かつりかつりと靴音を響かせて、シルバーの髪の青年―オベロンはくすんだ色の煉瓦で彩られた街並みを歩いていた。
ストークオントレント――。
イギリスのほぼ中央、やや西部に位置し、ロンドンからも数時間とほど近い。ウェッジウッド、ミントンなど名だたるブランドの工房がある英国屈指の陶器産業の里だ。人口30万人程の緑豊かな落ち着いた雰囲気があるこの地で、彼はなんとなしに散策をしている。残念ながら悠々自適な観光ではない。
ふと一つのパブが彼の目に留まる。一瞬足を止め、再びその扉に向かって歩き出す。ぎっと古臭い扉を押し開ければ、カランコロンと涼やかな音を響かせて趣のある店内が彼を迎え入れてくれる。
マスターが視線を新たな客人に向け、温和な笑顔を浮かべた。大繁盛とは決して言えないが、ちらほらと先客が見える。オベロンはぐるりと店内を見回す。それから、少しばかり逡巡してカウンターに座った。
「やあ、こんばんは」
まるで少年のようなテノールに、おやとマスターは眉を上げた。が、長年の商売経験から直ぐに彼がティーンエージャーではないと感じた。
「こんばんは、お客さん。見ない顔だ。観光かな?」
「あはは、残念ながら仕事でね。うちの上司がこれはまた中々人使いが粗い。息抜きがてらに散歩していたところさ。」
「それはそれは。どうぞうちの店でゆっくりしていってください」
「ありがとう。マティーニを貰えるかな」
「かしこまりました」
からからと手際よくカクテルが準備されていく。やがて、カウンターの上に透明な液体が注がれた美しいグラスが置かれる。店内の明かりを反射するそのグラスを軽く鑑賞してから、彼の薄い唇がグラスの縁に添えられる。
こくりと一口賞味する。喉を伝う熱と咥内に広がる芳醇な香りが彼の味覚を楽しませる。二口三口。嚥下の度に、さらりと揺れるシルバーの髪がオベロンの陶器ような白い顔を撫でていく。そして、ほうと吐きだされる呼気は艶っぽい。確かに男性だと思うのに、その艶やかさはその辺の女子諸君よりも男性陣の目を奪うだろう。彼のどことなく幼げな雰囲気もそう思わせるのかもしれない。
突如バーに現れた得も言われぬ美青年に、同じくカウンターに座っていたアッシュブラウンの女性客が熱っぽい視線を送る。その視線に気づいて、オベロンが彼女を見る。にこりと笑顔を一つ。それだけで女性客は舞い踊るような気持ちになる。二人が楽し気に会話を始めるのに時間はかからなかった。好きなお酒から、最近の流行りのものまで。一通りの会話の後に、彼女は呟いた。
「ねえ、こんな話を知ってる?」
オベロンは視線だけで彼女の話題の先を促す。
「実は表立っていないのだけれど、最近、女性ばかりを狙った事件があるそうよ」
「そいつは頂けないな。でも、どうして貴方はそんなことを知っているんだい。もしかして、警察の人?」
だとしたら、口うるさい上司に告げ口されないようにお願いしなくちゃと彼は悪戯に笑う。女性はオベロンが言ったお願いにどことなく期待しながら、ふふふと笑う。
「やあね、違うわ。そんな野暮ったいの願い下げよ。
私の知り合いがね、教会の神父様たちがそういうお話をしてらしたのを聞いたらしいわ」
「教会の?それはまた奇妙な噂の出所だね。ちなみにどちらの?」
「〇〇〇教会よ。ねえ、貴方。とっても物騒だと思わない?」
「そうだね。気を配り過ぎて困ることなんてないからね。
おっと、心配し過ぎてどこぞの童話作家先生のように「死んでません」なんてメモを置いて行かないでね」
はははと彼のジョークにマスターは笑ったが、女性は焦れたようにオベロンに詰め寄る。
「嫌な人。バーに女が一人で、物騒よねって聞いたのだから自宅までエスコートしてくださるのが紳士じゃなくて?」
オベロンは眉を下げながら、肩を竦める。マスターが思わず忍び笑いをする。むっと女性の美しく整えられた眉が顰められた。
「イギリスの女はお嫌い?どんな女性が好みなの?」
あまりにも明け透けな言葉に、今度こそオベロンは苦笑を零した。
「そうだなぁ……。髪は燃えるような夕暮れ。瞳は蜂蜜を溶かしたような黄金。
とんでもない頑固者で、お人よしが過ぎで世界を救っちゃうような子かな」
彼の口から出た人物像に、女性はポカンと口を開けて…直ぐに顔を怒りに染める。彼は揶揄っていると思った。
「何それ。嫌に具体的じゃない。貴方、私を馬鹿にしているのね」
懐から紙幣をカウンターに置いたオベロンは、心外だと彼女に告げる。
「馬鹿になんてしてないさ。――何せ、僕の奥さんの話だからね」
今度こそ目を丸くして呆然とする彼女を置き去って、オベロンは扉に向かう。彼の背中に、またのお越しをお待ちしておりますというマスターの声だけが掛けられる。カランカラン――入店と同じ鐘の音を響かせて、美しい青年は扉の向こう、夜の街へ消えていった。
「え、お休み?」
ぱちくりと立香は目を瞬かせた。マイルームで3人の子供たちを寝かしつけたところに、ダヴィンチちゃんと所長とマシュがやってきた。
「そう。自覚あると思うけど、二人とも完全に育児ノイローゼになってるよ」
眼の下、隈が凄いよ?と天才美少女は立香の艶の無い頬を撫ぜた。その隣でマシュが心配そうに伺っている。それから、おほん!とお手本のような咳払いがひとつ。
「いいかね? 所詮、成人したんだかしてないんだか怪しい小娘一人と育児とはなんぞやの妖精もどきの新米夫婦に完璧な育児など無謀中の無謀。そもそも誰もそんなのは望んじゃおらん。一人でも毎日が戦争だというのに三人同時と来た。加えて、いいのか悪いのか。いや、この場合は悪いのだろう。お前さんたちは変なところで真面目ちゃんを発揮しよってからに。
鏡を見なさいよ、鏡。ボロボロにやつれ切っておるではないか! うちはブラック企業じゃないんだからね!?」
心遣いは有難いが、とは言え自分たちの子供なのだ。疲れたとか言っている場合ではないのではないだろうか。ベットに倒れ伏している夫(※)にタオルケットをかけてやりながら、立香は困った顔を所長たちに向ける。
※朝一からマイルームの柵を脱獄し。その後、廊下を爆走してスタッフを跳ね飛ばすこと何度か。最後は研究室に迷い込んで、器具を引っ繰り返し、すわや火災騒ぎを起こした長女の捕獲と後始末に追われまくった人
彼女の思考が読めたのか、ダヴィンチは肩をオーバー気味に竦める。
「そもそも君たちはロボットじゃないんだ。24時間365日稼働するようには出来ていない。週休二日制ってあるだろ? 子育てだってお休みしていいんだよ。世間一般だと夫婦の実家に帰ったり、ベビーシッターを雇ったりするんだから。自分たちの手で完全に育児をやり切るという方針やべき論みたいなのもあるだろうけど。そういうのは得てして後から粗がでるもんさ。かくいう、機械だってメンテナンスで定期的に再起動しなくちゃいけないんだぜ? そうしないと段々とズレが発生して正確に機能しなくなるからね」
その後を引き継ぐように所長がA4の用紙をぺらりと彼女の前に掲げる。そこには、調査依頼書という文字が読めた。
「休みにしてもここにいる限り子供たちが気になってろくに休めんだろうからな。お前さんたちに一つ依頼をこなしてもらう。なんといっても、フジマル君はもうカルデアの一職員だしな」
そう、そうなのだ。汎人類史の救済後、すったもんだあって、藤丸立香はこのNFFサービスのCB職員として採用されているのだ。この話の詳細については後日語るとして、正規雇用メンバの彼女には組織のオーダーをこなす義務が発生する。しかしながら、子供3人の育児しかしていないこの現状。実のところ、労働の先払いという形で色々と支援頂いている状況なのだ。依頼となれば、否やも何もない。夫は未だにグチグチと労働に文句をつけくるが、そこは令呪を行使してでも働かせるつもりだ。
