それなりの魔術師の家に生まれた彼は、それなりの人生を歩んできた。
今回、カルデアの査察に同行できたのは各名家が牽制をしあった結果のおこぼれに過ぎない。色々な方面からあれやそれやと指示を受けているが、行く先を思えばどれだけの指示をこなせるか。憂鬱だなと男は思いながら、その地に足を踏み入れる。そんな男の不運は、彼に弱視の魔眼があったことであろう。様々な隠しの絡繰りの中でほんの一瞬見えたもの。それを見たが為に彼の人生は大きく変貌してしまった。
「こんにちは」
「……こんにちは」
男は緋色の髪を持つ娘の前に立って挨拶をする。にこにこと人の好い笑みを浮かべながら、まじまじと彼女を観察する。
視線の色に思うところがあったのか、対する彼女は少し引き気味だ。
「ああ、ごめんね。君がかの有名なカルデアのマスターかと思うと、ついつい見入ってしまった」
内心少しも悪いと思わず、男は言う。そんな彼に苦笑しながら、立香は言葉を返す。
「初めの内に色々とご紹介させて頂いたので、今更、目新しいものは無いと思いますよ?」
彼女の言い分は正しい。査察団が訪れて以降、早一週間、彼女は質問攻めや観察の視線にさらされ続けた。しかし、表を見れど、裏を返せど、彼らには藤丸立香はごくごく普通の人間に見えた。
まあ、周りの陣営が凄すぎてそちらに目が行くというほうが正しいが。
人理継続保証機関カルデアは、所長のゴルドルフ・ムジークを主として成り立っており、彼のサポート全面的に受けた現場スタッフというのが藤丸立香だという。
マスター適正があり、高いコミュニケーション能力を持った彼女は、ムジーク家の実働員として活躍しており、各サーヴァントとの仲も良好であると。男もその評価には納得している。魔術師としては、下の下。一般人と変わらぬもの。己を侮蔑し見下す一行を前にして、飄々とする剛毅さだけは魔術師らしいが、それだけだ。そんなことは男も分かっていて、彼はこの娘に興味を抱いているのだ。
彼が持つ目に映ったもの――それは魔力の残滓。到底娘には扱えると思えぬ、また、普段の魔力色彩とは異なるそれが示すもの。
周囲に人影は無い。腕に着けた魔力感知の魔道具の反応も無し。好機に彼は微笑んだ。
「実は、僕、君のことがずっと気になっていて。迷惑だったかな?」
「え。」たった一音だが、隠しきれない嫌悪の色が聞こえた。
男は予想しない回答に聊か鼻白む。が、いやいやと持ち直す。家名としては確かに名の知れたものではないが、一般人の彼女からすれば遥か頭上の位置にある家柄。
加えて、男は自分の容姿にも自負があった。筋骨隆々ではなく、爽やかな好青年。この容姿でそこそこに魔術師の世界では融通を聞かせてきた。時に、妙齢の女寡の愛妾となり、時には、我が儘放題のお嬢様の奴隷となり。
持たざる者として生き抜いてきた。
「そんなに重くとらえないでよ。こんな場所だろ?娯楽もないし。」
男の反応に立香は、内心素を出し過ぎたと臍を嚙んだが、直ぐに思考を切り替えた。出来るだけ無知に見えるように、振舞う。
「そうですね? まあ、ここ何もないですしね。あ、レクレーションルームにご案内しましょうか? 最近、シューティングゲームが流行ってて面白いですよ」
あくまでも善意で申し出てくる彼女に内心イラつきながら、男はその身を一歩、彼女に寄せる。
「嫌だなぁ。そんな何も知りませんって顔しないでよ。それとも、これは駆け引きってやつかな?」
回りくどいことはしなくていいと、彼女の右腕に触れる。明確な接触に立香は顔色一つ変えず、問うた。
