り上がる。低く暗い、嗤い声が漏れた。

 『おべろん』『ぼーてがん』『おうさま』

 あついよぅ。

「……許されなかったから」

 みんな、燃えてしまったというのに。

 ひらり。
 朱い、紅い、記憶に沈むオベロンの瞳に。青い煌めきが通り過ぎる。
「?」
 長い睫を瞬かせると、その煌めきにピントが合うようになった。鮮やかな青を纏った蝶々が一匹。農場の端からその向こう、橋で繋がれた次の島地へと飛んで行くところであった。現実味の無いその光景に、オベロンがぼうっとその不規則な飛行を眺めていると、その背に声が投げかけられる。

「オベローン!」

 後ろを振り返れば、緋色の髪の娘が両手を口の横にあてて声を張り上げているところだった。
「ごーはーん、だょーー!」

「そんなに叫ばなくても聞こえるっつーの」

 ここにいるよ、と己を奈落の底から引き上げた娘が叫ぶ。みーんみんみん、と蝉たちが張り上げる命の声に全く引けを取らない大きな声で。
 
「ごーはーーーんーーー!」
 
 いるよ、いるよ、ここに。
 貴方の側に。いるよ。

 胸を締め付ける想いをひた隠しながら、オベロンも叫んだ。
「きーこえーてるーーーっ!」
 オベロンの答えに立香は安堵したように微笑んだ。太陽のような少女の向こうに、秋の色が舞い踊る。彼女の緋色の髪が風に靡かれて、大きくオベロンに手を振っていた。

『おべろん』『ぼーてがん』『おうさま』

 かえろう、かえろう、ぼくらのもりへ。

(ああ、うるさいなぁ!)

 煩わしそうに瞳を歪めてみせても、その口元は感情を隠せない。強く引き結ばれていた唇が緩やかに口角さげ、その隙間から安堵するような呼気が零れる。
 
茹でられた蟲ロースト・バグにはなりたくないからね」
 
 手に持ったじょうろを二度三度振って、水を切ると。熱を孕んだ空気を振り払うように走りだした。

 
 家路を急ぐオベロンの後ろ姿を、遠くから見つめるものが居た。
「ヒカリ……」
 きらきらと。ぴかぴかと。
 光るその背の翅を見ていた。

 
 ***

 悪いね、と申し訳なさそうに金髪の青年が謝罪の言葉を口にしたが、立香は慌てて手を振り、その謝辞を否定する。
「クレメンスさんが謝ることは何もありませんよ!」
 その慌てぶりに笑みを零しながら、クレメンスと呼ばれた青年は頬に当たる髪を耳にかけ直した。
「うん。でも、バイクの修理を頼まれたのに、全然目処が立っていないもんだからさ」
 クレメンスは、オリーブタウンの数少ない店のひとつ、道具屋の店主だ。町長のヴィクトルが修理の当てがある紹介した先がこの道具屋だった。
 
「要はパーツ交換なんだけど、」
 それが手に入らないと肩を落とす。
「ははは(だろうなぁ)」
 立香はさもありなんと目を伏せた。

 彼女のバイクは、カルデアの優秀な技師達が最後の贈り物にと作ってくれたものだ。特注の中の特注。この世に二つと無いオーダーメイド。生半可な市販品などは使っていないだろう。
 
「あの、あんまり無理はしないで大丈夫ですよ」
 当面移動する予定はないのだ。惜しくはあるが、よく持った方だろう。捨てるような真似はしないが、大事に手元には取っておきたい。引き取ろうかと打診する立香に、今度はクレメンスが手を振る番だった。

「いやいや」
 
 物腰の柔らかい彼には珍しく顔を引き締めて。
「アレがどれ程大事にされているものか、俺には分かるよ」
 と言った。その言葉に、小さく立香が息を呑む。
 
「……」
「バイクが好きだから。使っている人の気持ちも、作った人の気持ちも。どっちも分かるんだ」
 
 あれは君の元で使われるべき道具だ。
 
 そう言い切ったクレメンスの瞳をジッと見つめて、立香は深く頭を下げた。

 カランコロン――。ドアベルを鳴らして、立香は雑貨屋の扉を開ける。

『時間はかかると思うけど、どうか任せてくれ』

(良いひとだなぁ)