「先輩。お二人が調査に行かれている間は、この不肖マシュ・キリエライトとカルデアの有志メンバがご息女ご子息をサポートします!」
有志メンバ?と首を傾げれば、ブーティカ、茶々、ベディヴィエール、蘭陵王、ケイローン、パールヴァティが主要メンバだという。育児の面や常識人という面から、まあまず間違いない人選に夫婦そろって頼もしい~と思わず拍手した。(約一名は枕に顔を突っ込んだまま)
一部メンバはパワフルなお子様たちに振り回されることもあるだろうが、そこはきっちりとケイローン先生が締めてくれるくれることだろう。うんうんと立香が頷くその横で、調査依頼書を読んだオベロンが眉を潜ませた。(顔は上げたが、体は臥せったまま)
「ねぇ。これ、魔術師連続失踪に関する調査って書いてあるんだけど」
その言葉に立香はぎょっとして、オベロンの手元にある紙を読んでみる。今や大顧客となった時計塔からの依頼書だ。署名欄に<Alphonse-Fergus Golding>と記載されている。昨年より時計塔のお膝元のイギリスにて、魔術師の失踪報告が相次いだ。時計塔より調査員を派遣するも手掛かり無く戻るパターンもあるが、大多数が同様に失踪してしまう。木乃伊取りが木乃伊になる。この現状を憂いて、特殊事例対応を専門とするNFFサービス・CB宛に調査を依頼するというものだ。
読めば読むほど不穏な記載がずらり。調査という名目の慰安旅行にしては、指令が物騒過ぎないだろうか…。先ほどまでは置いていく子供たちが気がかりだったが、今度は自分たちの向かう先が気がかりだ。二人の渋い表情に、ダヴィンチも苦笑いをする。
「ま、まあ、普通の夫婦だとこうはいかない。でも、オベロン始め、護衛も兼ねて複数の諜報サーヴァントも同行する予定なんだ。この現代社会に複数の英霊を引きつれて解決できないことは早々ないんじゃないかなぁ……ってことでダメ?」
てへぺろと可愛く舌を出しながらウィンクする少女にオベロンが抗議の声を上げる。
「はー!? 俺と立香の二人っきりじゃないの? てか、誰だよ一緒に行くやつ」
チッとあからさまに不機嫌になったオベロンの前に、燕青と孔明が手を上げる。
「まあまあ、旦那。そうカリカリしないでくれよ。二人の邪魔はしないからさー」
「正直僕は知己に会いそうであんまり行きたくないんだけど、僕以上の適任もいないしなぁ」
第一、お前、陣地作成苦手だろ?と孔明に突っ込まれてオベロンはぐうと喉奥を鳴らした。
「腐っても魔術師の巣窟だ。用心の為にも護衛は絶対いる。英霊がどれほど驚異的と言っても、人間が勝てない可能性は0じゃない。何より……、僕は英霊に匹敵する人間たちを知っているぞ」
立香の先生役だからなのか、時折、オベロンに対しても先生然という態度を取るこの男(見た目は少年)に渋々だが承諾の意を示した。彼には珍しい対応だ。オベロンは基本的に妖精王として振舞いながらも決して他者に踏み込ませないし、譲らない。けれど、少年の――偉大なる王と共に駆け抜けた物語を、そして、何時か、もう一度あの王に仕える為に文字通り全てを賭けているこの男には多少思うところがあったようだ。オベロンの譲歩と孔明の適度な放任主義、それらによって構築された比較的穏やかなと言える関係性だ。でなければ、首に鎌が飛ぶか、虫による闇討ちが実行される。
承諾したんだがしてないんだが。まだまだ不満げにするオベロンのその腕を立香がぽんぽんと優しく叩いた。むっと口を窄めてから、オベロンは、はあ……と深くため息を吐く。彼女の手を、置かれた腕とは反対の手で緩く握りしめながら「分かったよ」と呟いた。
その後、旅支度を急ピッチで進め、とうとうイギリスへ出張と相成ったわけである。一応、仕事は仕事なので、街で調査とも言えぬ下見をこなして、オベロンは滞在しているホテルに帰還した。ワンフロアどころか上下のフロアを貸切っているので、ドアマン含め、恭しい態度で迎え入れられた。
この辺りの予算はどうなっているのか。気前のいいことだと鼻を鳴らして、エレベータをあがり、目的のフロアへ。立香のいる部屋の――隣の部屋をノックする。部屋主の許可を得て中に入れば、孔明と燕青が机を挟んで地図を見下ろしている。
「街はどうだった?」
何か違和感みたいなものはあったかと聞かれて、オベロンは首を横に振った。
「なーんにも。平和そのものって感じ。ああ、一般人にも例の事件が知ってるやつがいたよ。どうにも相当数の人間が失踪しているせいか隠しきれていない。神秘の秘匿っていうのも現代社会じゃ楽じゃないらしい」
「……」
孔明が苦々しい表情を浮かべたが、一つ頷いて、彼らの調査状況を共有する。芳しいものはないが、やはり失踪者が多い。全部で20人。若い女性が多いようだ。とは言っても、彼らに共通項らしい共通項はない。名家のものがいないのは意図的かどうか。失踪した人間の中に知り合いがいなかったことは幸いと思いつつも、孔明はなんともやりにくいことだと頭を押さえた。
「これだけの数だ。何かしらが起こっている。とはいえ、街には大きな魔術の痕跡も無いし。大物が息を潜めている不穏さも無い。どこそこかの魔術師もしくは魔術師崩れが研究の為に人さらいをしているってところかな。まあ、珍しい話じゃない」
魔術師とは根源に至るためにありとあらゆる術を模索する。人道的な対応など、それこそ溝に捨てるが如くだ。よって、彼らの前に積み上げられる血の多さも数えるほうが馬鹿らしい。オベロンはさして人類に興味がないので、それに何とも思わない。やっぱり汎人類史はさっさと滅びたほうがいいんじゃない?と思うだけだ。
「若い娘さんが被害者に多そうだからさ。明日、俺が化けて一通り街を歩いてみるよ。マスターとあんたはのんびり観光する予定なんだろ?」
「そうさせてもらうよ。陶器が有名らしいから、工房見学を予約してる。後はのんびり。じゃないと何しに来たんだか」
はぁ……と憂鬱そうにため息を吐く男に、他二人も同情する。調査は基本的に自分たちで進めるから二人はゆっくりどうぞと進めてくれたので、有難く部屋に戻ることにした。マスターひとり部屋に置くのは不用心に思われるかもしれないが、今やこの部屋は最強の防御壁が敷かれている。上下のフロアを貸切ったのもそれが理由だ。孔明とオベロン、二人がかりで掛けた術式だ。並みの魔術師では触ることすら出来ないだろう。
ゆっくりとノックをするが、返事がない。入るよと断りを入れて中に入れば、さああと部屋の奥から水音がする。どうやら入浴中らしい。軽くアウターの埃を払って、ハンガーにかける。この旅の為に新調したものだ。立香が嬉しそうにカタログを見ていたのを思い出した。自分のものよりもオベロンに着せる服を嬉々として選んでいたのだから相変わらずだ。そんな彼女が――おほん。と内心で咳払い。随分と変わってしまった己の内面をどことなく面映ゆく思う。長い旅路でも色々と変わったけれど、やはり彼女と子供たちの影響は計り知れない。
妖精国の自分が今のオベロンを見たらなんと言うだろうか。
(絶対気持ち悪いって言って、げーげー吐くな)
確信を持って想像する。でも、そんな自分自身にオベロンは腕の中の子供を見せながら、本心で笑うのだろう。
「(ご愁傷様。立香にあったのが運の尽きだったね。……諦めて神輿に乗りなよ)」
そうともあれほどの屈辱と絶望を自分一人が味わうなど…絶対道連れにしてやる!と居もしない並行世界の自分へと呪いを吐きかけた。