「仰っている意味が分からないです」
「ふふ、そう。あくまでそういう風に見せるんだ? ……売女の癖に」
投げかけられた侮辱の言葉にも、彼女の瞳は曇らない。忌々しさを隠すこともせず、男は温度の無いその黄金の瞳を見返す。
「すみません、何か勘違いをされていませんか?」
「勘違い?そんなわけないだろうが。魔術師を名乗るのもおこがましい。なんでお前みたいのに開位が与えられたのか理解に苦しむね。ははぁ……、なるほど? 前回の査察団のやつらともよろしくやって媚びを売ったのか。通りで!」
1人勝手な想像で暴走し始めた男を他所に、立香は淡々と彼との距離を測っていた。右腕を取られたが、彼に武術の心は無さそうだ。簡単に振りほどける。
とはいえ、腐っても魔術師なので油断が出来ない。もう少し会話から情報を引き出そうと考える。
「本当に身に覚えが無いんですが……貴方は私の何を知っているんですか?」
立香のどこか訝しむ声に、男は口の端を歪めて、囁いた。
「無知で無能なお前に教えてやるよ。僕のこの目は、特別性でね。特に観察に特化した力を持っているんだ」
男が彼女の腹を指さして嗤う。
「一瞬だけど、お前の胎にべったりとこびり付いた魔力が見えたよ。英霊と寝てるんだろう? あはははは! マスターなんてとんでもない。お前はただの娼婦だ。よくもまあ、厚顔無恥に主などと嘯いたものだなぁ?」
なんだそんなことかと立香は安堵のため息を吐いた。何処か記録でも盗み見たのかと思ったが、事は単純だったなといっそ肩透かしの気分だった。彼女の顔の失望の色を動揺と勘違いして、男は意気揚々と彼女に詰め寄る。
「ああ、そんなに怯えないで。多かれ少なかれ他の連中もどうせ同じ評価だ。けど、まあ、さっきも言った通り。ここは退屈だからさ。お前が僕を楽しませてくれよ――。得意だろう?」
十把一絡げの立香の容姿に興味は無いが、彼女の中に残る魔力には価値がある。ここにいる英霊は紛うこと無き、史実に名を連ねる大英雄だ。魔術師として高みに到底行けぬ自分でもその魔力を取り込めば、屈辱の日々を脱却できるかもしれぬ。男はそう考えたのだ。はてさて、その魔力は十二勇士か音に聞く円卓のものか。暗い笑みを携えて、男は自分の口を舐める。
虫の羽音が聞こえた。
「下らない。見るに堪えないってのはこういう奴のことを言うんだろうな」
第三者の声に男は驚く。咄嗟に腕にある魔道具を見るが、装置は沈黙したままだ。何が、否、誰が、と考えた思考は突如巻き上げられた体の痛みに停止させられる。
「ぐああああ!」
ぎちぎちと男の体が締め上げられる。足はとっくの昔に地面から離されて、呼吸すらままならない。
急いで魔術を行使しようとするが、バキバキと恐ろしい音が右腕から聞こえる、ワンテンポ遅れて脳にその信号が届き、――絶叫した。
「あああああああああああああああああああああああああああああああ」
「うるさいなぁ……右腕が折れたぐらいで騒ぐなよ」
再び聞こえてきた声に、男は必死にぎょろぎょろと瞳を動かした。眼下に立つものを見て、恐怖する。ダークグレイの髪には星のような王冠。両足と左足は異形、虫のそれだった。
現実にはあり得ぬその美貌から、彼がサーヴァントであることは明白だった。なぜと彼は内心の動揺を吐露する。何も感知できなかった。そもそも、サーヴァントは活動を制限されており、サポート系のものだけが動いているはずだ。
(こんな、こんな恐ろしいものがいるなんて聞いていない!)