 陳列されている野菜の種を見ながら、立香はしみじみとクレメンスの言葉を反芻していた。
 「いらっしゃい」
 柔らかい声がレジからやってきた。立香は顔をあげて、ふわーっと欠伸をするジャックに手で挨拶をする。……この町の人達はとにかく穏やかで気さくな人達ばかりだ。その証拠にこの町に警官は居ない。悪さをしようがないというか、人が居なさすぎて事件が起こりにくい。多少はあるだろうが、基本的にトラブルが起きた場合は、町長預かりとなる。しかし、その肝心の町長がヴィクトルなので、締まるものも締まらないというか。

 『どうしよう! どうしよう! ワシどうしたらいいかな⁉』

 万事とは言わないが、慌て始めるとこの調子なのでトラブルの方が先に落ち着いてしまうし、何よりも奥方のグロリア夫人が内助の功でするりと場を納めてしまう。
 『アナタ、大丈夫ですよ。こうしてみたら、いかがかしら?』
 普段は、博物館の館長をなさっておいでだが、何れかの良いところの出身なのだろう。品の良いワンピースジャケットを身に纏い、眼鏡の奥には知性の光が宿る。

 決して豊かな町ではないが、都会には無い穏やかさがある。ゆっくりと流れゆく時間、穏やかに談笑をする町の住人達。激しく血生臭い旅路を経た身には何にも勝る天上楽土だった。

「毎度あり~」
 間延びした声でジャックが購入した品物を渡してきた。
「またアンジェラさんに怒られるよ?」
 冗談半分にそう告げれば、「内緒にしといて」とジャックが気の抜けた声のままで笑う。ジャックは雑貨屋の息子なのだが、クールビューティな母とは裏腹にのんびりと何処かやる気がないのが彼のトレードマークだった。一方で、妹のシンディはおしゃまで活発な子である。ジャックが母妹の二人に活を入れられているのはこの町ではよく見かける光景だった。

 ジャックとシンディの父親は見たことが無い。

(聞く方が野暮だよね)

 困っているなら聞き出すこともやぶさかでは無いが、親子三人仲良く暮らしている様子。わざわざ波風を立てるような真似は必要ない。時に、事の解決のためにナイフのような鋭さで突っ込んでいく立香であるが、彼女も大人になったのだ。分別も場の空気もしっかり読めるお年になったということだ。
(何処が? 昔っから無鉄砲なところ、全然直ってないよ)
 酷く鋭いツッコミの電波を受信した気がするが、立香は心のファイヤーウォールでブロックした。

「お、噂をすれば」

 雑貨屋を出ると、シンディが町で唯一同年代のマイキーと一緒に花壇の側で座り込みながら、内緒話をしている。この二人がこの町の最年少にあたるが、誰よりも活発で、時に可愛らしい悪戯をして大人達に窘められている。この間は、キノコを町中に隠してそれを見つける遊びに巻き込まれたり。どれもこれも他愛の無いものばかりだ。悪の教授が知ったら卒倒すること間違いなし。同様に世紀の名探偵もあまりの謎の無さに|水煙草《シーシャ》の雲海に埋もれてしまうことだろう。

「シンディ、マイキー。どうしたの? 新しい遊びの相談かな」
 危ない遊びならば止めなければ。大人側に回った立香が先んじて尋ねれば、二人はびくりと肩をふるわせた後、わーっと立香の側に走り寄った。
「リツカ! リツカ!」
「大変なの! 私達、見ちゃったのよ!」
「見た? 何を?」
「「おばけ‼」」