ブツブツと呪詛を吐き続けていたオベロンだが、ふとシャワールームから聞こえる鼻歌に聞き耳を立てる。随分と機嫌が良さそうだ。誘蛾灯に惹かれるようにバスルームに続くドアを開けた。大理石で加工された室内にはかなり大きめのバスタブが設置されている。モノトーンに所々金色の配色があしらわれ、現代風でありながらクラシックな装いだ。乳白色のお湯に薄ピンクの花びらが浮かんだ浴槽で、立香がバスタブの縁に顔伏せた状態で寛いでいる。どうやらオベロンの登場には気づいていない模様。開いた扉に寄りかかりながら、こんこんとその扉を叩いてやれば。はっと顔を上げた立香と目が合う。 わあ!と慌てて湯船に沈んでしまった。キイと音を立てて、オベロンは扉を閉める。
「ちょ! もう! 声かけてよー!」
「かけたよ。全然気づいてなかったけど」
え、うそと顔を白黒させる彼女の傍まで寄って、先ほど彼女がしていたようにバスタブの内に両腕を持たれかける。マットがあるが、聊か地面に着く膝が寒々しい。温もりを求めて乱れた髪が張り付く彼女の頬を撫でる。
「おかえりなさい。何もなかった?」
「ただいま。何もなかったよ。それはそうと、随分とご機嫌だね」
いやぁとバツが悪そうに笑う立香にオベロンはいいんじゃない、その為の旅行でしょと言葉をかける。(仕事だよ、、、一応)と内心立香は思ったが、野暮なので沈黙する。
「ちょっとだけ憧れてたんだよね。こういうの」
へへと照れ臭そうに笑う彼女に、こういうのって?と聞き返す。
「どこもかしこもお洒落で豪華な海外のホテル。こういうホテルって、その、ハネムーンとかで来るイメージ」
ほほぅ。ハネムーンと来たか。妻の期待に応えずして何が夫か。オベロンは立香の潤んだ唇に口付ける。可愛いリップ音を鳴らして彼女に笑いかける。
「じゃあ、二人で蜂蜜酒を飲もうか」
バードキスから段々と深いキスへ。甘い刺激に身悶えた彼女の動きに合わせてちゃぷりとお湯が波打つ。優しく立香の舌を咥内で吸い上げていじめれば、彼女の黄金の瞳が蜂蜜のように蕩けた。オベロンはざっと来ていた衣服をたくし上げて、それらを白く光る床に放り投げる。彼女が選んだものを粗雑に扱うのは気が引けるが、今は彼女に触れることしか考えられない。彼の行動の先を読んで立香は少し頬を染める。お湯によって温度の上がった彼女の頬は一層乙女らしい。子育てに振り回されているここ最近だったので、随分と貴重な姿だ。
ズボンを脱ぐ前に、後ろのポケットから子袋を取り出す。いくつかあるその一つの封を切った。中からとろりとローションを纏ったスキンが出てくる。普通であればサーヴァントである彼にこういった代物は不要なのだが、立香には聖杯がある。これ無しでSEXすれば4人目の爆誕間違いなし。
流石に、、、流石にもうまずい。周りの評価もあるが、子育ての大変さを知った身であと一人追加は本当にダメだ。死んでしまう。本音を言えば生でしたいが、こればっかりはオベロンも気を使っている。その取り出したスキンを立香の口元に寄せる。
「つけて」
上気した頬をさらに染めつつ、立香はそれを口にした。意地悪くそれを見下ろして、オベロンはズボンと下着を一気に脱ぐ。立香の前に緩く立ち上がり始めた逸物が曝される。立香は迷うことなくその逸物に口に咥えたスキンを近づける。ん、と悩ましい声を出しながら口だけで装着させていく。最初は口づけするように、次に口を丸く開き、徐々にスキンを彼の逸物に沿って這わせていく。彼の下生えが目の前に、そして、喉奥をつくような感触に完了の合図として、ゆっくりと立香は彼のものから口を離す。だらりと彼女の口から涎が零れ落ちた。
よくできました、と彼女の頭を撫でてやると、ふるりと彼女の頭が震える。
(ああ、もう我慢できない)
オベロンは勢いよく彼女を引っ張り上げて、バスタブの縁に両手をつくように指示する。恐る恐ると言われた通りに立香が動けば、「違う違う。あっち」と後ろ向きを示された。あ、これはと立香が思うものの、もじもじとながらも素直にオベロンに背を向ける。彼女だって甘い刺激に期待をしているのだ。オベロンの望むように彼に背中とお尻を向ければ、ゆっくりと彼の両手が立香の腰を引く。尻を吐きだすようなそんな姿勢に、立香は堪らず、「やん」と甘く鳴いた。くそっと背後からオベロンが悪態を吐いたかと思えば、一気にナカを貫かれる。遠慮なくずぶずぶと入ってきたそれが我が物顔で立香を蹂躙する。
「あっ、お、お湯溢れちゃうからっ」
「んっ、はあ、いいよ。後で片付けるから……んっ」
「ぁっ、あっ! もうっ……。明日も、お 仕事なのに、奥っ、あ! あぁ、激しくしないでぇっ」
「無理っ、く、あっ、――はあ。だって ああ……、きみのナカ久しぶり。トロトロになってるのに、ぎゅうって吸い付いてくるの分かるよ。気持ちいい……。でも、気持ちよすぎて、俺、もう出そう。ね、自分でもすごい締めてるの分かる?」
「あっ、ぁつ、だ、だって、やあっ! ずっとしてなかったのに、そんな、そんな急にナカいっぱいにされたら、――あああ! だめ、だめ、イっちゃう!」
朝起きて寝るまで、否、寝た後も子供たちのことばかり。二人きりの時間はめっきり減ってしまっていた。毎日お互いがくたくたになる様を見ていれば、寝る際にもうひと頑張りというのはなかなかどうして難しい。こうして二人きりで夜を過ごすのは久しぶりだ。正確には職務で他のサーヴァントもいるのだが、そこはそれ。今、この場には二人きりだ。
オベロンは自分でも異様な性欲の高まりを感じて、頭の何処かでちょっとセーブしないと思う自分がいるが、漸く手に入れた機会をみすみす棒に振るつもりはない。理性から来る静止の声を完全無視して、欲望のままに腰を振ってやる。ごりっと彼女が好きなところを力任せにこねれば、ぎゅうと彼女のナカが窄まって、ヒクヒクと痙攣しだした。小刻みなその振動が射精を促してくる。一番奥、立香の子宮がオベロンの子種を欲しているのを被膜越しにしっかりと感じながら、彼女の後姿を観察する。 ナカを突き上げれば、白い背に乳白色の風呂の湯がぱしゃりと跳ね上がった。水滴が光に踊り、――とろりと背骨を伝って彼女の尻に流れ落ちていく。オベロンは被虐的な笑みを浮かべながらその様を見つめた。もっと、もっと善がらせて、頭のてっぺんから足先までバリバリと食べつくしたい衝動に駆られる。
背を反らしながら抉るように突き上げていた動作を止め、今度は前のめりに体を寄せる。前身を彼女の背にぴったりとくっつけて、右耳を食み、腰を小刻みに揺らす。刺激される角度とリズムが変わって、彼女の体がびくりと跳ねた。獣ような息遣いがバスルームに響いている。そして、彼女の腰を掴んでいた手をするりするりと乳房まで持ち上げる。
「ぁ、やだぁっ!」
「立香は胸を同時にいじめられるのが好きだもんねぇ?」
餅でもこねるようにオベロンが立香の胸を揉み上げる。リズムよく外側から中央に刺激を与えれば、甘い声が止まらなくなった。彼女の背がだんだんと刺激から逃げるように沿っていく。天井を仰ぐほどに彼女を喘がせてから、オベロンは強かに乳房の蕾をつまみ上げた。
「ああああぁぁっ……」
殊更に高い愛声が上げて、立香は全身をぴんっと硬直させ――絶頂した。強烈な膣内の締め付けに、オベロンは歯を食いしばって耐えたが、
「っ、、、あー……ナカすご。別の生き物みたいにビクビクしてる。ね、 もう我慢できない。俺ももう出していい? ナカに、出すね? ……っ、立香、立香っっ、」
ガンガンと立香の体が宙に浮くほど激しく突き上げられて、――それから、ぁ、出る――!という息遣いと共に彼女の一番奥でオベロンのものが脈動した。
(あ――)