どこまでも愚かな人間――と、オベロンは男の内心の声に蔑んだ視線を投げる。
「お前たちが恐れるように、サーヴァントの能力は人智を越える。現代のちゃちな魔術で作られた二束三文の道具如きに俺たちを看破できるとでも?」
一応、男の弁明をすると。
彼はなけなしの大金と女たちのコネを使って、彼が準備しうる最高品質の魔道具を使っているのだが、まあ、古の妖精を前にしてはどのような道具も魔術も遊びの域を出ないだろう。
オベロンは立香の後ろに立ち、彼女の前にマントを広げる。
「オベロン、やり過ぎないでね?」
「……はいはい。それよりもこんな醜悪なものを見るんじゃない。目が腐るよ」
これまでの彼女への侮辱をよく耐えたものだとオベロンは内心で自身を褒め称えた。
当然初めから彼女の傍で霊体化していたわけだが、直ぐに我慢の緒が切れたので虫を仕掛けようとした。ところが、立香に<情報を引き出せ>と命令されたので、渋々黙っていたのだ。
だがしかし、それももう打ち止めだ――。
男は口から涎と血を吐きだしながら、黒いマントの帳の向こうに隠された立香を罵った。
「ぐっあ、、、この悍ましい阿婆擦れがっ!英霊に股を開いて得た魔力で正当なる魔術師に立てつくなど、……恥を知れ!
――あ?」
男は口の中に血だけではない違和感を感じる。口の端からざわざわとナニかが昇る気配がする。咥内に無数の虫が集っていた。
虫は口だけではなく、彼の体のあらゆる場所を這い回る。がりがりと何かが削がれる音がする。がりっ、ばりっ、べりっ。
「――――――――――!!!!!!!」
悲鳴は押しつぶされた喉からは出ることも叶わず、空気のまま消えていく。
少しずつ、少しずつ、男の形は失われていく。
「……奈落なんて上等なものはお前には相応しくないな。相応しい最期をあげるよ、――精々先の短い人生を送れ」
ひと際大きな虫が彼の咥内に潜り込む。ばきばきと異音を響かせながら、男は身悶えた。
「オベロン……殺さないでよ」
立香のどこか諦めたような声がマントの内側から聞こえてきた。眉を一つ上げて、オベロンは彼女を抱きしめる。
「ひどいなぁ…。忠実に僕の務めを果たしたこの俺に労いの言葉もくれないのかい?」
立香の耳元に囁きを落としながら、ゆっくりと彼女の腹を撫でさする男の笑みのなんと美しいことか。くすくすと笑う奈落の王を立香は振り仰ぎ、腹の上に置かれた彼の手に自らの手を添えた。
「困った人…」「今気づいたの?」「知ってたけど」「そ。じゃあ、今更だね」
黄金の瞳を見つめたまま、オベロンは立香に口づける。咥内に舌を差し入れれば、彼女の薄い魔力を感じる。それよりももっと濃い自分の魔力、唾液をたっぷりと滴らせて、それを彼女に明け渡す。
こくりと彼女がその魔力を飲み込んだことを確認して、もう一度、その腹を撫でる。嚥下したその魔力が、喉から腹へ、彼女の体に馴染んでいく。その更に下、胎の中の魔力を愛おし気に見つめた。
(売女? ……冗談だろ。誰にこの娘を触れさせるものか。髪も、指も、眼も、体液一滴とて、誰にも渡しはしないさ。)
査察を終えて、1人の男が国に帰る。彼は誰とも話さず、ただ人が変わったように引き籠るようになった。碌な成果も無く帰った彼に誰しもが侮蔑の声をかけ、事を聞き出そうとしても、頑なに人を遠ざけた。やがて、ひと月ふた月と過ぎ、彼は忽然と姿を消した。聞くところによれば、彼の姿が最後に目撃されたのは、自殺で有名な海岸だったそうだ。つまらない男のことなど直ぐに人々の関心から消え、彼の存在は界隈から無くなった。
ざんと潮騒が響く中、男が一人、崖先に立っている。
「キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチ」
彼の口からは人の言葉ではない異音が漏れ出ている。
戸惑いも無く、彼は真っすぐに崖の先へと歩いていく。――直ぐにその人影は消えた。