 おばけと来た。本物の|死霊《ゴースト》を幾度と相手にしてきた立香は、そうかぁと酷くなれた様子で頷く。何処で見たのと問いかければ、二人は驚く様子の無い立香に憤慨しながら、ぴぃぴぃと小鳥のように囀る。

「農場のところ! 橋を渡る手前よ!」
「見たこと無い女の子が立ってたんだ!」
 白い髪をしていたと二人が必死に訴える。それを聞いた立香は、あっ!と思い当たった。

『人払いの結界を張っておく。不必要に干渉されるのはゴメンだからね』

 そう言って、オベロンは人払いの呪いをしていたのが正にその場所だった。農場の手前にある橋の辺り。橋とは境界線だ。よく三途の川渡り等に表現されるように、こちらとあちら。そのラインを明確にするにはうってつけの場所なのだ。人によっては幻覚が見えるかもしれない。そういったものに二人は遭遇してしまったのだろうと立香は納得する。

「そっかぁ。川のあたりは出る・・って言うもんねぇ」
 出るという単語に、ぴょんっと小さな身体が跳ねる。心が痛まないといったら嘘になるが、農場には刃先の鋭い農具もあるし、急な流れになっている川もある。子供二人が無闇に近寄るのは良くない。
「で、出るって……」
 立香は、恐る恐る問うたシンディの目にまだ好奇心の色が残っていることに気づいた。
 二人に笑みを向けて、深く息を吸う。
「……BOOOOO!
「「きゃーーーっ!」」
「アハハハッ!」
 こうして、立香は(悪い)大人の仲間入りをしたのだった。

***

「あ、オベローン!」
 買い物袋を両手にぶら下げた立香が、手を振ろうとしてその重みに負ける。呆れた溜め息を零しながら、オベロンが近寄ってきた。
「また随分と……。買い込んだな」
 さっと荷物の半分以上を取り上げて、その重みに眉を顰める。軽くなった腕を回しながら、立香は仕方無いのだと頬を膨らませる。
「オベロン、私が買い物に行くって言うと心配するから。中々、買いに行けないんだもん」
「誰も心配してないし。そもそもそんなに買うものなんかないだろ」
「ありますー。女の子には色々あるんですー」
「え? 女の子? 誰が?」
「……」
 ばしっと立香がオベロンの足を手で叩くと、「いてっ」と嘘が返ってきた。むすっと膨れた立香の頬を横目で笑いながら、オベロンが歩き出す。それを追う形で、いや、追い越して立香が先を行った。
「おい、転ぶなよ」
「転びませんっ!」
 二人が渡ろうとする橋を夕陽が照らす。その近くで、白い影が揺れた。

「……」
 ぎくりと立香の足が止まる。その影は小さく、シンディやマイキーと同じぐらいの背丈だった。無言でオベロンが立香の前に一歩出た。
「誰だ」
 誰何の声は酷く冷たい。暑い日差しで頬がジリジリと焼けるように火照るのに、背中には冷たい氷が滑り落ちていくような感覚がある。こちらを向いた影は、人の形をしていた。
(女の子?)
 短く白い髪はふわふわと縦横無尽にうねり、その顔の半分以上覆う白い仮面はジャングルに住む原住民の被るものによく似ていた。服は簡素なもので服とはとても言い難い。布きれと言うべき荒い作りだった。少女の形をしたそれは口を開いて微笑んだ。

「ここはキラキラがいっぱい」
 その声音に立香の警戒は緩んでいく。悪意あるものでは無いと彼女の経験が告げていた。
「きらきら?」
 うん、と頷いた少女(と便宜上呼ぶ)は、
「ヒカリがね、キラキラしてる」
 眩しそうにオベロンを見つめた。ん?とオベロンが訝しんだ瞬間、再び少女は口を開いた。
 