立香は目を閉じて、ナカに断続的に放たれる精子の感覚に酔いしれた。鋭敏になった全身が、そして、本能がその鼓動を喜んでいる。内側の衝撃が収まらないまま、荒い息が彼女の背に吹きかけられて、ぞくりと彼女の産毛を泡立たせた。静止の数秒後、ずるりと彼女の中に埋められていた芯が外へ出ていく。
ナカが喪失感に疼いた。その疼きを追うように、立香が体を反転させて背後を見れば、緩く口を開けて息を吐く艶やかな男がいた。彼の美しい顔が、瞳が、どろりと情欲に蕩けているのが分かる。そして、口の端を舐める仕草が目に入った。その淫靡さに無意識に唾を飲んで、立香は……ああ、と内心でため息を吐く。
(もっと、 もっと。 ――欲しい)
立香を、そしてその奥をじっと見ていたオベロンが目を見開く。次の瞬間――、美しい顔におよそ似つかわしくない笑みで、獰猛に嗤った。ざわざわと彼の髪が逆立ち、銀糸が宵闇に染まっていく。まるで虫が変態するような様相を曝しながら、オベロンは彼の本体のように大きく口を開けて彼女に喰らいついた。
立香はうっとりとした色を顔に浮かべながら、自ら舌を差し出してその闇を咥内に向かい入れる。両腕を首に回して乳房が潰れる程、オベロンを強く抱きしめれば、もう一度、彼の熱が内側に入り込んでくる。ブツブツとした感触がする。奈落の虫の姿になると、彼のソレがまるで趣味の悪い大人のおもちゃのような形になるを知っているのは立香だけだ。我ながらなんて浅ましいのかと思いながらも、立香はオベロンがもう離れないように、ぎゅっとナカを締め上げた。愛撫が激しくなって、貪るようにお互いの体を弄りあう。
熱くなる彼の体が愛おしかった。片方が意識を手放すまで、あと数時間――。ばしゃばしゃと魚が跳ねるような音がバスルームに響き続け、バスタブの湯の悉くが外に零れ落ちた。
溺れるような一夜から明けて、オベロンと立香は「The Potteries(陶器の町)」という愛称で親しまれるこの街でも一際大きなシェアを誇るEmma Bridgewaterの工房を訪れていた。スタジオ内には、黄色やブルーなどポップなカラーリングのテーブルやチェアが並べられている。
「か、かわい~!」
童話の世界のような色合いに立香は心が躍った。早くもあちこちと飛んでいきそうな彼女を席に促しながらオベロンはスタッフの説明に耳を傾ける。この工房では自分が選んだ陶器に絵付けをすることが出来る体験教室があり、それに参加しているのだ。
『スポンジウェア』と呼ばれる技法で絵付けを行うのがこのブランドの最大の特徴で、絵心が無い人間でも気軽に絵付けが楽しめるのだそうだ。世界の一つだけの自分の作品――というのは誰しも心躍るものではないだろうか。逸る心を宥めながらなんとか説明を聞き終えて、一二も無く陶器コーナーへ。まずは土台を選ぶ。
「どれにしようか…。うぅ、すごく悩む!」
「まあ、無難にマグカップじゃない?お皿は結構、合わせとかあるし。気軽に使えるものがいいと思うよ」
うん!とオベロンの提案を受け入れ、嬉しそうにマグカップのデザインを選ぶ立香を見て、オベロンはくすりと笑みを零した。これがいいんじゃない?と今手に持っているマグを勧める。彼女が手に持った時に一番しっくりきたものだ。彼女の左手には、室内の照明に照らされた指輪がきらきらと光っている。
二人のやり取りを見ていたスタッフが思わず、オベロンに声をかけた。
「可愛らしい恋人さんですね。そちらのデザインがお好みでしたら、近いものでこちらのデザインもございますよ」
「ああ、どうも。……僕の妻は何時まで経っても落ち着きが無くてね」
妻という言葉にスタッフは驚きの表情を見せた。アジア人は欧米人に比べて見目が幼く見えるというが本当だなと感心している。内心でべーっと舌を出しながら、オベロンは悪態を吐いた。
(ニホンジンとしても、本当に若いんだけどね。勝手に勘違いしてたらいいさ)
見目麗しいオベロンに反して幼げな立香という組み合わせを侮るような人間に正解など必要なかろう。マグカップをいくつか持って、さっさとその場を離れる。早速テーブルに並べて、今度はスタンプ選びだ。ブランドオーナーが手掛けたデザインパターンに沿って、繊細な手作業でカットされたスポンジを手に取る。立香は、ハートや星などポップなデザインを選び、オベロンは花のモチーフを好んで選んだ。
さて、楽しい創作の時間だ。思うがままにポンポンとクリーム色の陶器にスポンジを押し当てていく。
「ううーん、意外と難しいね。あんまり押しすぎてもうるさくなっちゃう」
スタンプのバランス取りに苦心する立香に反して、オベロンは既に自分の中のデザインが決まっていたのか、リズムよくスポンジを当てている。というか、上手すぎてもはやこの工房のスタッフではないかという貫禄すらある。
「うわぁ~、綺麗!しかも早い……さ、流石、道具作成A」
「きみが不器用なだけじゃないかな。うん、きみのも、そうだね。個性的でいいんじゃない?」
にこやかな笑顔に嘲笑の気配を察知して、立香はじとりとした視線を投げる。それすら心地よいと鼻歌交じり、オベロンがスタンプ作業を再開させようとすれば、横から立香がハート型のスタンプを持ち出してきた。
「ありがとう~!折角だから、オベロンのやつにも私のスタンプ押してあげるね~!」
「うわ!やめろ、そのセンスのない心臓型を押し付けるんじゃない!」
「センス無いって言った!」
「おっと、いけない。つい、うっかり本音が」
彼女の手の範囲から遠くマグを避難されてしまった。長い手足の彼が恨めしい。馬鹿にされっぱなしの立香は、ぐううと顔を更に顰めていたが、ぴんと閃く。ぺたり。オベロンの白い顔にピンクのマークがついた。
「何してんの」「えへへ」「ばっかじゃないの」「んふふ、可愛い」「……はぁ~」
両手が塞がっているので、オベロンは自分の頭を彼女の額にこつりとぶつけた。ごめんごめんと言われながら、頬が拭われる。それでもうっすらとハートの形が彼の頬に残った。消えないソレに若干焦りだした立香に反して、オベロンは彼女に掠めるようなキスをする。
「ああ、困った困った。僕のことが好きで好きで仕方ないらしいきみ。……仕方ないから、君の心臓を甘んじて受けとろうじゃないか」
「心臓って。ハートマークって言ってくれない?さっきから物騒」
ハッとオベロンは一笑に付す。一度は殺し合った自分たちに物騒でない時など無かったろうに。彼女は気づいていないが、心臓とは古来より特別な意味を持つものだ。ましてや、竜種にとっては尚のこと。
ブリテンを収めたかの王が竜の炉心を持っていたことは有名だが、混ざりものではあるもののオベロンもまた竜種に属する。(ジャンヌオルタの第二スキルが適用される)竜とは往々にして強大な力を持つ存在。嫉妬深く執着心も半端ないことはカルデアの英霊でもお墨付きだ。そんな相手に気軽に心臓を差し出すものじゃない。心臓どころか魂そのものすら食べられてしまうぞ、と教えてやるべきか。ああ、いや、もうすっかりどこもかしこも食べつくしてしまったのだった。今更だったなとオベロンは、ぺたりと彼女の手の甲に心臓型のスタンプを押し付けた。
絵付けと引き取りの段取りをつけ終えて、二人は別の工房に赴き、アフタヌーンティーを注文する。ブランドの陶器が使われた豪華なセットが運ばれる。美しいデザインに立香がうっとりとしたため息を零す。
「普段使いもいいけど、こういう特別感があるものも素敵だね」
「後で、テーブルウェアやアウトレットを見て回ろうか。数日は滞在予定だし、明日にでもじっくり選んだらいい」
その言葉に立香は今一つ頷きずらそうにしている。大方、今回の仕事の方を気にしているのだろう。勤勉な国民性が出ているのか、あるいは、人類最後のマスターである弊害か。断然後者だなと毒々しく独り言ちながら、オベロンは眉をしかめた。