「お父さん」
 

「「………………」」

 みーんみんみん――。
 
「「はぁあああっ⁉」」
 蝉の声が止んだ。

 ***

「心当たりは無いんだね?」
 慎重に言葉を選ぶ立香に対して、オベロンの答えはシンプルだった。
「くどい、無い」

 あれから、橋の手前で二人はすったもんだした。

 『(オベロンを指さし)お父さん⁉ (少女を指さし)お父さん⁉』
 『違う違う違う! 俺じゃない!』
 『え! じゃあ、私が⁉』
 『馬鹿野郎! もっと違うに決まってるだろ! だよな⁉(疑心暗鬼)』
 『たぶん!』
 『多分⁉』

 慌てふためく二人を余所にいつの間にか少女の影は消えており、ひとしきり騒いだ二人は「取り敢えず、帰ろう」という力ないオベロンの言葉で足を引きずって帰路についた。

 冷えた水をコップ一杯飲みきって、立香は不安そうにオベロンに尋ねた。が、返ってきた言葉は刃の如く鋭い。
 
「大体、俺は終末装置だぞ。蟲に人間の子供なんて出来るわけ無いだろう」
 背もたれに思いっきり体重を乗せながら、オベロンはギシギシと椅子を揺らして平静を保つ。
「でも、受肉してるし。――出来るかもしれないじゃん」
「所詮は影。嘘っぱちさ。出来るわけが無い」
「可能性はゼロじゃないでしょ」
「はぁ? 出来るわけ無いだろう!」
 先程まで言い争っていたせいか、種火が燻っていた二人の言葉尻は段々とヒートアップしていく。とうとう、立香が立ち上がり、ばんっ!と机を叩いた。
「何事もやってみないと分からないじゃん!」
「あ゛あ゛⁉ じゃあ、試してみるか⁉ ……待った、待った。違う、今のは忘れろ」
 オベロンが失言に気づき、大きな手で顔を覆う。暫しの沈黙の後、恐る恐ると視線を立香に向ければ。彼女はOの形に口を開いたまま絶句していた。その顔は桜桃のように紅く染まっている。それを見たオベロンはもう一度手で顔を覆い、天を仰いだ。
 
「忘れろ」
「…………はい」

 結局その夜はまんじりともせず。二人揃って熱帯夜にうなされたことを考えると、その約束は守られなかったようだ。

 
 ふんわりと柔らかいオムレツの上には自家製のケチャップ。色鮮やかなライムグリーンのポタージュの真ん中に生クリームとクルトンを添える。グリーンポタージュは冷製仕立てだ。立香が作る朝食の定番メニューになっている。
 お腹が減ってはいるはずなのに、食欲が湧かない、あるいは食べるのが億劫に感じてしまう。所謂、夏バテ。そんな時にオススメなのが冷製スープ。喉越しも良く、栄養もたっぷり。夏野菜の旨みが凝縮されている。
『食欲が気持ち悪い』
 そう表現したのは、オベロンだった。ある朝、何時までも食事に手を付けないのでどうしたのかと問うたところ、眉間に皺を寄せながら白状した。最初は、いつもの気持ち悪いなのかと思ったが、どうやら暑気にあてられてしまったようだと気づく。農業は体力勝負だ。食べなければこの暑さにあっという間に力を奪われてしまう。とは言え、無理矢理食べさせるのも違う気がする。さて、どうしたものかと立香が悩んでいると「ヴィシソワーズはどう?」と町でカフェを営んでいるミサキがアドバイスをくれた。おまけに簡単な作り方まで教えてくれる手厚いフォロー。早速、春に取れたジャガイモでヴィシソワーズを作って朝食に並べてみた。ドキドキしながら、オベロンの一挙一足を見守っていたが。
『まぁ、……悪くない』
 ガッツポーズ、勝利のBGMが流れた。当然、かごいっぱいの夏野菜を持ってカフェに御礼に行ったのは言うまでも無い。

 何となく気不味い朝もこの一杯を飲めば、自然と気持ちが落ち着いてくる。

(ミサキさんも不思議なひとだよなぁ)

 御礼を言った際に、「あの人もそうだったから」と零していた。あのひと?と立香が問うと、薄く笑み、それ以上は語らなかった。島に来る前の経歴は誰も知らないカフェの女主人。ミステリアスな彼女に大工のナイジェルが密かに思いを寄せていることは町の誰もが知るところ。聡い彼女のこと、ナイジェルの気持ちなどとっくに察しているだろうに。口下手な男の必死のアプローチにただ微笑みを返すばかり。それ以上は何もしない。つまり、……そういうことだろう。

 この町の住人は、穏やかで裏も無い人達ばかりだ。けれど、それはその人に深みが無いという意味では無い。それぞれが、様々な思いや経験を持って今を生きている。心優しい道具屋の店主は、バイクに並々ならぬ情熱を注いでいるし。マイペースでいつも叱られている雑貨屋の一人息子は、この町の為に出来ることを常に考え続けている。少しだけ身体の弱い食材屋の店主は、島外で働くキャリアウーマンの妻と観光船の案内をしている娘との関係に悩んでいるし。孤高のヘアメイクアーティストを追いかけてこの島にやってきた強者もいる。決して、浅くは無いこの町の住人の人生と個性を立香は尊んでいる。

(懐かしいなぁ)

 何処か混沌としている人間模様に、かつての職場を思い出す。そして、改めて思うのだ。

 随分と遠くに来たものだと。
 そして――。

「ひとりじゃなくて、良かった」

「何か、言った?」
「ううん、何でも無い。…………ねぇ、オベロンの秘蔵っ子、そろそろ収穫かなぁ?」
「言い方に悪気が在り過ぎる。まぁ、もう少しってところじゃない?」

 オベロンが夏に入ってから手塩に掛けている農作物だが、その中でも一際強い拘りを持って育てているものがある。それは、ネットのような網目模様を持ち、香り・甘さともに豊かで、贈答用にもよく用いられるもの。そう、それは――。

 果物の王様、メロン‼

 通常の夏野菜のエリアとは分けられた、農場左側に広く設けられた農耕地に燦然と輝くホワイトグリーンの波。オベロンが大事に大事に育てたメロン畑だ。不思議とその波間の間に立っているとメロンの香りがするような気分になってくる。その一角で、オベロンと立香は麦わら帽子を付き合わせながら、地面にしゃがみ込んでいた。

「…………ねぇ、これってメロン?」
「……多分」

 二人が疑問に思うのも無理はない。二人の視線の先には一つの、輝く宝石があった。語弊では無い。本当に輝いている。キラキラとかの有名なスワロフスキーのような輝きを放つメロンが一つ。触った感触は鉱石のソレ。

「えぇ~。これ、食べられるのかな」
「……多分」

 二回目の多分に、立香の表情が不安そうなものに変わる。が、オベロンとて本当に分からないのだ。兎に角、食べて見るほか無いだろう。ここまで育つと惜しむ気持ちすら出てくるが、よいしょっと鎌で枝から実を取り上げた。

 ピョーン。

 見慣れた白いタマ。ああ、コロポンか。すっかり日常になった不思議な存在をスルーしかけた時、農場全体に鐘がなった。

 からんころんと透き通ったその音。
 咄嗟にオベロンが立香を抱き寄せて、周囲を油断無く見回す。
(何が起きた? 今の鐘、普通の音では無かった)
 立香もオベロンのシャツを握りしめながら、全身を毛羽立たせている。すっかり鈍ったと思ったが、彼女の非常事態への対応力は全く失われていなかった。それが良いか悪いかは悩ましい所だが。

 さて、農場に響き渡った鐘の音。その音が終わる頃、ざざんと波のような音がする。農場の直ぐ側には海があるが、そこから聞こえるものとは些か趣が違った。それは大地の直ぐ側から聞こえてくるもの。やがて、そのさざ波は少しずつ、大きさを増し、一つの大きなうねりへと変わる。その中央にひとつの影が見えた。その影に、二人は見覚えがあった。