「旅の本当の目的を忘れてないだろうね。孔明たちもゆっくりしろって言ってくれたんだから、好意は好意のままに受けておけよ。変な遠慮こそ失礼だっていい加減学んだら?真面目って言えば聞こえはいいけど、単純に切り替えが出来ていないんだよ。やるときはやる、やらない時はやらない。常にONにされたら、こっちも肩肘張るんだよ。マスター?」
分かったか?とじろりと対面の彼女を睨めば、立香は両手を上げて降参のポーズを取った。
刺々しい言葉の裏にある優しさに、立香はその顔を小さな花のように|綻《ほころ》ばせる。優雅に紅茶を嗜むオベロンを真似て、目の前にある美しい造形のティーカップを持つ。口に含んだ瞬間に紅茶の芳醇な香りが全身を巡る。立香はその香りに後押しされて、仕事を気にする生来の生真面目さと他のメンバを置いて興じる後ろめたさを頭の中から追いやる。
「美味しい。……あのね、オベロン。子供たち用のボウルが欲しいの。最近、よく食べるようになってくれたでしょ?大人用の大きなお皿より小さいのがいいかなって。それから、オベロンが作ってくれるスープ。専用のマグが欲しいなって思ってたんだけど。明日、一緒に探してくれる?」
伺うようにこちらを見る黄金の瞳に、オベロンはカップをソーサの上に置いて、サンドウィッチを手に取る。
「いや、ほんとよく食べるよね。特に、スピカ。あの子の食欲はエミヤも驚いてたな。まあ、作り甲斐があるよ。俺もワンセット食器を揃えたかったから丁度いい」
白く柔らかいパンを咀嚼する。もぐもぐと口を動かしながら、サンドウィッチの具材を分析する。ハム、チーズ、レタス。王道の材料だが、パンとの組み合わせが大変良い。イギリス料理に期待はしていないが、ぎりぎり及第点だなと彼は評した。
言葉にせずともそんな内心が伺いしれる彼に立香は苦笑を零す。英霊に食事は必要ない。しかし、カルデアでは趣味の延長や心の栄養としてとるものは多い。キッチン組が腕利きが揃っているのも英霊の食習慣の助長に一役かっているだろう。そして、全く持って驚くことに――このオベロンも最近キッチン組に仲間入りしたのだ。オベロン単体としては、食事は気持ち悪い。何が嬉しくて動植物の死骸の口にするのだか、という評価になる。しかし、立香が悪阻による食欲不振になったころから栄養学や食事学を学び、料理の物まねをするようになった。子供たちの離乳食もあって、少し前から本格的にキッチン組に弟子入りしている。とはいえ、工房でも披露した生来の器用さからあっという間に立香より料理上手になってしまった。未だに料理に苦心しているアルトリアが大層悔しがっていたなと立香は思い出しながら、サンドウィッチを食んだ。次に何を食べようか。色とりどりのお菓子にも心が躍る。
(帰ったらスコーンの作り方、調べよ)
スコーンに瞳を輝かせた立香を見て、オベロンは密やかに計画を立てる。彼は立香やアルトリアのように|口に出すタイプ《愚か》ではないので、その計画を本人や他の人間に伝えることは無いが(キッチン組にはバレバレだったりする)。相手の胃袋をがっちり掴もうとするあたり、種による執着心や彼の真面目さが窺い知れるというもの。突き詰めて突き詰めて、拘りが過ぎた結果、カルデアでの稲作という所長の顎が外れかける珍事をやらかすのだが――。まあ、料理と食材は切っても切れぬ関係なので仕方ない……のかもしれない。
ゆったりとした午後を堪能した二人は、お土産を一通り買い漁ってホテルへと帰還する。道中子供たちの部屋着で大層盛り上がった。(意外にもオベロンは着ぐるみを着せたいらしい。子供たちは動き回るので身軽の方が良いのではと思うが、まあ、好きにさせようと立香が譲る。)ほんの少しばかり、世界に黄昏色が訪れて始めていた。――、ホテルの豪奢な入り口が見えたあたりでオベロンが唐突に足を止めた。
「どうしたの?」
「…………厄介なのが来た」
苦虫を嚙み潰したような表情で、オベロンは小脇の街路樹を見る。この街は緑豊かでそこかしこに木々が樹林されている。彼らの視線の先には大き目な樹があり、その葉の間をオベロンは見つめている。
「???」
立香の目には何も見えず首を傾げる。一つため息を吐きながら、オベロンは彼女に言う。
「目に力を込めてごらん。今のきみならできるだろ」
そこまで言われて立香ははっとする。魔力的な話だと気づく。彼に言われた通り、目に力を込める。ご存じの通り、彼女の魔術師としての力量は味噌っかすだ。いや、だったと言うべきか。
眼を閉じて、自分の内側へ(内海へ)と意識を向ける。想起するは暗い夜空。そして、――ひとつ、ひとつ、その夜空に星を浮かべる。
(Dubhe―Merak―Phecda―Megrez―Alioth―Mizar―Alkaid)
ゆっくりと4つの起点から魔力が巡り始めていく。イメージした七星に導かれるようにして、ぐるぐると体の内側を流れる魔力を目の回路へと寄せていく。魔力を集中させた眼を開けば、地面から、人から、草木から淡い泡のような色が付いた世界が立香の視界に飛び込んでくる。魔力の色だ。
そうして、視線を横にスライドさせてオベロンが見ていた木々の間を見れば、丸い光が2つ3つ。その一つが二人の視線に気づいたのか、すいと近づいて来る。ぼんやりとした輪郭だが、それは翅を纏った小妖精だと気づく。小さく舌打ちをしながら、オベロンはそれに問いかけた。
『何か?』
『∂ଘ§゚Ω໒꒱ଓ*:!』
身振り手振りでかなり小妖精が焦っていることだけは立香にも分かったが、何を言っているのかはさっぱりだ。が、オベロンの眉間がどんどん深くなるので、彼はこちらの妖精の言語を理解しているようだ。先ほどまでのゆったりした空気感はどこへやら。最後まで彼(彼女)の話を聞き終えて、オベロンは深くため息を吐く。
「……」
「なんて?」
「…………どうもこうも。この街の近くにある森に魔術師が住み着いて、面倒を起こしているみたいだ」
失踪した魔術師の行き先に心当たりが出来てしまった、とそういうことらしい。事態が動いたというのであれば、のんびりはしていられない。楽しい時間はここまで。そう思い、立香が思考を切り替えるのを当のオベロンが静止する。
「森には俺だけで行く。きみはホテルに戻りな」
「どういうこと?単独行動はだめだよ、一緒に行くに決まってるでしょ」
「これはもう人理を救う戦いじゃないんだ、……きみがリスクを負う必要はないんだよ。森に異常があるせいで妖精たちも気が立ってる。情報収集だけなら最低人数で確認するほうがいい。そして、それは人間のきみじゃなくて、サーヴァントであり妖精王でもある俺のほうが適任だっていうのは言わなくても分かるだろ」
ホテルなら強固な結界を張っている、速やかにホテルに戻り、孔明たちが戻るまで決して部屋から出ないこと。立香はそれを強く念押しされる。正直に言えば、オベロンと一緒に行くつもりだった。彼女はどうやってオベロンを説得しようかと考えて、――止めた。だって、彼の言う通りだったから。これはもう世界を救う戦いじゃない。怖気づいたとかそういう話でも無くて。立香の帰りを待っている人たちがいる。愛しい人との間に生まれた子供たち。彼らの顔が浮かぶ。
「分かった。でも、約束して。危ないことしないって。……ちゃんと帰ってきて」
ぎゅっとオベロンの手を握って懇願する立香を、オベロンは優しく両腕で抱きしめる。頬と頬を触れ合わせれば、夕暮れの空気に少し冷えたそれらがお互いの体温で温められてひとつになっていく。
「きみと俺たちの星に誓って」
妖精たちの後を追って雑踏に消えたオベロンの背中を立香はじっと瞬きせずに見送った。慣れない、と彼女は思った。これまでは何をするにも彼女が前線に立つことが絶対条件だった。毒の沼だろうが、宇宙の果てだろうが、彼女が行かねばならなかった。でも、全てが終わって全く違う状況になった。これから先、彼女は待つ側になるのだ。なんという心細さか。此処に至ってようやく、立香は彼女の愛すべき後輩の気持ちを理解した。
(ただ、待つのは辛いね……マシュ)
立香はパシンと頬を両手で叩く。ぼうっとしている場合ではない。不可抗力だが、今は一人きり。さっさと部屋に戻ろうと、ふるりと一つ頭を振ってホテルのドアを潜った。
――と、今まさに扉を出ようとしていた小柄な人物と衝突する。
「あ! ごめんなさい、大丈夫ですか?」
立香にぶつかって、体をよろめかせた人物へと彼女は手を差し伸ばす。その腕を取って体を支えれば、その人、――否、少年の顔が上を向く。焦げ茶の癖毛に縁どられた顔は、まるでギリシャ神話のアドニスもかくやという美しいものだった。が、英霊たちの美しさに慣れ切った立香は、わあ、ごめんね!と相手の幼さの方に気が行く。すると、少年がうるうるとその瞳を潤ませた。ひえっとこれには流石の立香も肝を冷やす。ドアマンに荷物を預けて、立香自身は彼をカフェエリアへと誘う。立香に連れられるままに彼は重厚な色のチェアに座った。彼の前に膝をついて、立香はハンカチを差し出す。
「どこか痛めちゃった? 私の不注意でごめんね」
差し出されたハンカチを目元に当てながら、少年は首を横に振る。紅潮した頬がさらに立香の良心をチクチクと刺激する。
「違うんです。あの、お姉さん、いきなり泣き出してごめんなさい」
瞳を伏せながら、少年は自分の名前を名乗った。アルフォンスと言うのだそうだ。アルフィーと呼んで欲しいと続けた彼の事情を聞くと、どうも彼は多忙な両親に代わって、年の離れた姉とこの地に観光に訪れていたようだ。ところが、昨夜からその姉の姿が見えないのだという。
「姉さんは僕に黙って居なくなったりしません。こんな事初めてで。父と母にも連絡をしたのですが、今大事な商談中だから後にしろって。ホテルの人にも相談しようにも子供の話だと思ってみんなまともに取り合ってくれないんです。イイ人と一緒にいるんじゃないか、なんてことを言う人もいて。僕……」
取り合えず、無責任な大人連中に燕青仕込みの中国拳法を脳内で叩き込んでおくとして、立香は彼の話は他人事ではないぞと思った。神秘の秘匿がある為、確かなことは言えないが、彼は魔術師の家系ではないだろうか。つまり、彼女の姉も魔術師。そして、そして、もしかしなくても、立香たちが追っている事件に巻き込まれているのではないか?
立香は暫し熟考して、徐に手元のスマフォを起動した。電話の宛先は孔明だ。prrと少年の手を握ったままコール音を待つと、ぷつりと待機音が消えた。
『マ……、フジマルか?』
「先生。ちょっと相談が」
かくかくしかじか。まるまるうまうま。
『……十中八九。お前の考えは当たっていると思うよ』
デスヨネー。遠い目になる立香に不安になったのか少年が首を傾げて、彼女を見ている。それに笑みを返して、握った手に力を込めた。少年がくすぐったそうに笑う。昨夜からと彼は言った。丸一日彼はたった一人で姉の不在という心細さと闘っていたのだと思うと、自分の子供たちを思い出してしまい、立香は心が痛んだ。
「このまま待機するのが最善だとは分かってるの。でも、状況から言って悠長にはしていられない気がする。せめて、そちらと合流出来ないかな?」
『ああ、分かった。こっちは〇〇協会に居る。実はさっきここの連中から一年前に街に来た魔術師と連絡が取れない。最近の騒ぎはそいつのせいじゃないかって』
これは割と確信に近づいているのではないだろうか。
「先生、実はさっきオ、 あー、……グッドフェローが知り合いにあって、恐らく同じ人の情報を」
少年が魔術師の出というのであれば、不用意に自分たちの身分を明かすのは得策ではないと立香は咄嗟に嘘を吐く。正直、選りによってそれなのかと自分自身でも思うが、嘘なんて吐きなれてないのだから馬鹿正直に言わなかっただけ褒めてほしい。脳内でバーカと呆れ顔のオベロンに、ほぼほぼ嘘しか言わない(言えない)きみってほんと凄いねと悪態を吐く。
電話の相談の結果、立香は少年と二人で孔明たちがいる教会で合流することになった。出来ればホテルで合流したかったが、少年が二度目の暗闇にもう我慢できない、姉を探しに行くと外に飛び出すのを説得するのに骨が折れたのだ。孔明たちも教会の人間がいまいち情報を出し惜しみしていて、件の魔術師の所在が手に入らない。恐らくオベロンが向かった森が本拠地だと思うが、そこは禁則地になっており、地元の魔術師以外は立ち入り禁止。どうしても向かうというのであれば、協会重役の許可を得ろと言うのだ。実力行使に出れば話は早いのだが、今、カルデアと時計塔は微妙な力関係にある。教会と事を荒立てて、時計塔を刺激をしたくない。折衷案として、姉の居所に心当たりがある人物のところに行くという建前で立香と少年が教会に向かい、孔明たちと合流、――少年を協会に預ける方針となった。
この際、彼らは一つ重大な認識のズレがあった。このズレに気付いていれば、決して孔明たちは立香を協会に向かわせようとは考えなかっただろう。立香は少年の手前、慎重に会話を進めすぎた。結果、正しい情報を孔明たちに伝えらていなかった。彼女は今、独りだった。
会話をしたのは短い時間のつもりだったが、光陰矢の如し。一歩外に出れば、黄昏の空に藍色の夜が迫っていた。完全な夜になる前に煉瓦の道を足早に進もうと立香が踏み出した時、繋いだ少年の手がぴくりと震えた。ぞわり。立香の|勘《センサー》に触れるものが在る。ホテルから少し離れた場所だが、往来に人通りは無い。ざわざわと木々が騒めく。ふらりと二人の前に現れた人影に、立香は咄嗟に少年を後ろに庇う。ずるりと影が動いた。中肉中背の特徴のない男だった。髪はぼさぼさで艶が無く。酷く生気の無い顔に爛々と光る眼玉がぎょろりと立香を見た。
「お、お、おおぅ?あんた、あんた綺麗だなぁ。」
その声はどもり気味で訛りが酷い。英語には随分と慣れたが、日本人の立香には聊か聞き取りづらい。が、男は全く気にせず。嬉しそうに手を擦り合わせている。
「ああ、き、綺麗だ……。こ、こ、コニーと一緒だ!」
パチパチと子供のように手を叩いてはしゃいでいる不気味な男に立香は声をかけた。
「コニーさん?すみません。その方を存じ上げないのですが、一緒ってどういう意味ですか?」
「良かった良かった。見つかった!これで最後、最後なんだ。ああ、コニー。俺の大好きなコニー。優しい君。美しい君。君と同じ回路が見つかったよ。」
ダメだ。言葉が届いていない。バーサーカーと同じ感覚がする。撤退の二文字が立香の脳内でアラートを掻き立てる。じりじりと立香は後ずさる。ホテルへの退路を背中越しに確認しようとした彼女の鼻に――甘い匂いが届いた。バッと口元を抑えたが、遅かった。彼女の脳内がぐらりと揺れる。爪を太ももに突き立てて、必死に意識を保とうとするが、それも数秒の時間稼ぎだった。鈍る思考と視界の中で、コートのポケットからスマフォを取り出した。……力の入らない手から端末が滑り落ちる。カシャンっという金属音と共に彼女の意識も暗闇へと落ちていった。