「あの時の、女の子だ!」
 立香が指さす先で少女は髑髏のような仮面の間からこちらを見ていた。
『ありがとう』
 そう呟いた次の瞬間、真っ白の光が二人の視界を灼く。
「うっ!」
 慌てて閉じた視界の端で、オベロンの髪がカーテンのように震えた。暗闇の中でも、懐に抱え込まれたのが分かった。火照った身体から立ち上る体臭としっとりと汗に濡れた体温が、立香の心臓の鼓動を跳ねさせる。そのまま吸い込まれるようにオベロンの首筋に唇を寄せた。微かに触れる低い温度の肌。
(噛みつきたい、って私、思ってる)
 溜め息が零れ落ちる。なんて愚かな。ましてや、こんな非常事態に。もう既に閉じている瞳を更に覆いたくなった立香だったが、ぽんと背中を叩かれる感触で目を開いた。

 視界が明るさに慣れた頃、立香の前に立っていたのは小さな少女――では無く。

「有り難うございました。貴方がたのお陰で本来の姿に戻ることが出来ました」

 ボサボサの白い髪は、流れる白滝のように流麗に。着けていた仮面の意匠は剥がれ落ち、涼やかな目元が露わになり、その瞳は涙に濡れている。みすぼらしく服とも言えない布は、紅い民族衣装へと様変わりし、彼女の身体の周りは燐光に包まれていた。

「わたしはこの地の精霊です。長く、本当に長い間、意識の無いまま眠っていました。けれど、少しずつ、貴方がたがこの大地を拓き、コロポン達を通じて私へと力が流してくださったお陰でこうしてもう一度昔の姿を取り戻すことが出来ました」

 本当に、ありがとう。と美しい娘は褐色の肌に幾つもの涙の後を流しながら、礼を告げた。

「別に、君達の為にやったわけじゃない。ただの副産物だよ」
「はい、分かっています」
 それでも礼をと彼女は両手を組み、頭を下げた。
「忘れられ、力を失ったこと。それは時の流れの中で、どうしようもないことです。もう二度と目覚めることはないのだと思っていました。けれど、こうしてもう一度人の営みを見守る機会を得られた。ただの偶然でも。貴方がたがこの地を訪れたその幸運を。……言祝ぎたいのです」
「……あっそ。勝手にすればぁ?」
 しっしっと猫の子を追い払うようなオベロン。それを立香が肌を一捻りして窘めた。
「もう、オベロン! 言い方!」
 痛ったいなl!とオベロンが口をへの字にすると、精霊の娘はくすくすと楽しそうに笑い声を零した。ごめんね、と立香が申し訳なさそうに眉を下げると、彼女は緩く首を振る。

「いいえ。そういう方なのだと分かっています」
「うっわ、やめてくれる? 君に俺の何が分かるって? ほんと不愉快~」
 いつもの暗ーい笑顔を浮かべたオベロンに娘は少々焦りながら、頭を下げた。
「ごめんなさい、お父様・・・

 ずごーっ!
 オベロンに会心の一撃! 急所に当たった!

「だれが‼ お父様だっ‼」

 なるほどね。と立香は声を荒げるオベロンを横目に見ながら一人納得していた。とある夏、とある島で『闇の精霊王』を名乗ったことがある人物がいた。本人曰く、決して自分で決めた名では無いが、本人の悲しい特質により大いに流布されたその肩書き。その余波がこんなところに現れ出でようとは。何とも難儀な性質だと立香は薄く笑みを浮かべ、オベロンを憐れむのだった。

 ***

 立香は手元のランタンに火を灯す。しばらくその炎の揺らめきを眺めていたが、やがてゆっくりとその手を放した。ふわりとランタンは光を伴って暗い空へと上がっていく。 ひとつ、ふたつ、みっつ。立香の周り、町の住人達も同じようにランタンを空へと飛ばしてく。太陽が沈んだ暗い海辺に橙色の光が蛍のように浮かび上がった
 死者の魂を模しているとも、空に昇った人達への贈り物とも言われるこの催しは、オリーブタウン夏祭りの伝統だ。