ビーっと孔明のスマフォが通知音を上げる。驚きと共に画面を見れば、Warningの文字が旋回している。この警告メッセージはマスターに由来するものだ。彼女のスマフォにはカルデアの技術顧問の叡智によって、特殊な仕掛けが施されている。彼女の生態反応を常に監視。携帯から一定距離離れた場合、各メンバに警告メッセージを通知する仕組みになっている。今まさに表示されたメッセージがそれだ。つまり、今、彼女は携帯を手放している状態だということになるが……。合流するという目的がある中で携帯を手放すのは不自然だ。
束の間逡巡して、孔明はオベロンにCallする。Prr……。
『何か?』
「オ、……グッドフェロー。フジマルはどうしている?彼女の携帯から警告メッセージが出ているぞ」
『は?……ホテルにいるはずだろ』
「どういうことだ?僕たちと合流するためにホテルを出たんじゃないのか……まさか、おまえ彼女と一緒じゃないのか?」
『こっちこそどういうことか聞きたいね。彼女にはホテルで待機するように伝えたはずだ。僕は近場の妖精に頼まれて森に来てるけど、彼女から聞いてないの?』
「(しまった……)…………聞いていない。というか、お互いに認識のズレがあったな、これは。経緯は一旦置いておく。反省もだ。兎に角、今は彼女の安否だ。嫌な予感しかしないぞ、僕は」
『……同感だね。運がいいんだか悪いんだか』
「追跡式は……ああ、正常に起動しているな。地理的に、やはりあの森か」
――キャノック・チェイス。
広大な田園地帯に密集した森と空き地が広がっているが、この森には「黒い目の子供」がいるという説があり、また、過去に女児殺害事件もあったこともあり、地元の人々から曰くつきとして恐れられている。現在はこの街の教会によって禁則地として管理されているが、魔女の森という呼称からも過去に神秘の秘匿関連で何かしらがあったことは間違いないだろう。そんな場所に、マスターが一人で赴くはずもない。断続的に地理情報が送られてきているが、移動速度も不自然。明らかに何者かによって拉致されている。
『やれやれ……彼女を迎えに行く。こちらの用事はもう済んだからね』
「そうか、分かった。僕らも用事を片付けたらすぐに合流する。ところで一つ聞きたいんだが、おまえ、意外と冷静だな」
『まあね。犯人もその居場所も目星はついているし。――彼女がこの程度でどうにかなるようなヤツだったら、とっくの昔に俺が汎人類史を滅ぼしてたよ』
じゃあね、と別れの言葉と共にオベロンからの通信は途切れた。ホーム画面を見ながら、ふーっと孔明は息を吐きだす。ああは言ってみたものの、実のところ冷や汗が止まらなかった。確かに彼は冷静だった。電話越しにも特に圧らしい圧は感じなかったが、……。万が一、彼女の身に何かあれば、彼は躊躇なくこの街ごと滅ぼすだろうという直感がある。
(取り合えず、今回は素直に怒られておこう……うう、ジャンヌが居なくて良かった。ボロクソに言われるところだった)
鈍く響いて来る頭痛に眉間を軽く揉みながら、孔明は疲れた声色で対面のものに言い放った。
「というわけで、僕らは森に向かわせてもらう」
「そうですか。困りましたねぇ」
うんざりとした孔明の視線の先に座る、初老の男はこの教会の司祭だという。顔に刻まれた皺は生きた年月を想起させ、温和の雰囲気にそぐわない明朗な知性の光が両目に宿っている。彼の後ろには数名の弟子が控え、重々しい雰囲気を放つ。そして、孔明と燕青の背後にも――。
「今更、腹の探り合いも面倒だ。単刀直入に言えば、あんた達は件の魔術師――ヘイスティングズ・イームズを隠れ蓑に魔術師を殺してその死体を自分たちの研究に利用していた。そういうことでいいんだろ? なんといってもこの辺りの魔術師の得意な魔術系統は死霊魔術だものな」
「なんと恐ろしいことを仰る。我々はあの男が殺して捨てたものを拾って有効活用しただけです。それにこれは『上』にも許可を頂いておりますよ」
全く持って反吐が出る。どこぞの妖精王ではないが、これが汎人類史側の人間かと思うと救いがたいとしか言いようが無い。自分とて魔術師の端くれだ。根源への到達には多大な犠牲がつきものであることも、魔術師連中に理性を説くこと自体が馬の耳に念仏だというのは重々承知している。が、街ぐるみで魔術師殺しに加担するとは。世も末だなと彼は再度ため息を吐く。ああ、タバコが吸いたい気分だ。そんな孔明のことなど歯牙にもかけていないのであろう初老の男は、皺を深めながら微笑んだ。
「実に良き日です。こうして、貴重な検体を2つも入手出来るとは。我々の研究は新しい境地へと辿り着けるでしょう」
司祭の言葉を切欠に包囲網が気色ばむ。前後、さらに扉の奥からも多くの気配を感じる。こんなことであれば、最初からオベロンに助力してもらえれば早かったなと己の慢心を反省する。が、二人に休んでもらいたかったことも事実なので、我らのマスターの運の悪さを嘆くに留めておく。思考する孔明の耳に、涼やかな声が届いた。
「先生さんよぉ。俺は難しいことは分からんのだが……こいつらは俺らの邪魔ものってことでいいのかねぇ?」
両家の子女といった風情の長身の女から突如男の声が聞こえたことに、司祭の目が大きく開かれた。流石に人格が曖昧になるドッペルゲンガーなどはほいほい使えないが、魔術師相手にも通じるのであれば、彼の変装技術はスキル匹敵すると言ってもいい大したものだ。
「ああ、間違いなく邪魔ものだな」
「そうかい。じゃあ、遠慮なく」
どさりと、前触れなく孔明の背後の魔術師が倒れる。「貴様!」がたりと司祭が立ち上がるが、それを制止する人物がいた。音もなく、テーブルの上に立っていた人物――絹のように美しい黒髪に切れ長の瞳。まさしく絵に描いたような美丈夫であるが、その体は限界まで鍛え抜かれた武人のそれ。そして、その肉体には色鮮やかな刺青が咲いている。天巧星の青い瞳がひたりと老人を射抜く。
「運が無かったねぇ……。――我が主に刃を向けようというなら、我が絶技をもってお前たちを叩き伏せるのみ」
射抜かれた老人はその圧に耐えきれず、どさりと椅子に崩れ落ちた。それを見たサイドの魔術師たちが手を振り上げようとして、悲鳴を上げる。突如激痛が走った両腕を抱え込むようにして蹲った。
「やれやれ。結局いつもの流れか。ま、魔術師相手じゃこうなるよな」
孔明は手元の本を広げながら、その様を呆れ気味に見下げる。その余裕綽綽たる様に、老人は混乱する。これまで幾人も魔術師を手にかけてきた、いつもの調査員ではないのか?確かにこれまでとは毛色が違うが、それはそれで都合が良かった。魔術師の死体などそうそう手に入らないのだから、被検体は多様であればあるほど良い。『いつもの狩り方で――』そう思っていたのに、いつの間にか自分たちが狩られる側になっている。混乱はそのまま疑問となって口から零れ出た。
「お、お前たちは一体……!」
その質問に孔明は肩を竦める。
「ただの学生と拳法家だよ。――ただ、僕たちが何時か辿り着きたいと願った理想形のね」
一方、通信を切ったオベロンは目の前の女を見た。赤毛の女は物悲しい表情を浮かべている。彼女の体は透けて、後ろの森のグリーンが見える。彼女はゴーストだった。妖精たちにつれてこられたこの森であったのがこの人物だ。ゴーストとも言えぬ、ほぼほぼ残留思念の彼女を嫌々ながら妖精眼で見れば、粗方の事情は把握できた。一連の騒ぎを起こした男――ヘイスティングズ・イームズは、病気で亡くした婚約者、つまり、彼女ことコニー・ハーグリーヴズの復活が目的なのだ。心底どうでもいいな、とオベロンは半眼になる。死者の蘇生など魔法ですら成しえていない。一介の魔術師風情が夢見るには壮大過ぎる領域だ。ホムンクルスならいい。幻影の投射でもマシだろう。
(端から無理だって分かっているのにねぇ……。人類ていうのはつくづく理解しがたい生き物だな)