「きれい」
 心からの声に、クレメンスやミサキが微笑ましそうに立香を見た。ランタンの光を追う立香の顔を見ながら、ミサキはいつもの哀愁漂う笑みを浮かべて言う。
「残念ね。今日こそ、立香の家族の顔が見られると思ったのだけど」
「あ~、はは。人見知りなもので」
「何時かこの町にも馴染んでくれるといいんだけどね」
 クレメンスの大人な対応に苦笑いを隠せない。立香にオベロンという名の同居人がいることは知られている。最初の日に、町長が大々的にアナウンスしたからだ。イトコということで町の住人には通しているが、実際どれだけの人間がそれを信じているだろうか。疑問に思ったとて、相手の事情に踏み込まないのがこの町の人達だった。

(『お父様』、かぁ)

 子供なんて出来るわけがないと言い切ったオベロンに、あからさまに反発してしまった自覚が立香にはある。
 
 否定されたくなかった。
 もしかしたら、という可能性を。

 もうこの時点で、立香には自分がどういう目でオベロンを見ているのか分かっていた。そう、立香は一人の男性としてオベロンを見ている。何時か二人の間に子供が出来たら、そんな妄想を夢見るほどに。

(馬鹿だなぁ。そもそも付き合ってすらいないのに)

 オベロンと立香は恋人ではない。――トモダチだ。それも一方的な。

 立香が日常に帰れないと分かった時、護衛が必要になった。誰を選ぶべきか。その選択肢は立香に委ねられた。

 『あーあ、言わんこっちゃない。だから、早々に舞台を降りれば良かったんだ』
 オベロンはそう言った。そう言ってくれたから。立香は買い言葉のように、言い返したのだ。
 『うるさいなー! こうなったら……。腐れ縁ってことで、周回MVPのオベロンに契約延長してもらうから』
 『はぁあああ⁉ 取り消せっ!』
 『嫌ですー! もう決定ですー!』

 そうやって、自分の気持ちを幾重にも隠して。二人の旅路は始まったのだ。

(だから、オベロンとどうこうなるとか、そんなの。私が勝手に想像してるだけ、なんだもん)
 
 本当に馬鹿だなぁ……、と立香は自分を笑う。

 ユラユラと揺れるランタンを見上げながら、涙が零れないように顔を上げ続けた。

 蛍のような光を遠くに見やりながら、オベロンはざざんっという漣の音に耳を澄ませていた。寄せては砕ける波の音。灯りの無い浜辺を見ながら、かつての幻を探していた。

 妖精國で待ち焦がれた異邦の魔術師は、浜辺に倒れていた。ひと目見たときから、彼女が自分の運命だと理解していた。この国に終わりを齎すもの。全部終わると分かっていたから、ティターニアの話をした。多分、それは。誰かに知っていて欲しかったから。

(うそだ)
 誰か、ではない。彼女に知っていて欲しかった。
 オベロンであり、ヴォーティガンであり。誰でも無い。
 空っぽで、虚ろで、終わることしか出来ないただの蟲を。
 誰にも言えない。伝わらない。自分の本当を。

 無意味なことだったのに。伝わらないはずだったのに。
 彼女は彼の本当を掬い上げて。
 それを飲み干してしまった。

 出逢わなければ良かった、と心底後悔している。
 だって、生きているもの全てが気持ち悪い。他者への愛も自分への愛も持ち合わせてはいない。ただ、ただ、どうしようもなくなった者達へ終わりを与えてやるだけの、存在。彼は終末装置だった。
 
 たくさん殺して、たくさん見殺しにして。
 たくさん、たくさん、たくさん、終わりにした。

 父親? そんな馬鹿な。
 終わらせるものが次へと『続く』なんて矛盾にも程がある。

 そんな夢を見ること自体が。

 「滑稽だろ」

 呟いた言の葉は、暗い波間に砕けて消えた。