失ったものに執着し過ぎて、正常な判断すら出来なくなったのだろう。一体何を見たかあるいは誰かに吹き込まれたのか、件の男は、彼女と同じ魔術回路を持つ魔術師を殺し、その回路を寄せ集めれば彼女を蘇生出来ると信じているのだ。そうして一連の事件は引き起こされた。彼女の回路は全部で21個。現在、20個まで集めれられたという。そして、栄えある最後のパーツとして、我らがマスターが選ばれた、と。そういうことらしい。ああ、全く持って馬鹿らしい茶番だ。
「事情は分かったよ。――ああ、勘違いしないで。教会の事情も君の願いもどうでもいい。俺は彼女を迎えに行く、それだけだ」
外套を翻し、オベロンは幽霊の女に背を向ける。鬱蒼とした森を迷いも無く歩いていく。小妖精たちが案内しようとしているが、睥睨して散らす。どいつもこいつも何を勘違いしているのだろうか。まさか、自分がヒーローよろしく事件を解決するとでも?馬鹿馬鹿しすぎて涙が出そうだ。彼の視線の先、小さな洞穴が見えた。そのすぐ傍の小岩の上に一羽の鳥が止まっている。オベロンが手元の端末をその鳥に掲げれば、ピピっという音共に小さな魔法陣が展開される。ぐにゃりと鳥が歪み、手のひらサイズの平たい端末に成り代わる。これは、カルデアが開発した追跡式だ。普段は携帯の様式を取り、登録した持ち主の生態反応が一定距離離れると通知を出す。その後、小型魔法陣が自動展開され、鳥型の式となって持ち主を追うように作られている。現代魔術と科学の融合の叡智である。携帯を手に取って、オベロンは一つため息を零した。式を発動させる為にわざと携帯を落としたであろう立香に向けられたものだ。伊達に人類最後のマスターはやっていないということは良く分かったが、彼女の状況対応能力に喜べばいいのか嘆けばいいのか。一つ付け加えるならば、彼女の送った指輪と契約があるので、正直これが無くともオベロンは立香が世界のどこに居ようとも居場所を感知出来る。なので、無用な機能ということなのだが。(因みにその事実を立香は知らない)ここにアルトリアが居たならば『はい、犯罪。夫婦だからってやっていいことと悪いことがあるんですよ。このストーカー野郎!』と叫んで糾弾したであろうが、幸いなことにオベロンしかいないのでその戦争の開戦は免れた。
「うげぇ、この中かよ。服汚れそう。……はあ、仕方無い、行くか」
ガシガシと乱雑に頭を掻いて、オベロンは洞穴に足を進めた。
ぽこぽこという水音で立香は目が覚めた。ぼんやりと天井を見上げて、立香は口の中のじゃりっとした感触に眉を寄せる。最後、口の中に入れた中和剤は運よく麻痺だか睡眠だかのデバフ解除に適していたようだ。薬も毒もこの世に数えれきれぬほど存在する。故に、利用されたものが不明な状態で弱体解除に適するものを用意するというのは、本来は難しいものなのだ。しかし、そこは流石のカルデア技術班。実践経験がこの世のどの組織よりも豊富になってしまった。治癒が得意な神代魔術師も居るし、なんなら治療に命をかけている医者と看護師もいる。広範囲のデバフに有効な中和剤の一つや二つ所持しているというものだ。先ほどよりクリアになった脳活動で、状況を確認する。寝台らしき場所に横たわり、両手と両足が拘束されているようだ。天井はあまり高くない。室内は少し暗く、あちらこちらに蝋燭が灯されている。一酸化炭素中毒とか大丈夫だろうか。と立香が場違いなことを考えていると、自分の左側の空気が動く気配がする。頭と視線をそちら側に向ければ、男が大きな水槽にぶつぶつと話しかけている。
「コニー。コニー。俺の大切な人。もうすぐだ、もうすぐなんだ」
やはりこの男に拉致されたらしい。周囲を見渡す。あの少年の姿はどこにも無いと分かり、少し安堵する。ここではない場所に拘束されているのだろうか。出来れば、あの瞬間に逃げていてくれたらいいのだが。……分からないことを考えていても仕方ない。まずは自分の状況から改善しなければ、と立香は思考を切り替える。もう一度、男の方を見る。大きな水槽は、まるでカルデアのコフィンのような形だ。その中にゆらりと影が見える。じっと目を凝らして、――見るんじゃなかったと後悔する。(恐らく培養液が満ちている)水槽の中には、肉塊としか評しようのない冒涜的なものが在った。これまでの経緯から推察して、あれは人の一部を接ぎ合わせたものなのであろう。連れ去れる前に、男が口にしていた回路という言葉。恐らく魔術回路のことだ。男はコニーなる人物と同じ(類似するが正確)魔術回路を持った人を襲い、ああして繋ぎ合わせている。何のためにか――。何と無く理由は察してしまうが、だからと言って彼に同情する余地は無い。まだ懸命に水槽に向かっている男の意識はこちらに無い。立香は両手の中指を親指で触れる。そこには認識阻害の術がかけられたリングがあった。多重リングになっているそれをクルクルと数度回して、かちりと嵌る音が聞こえたら、小さな突起が出現したことを確認する。そして、両方のリングの突起を同時に押し込む。すると、リングから何かのジェル状の液体がじゅわりとあふれ出た。
「……」
その液体はゆっくりと立香の肌をなぞりながら、拘束具に向けて流れ行く。液体が通ったところからヒリヒリとした感触がするが、ぐっと堪える。やがて、拘束具に辿り着いた毒々しい紫のそれは、音もなく金属を溶かし始めた。難しいことは分からないが、これもカルデア技術班の新アイテムだ。今回の調査にあたり立香用に仕立てられた様々な防犯グッズの一つで、一定の物体に対して溶解効果をもたらすもの、その名もトロケール君……失礼、これは俗称である。万能溶解液・カソエキーシィと言う。
(よし、両腕は外せた)
両腕が解放されたことを確認して、立香は慎重に身を起こす。そして、迷いなく紫の液体を救って足元の拘束具に垂らす。あまり触りたくないが、四の五のは言っていられない。じりじりとした速度で金属が解けていく。左足は解放された、そして、右足ももう直ぐというところ、――カランと音が鳴った。ばっと男が振り返る。立香はやってしまったと臍を嚙んだ。左足の拘束具が溶けて、一部が地面に落ちてしまったのだ。
「あ? ま、な、なんで? なんで起きている?」
ガント――は残念ながら無い。人理救済後、殆どの礼装は封印扱いとなっている。
「だ、ダメだろ。ダメなんだよぉう。お前の回路じゃないと同じじゃないんだぁ、コニーと同じ、同じぃ……コニー! コニー! こにぃいいい!」
髪を振り乱し、喉を掻きむしって詰め寄る男に、立香は叫んだ。
「それはコニーさんじゃない!」
「!」
男の瞳に微かな動揺が走る。その焦点の合わない瞳を、立香は強く見返す。黄金の瞳が一等星の如く燃え上っていく。
「どんなに辛くても、どんなに悲しくても! 死んだ人を、……自分の為に利用したらだめだよ」
7つの異聞帯、そこに住まう人々。カルデアに来てくれた英雄達、その人生の苦悩と悔恨。生きろと言ってくれた。本当はみんな一緒が良かった。誰一人欠けることなく。消えることなく。立香の脳裏にこれでよかったと笑う医者と――たった数分の命、真に人を想い、正しく『人の王』であったものの姿が浮かぶ。ああ、遠い日になってしまった、立香が置いて行った人たち。立香を置いて行った人たち。
「苦しむ人を救おうとする人達を知ってる。やり方無茶苦茶だけど……。それでも、越えちゃいけない線を守っている。決して、死者を冒涜するような真似はしない」
死という概念を打ち壊すために、幾度も幾度も挑み続けている人、――否、神さま。人を救うために人を殺すという矛盾極まりない、けれど、たった一つ。苦悩するものの為に戦場に立ち続けた天使と呼ばれた人。
「会いたいって気持ちも、どうしてって誰かに詰め寄りたい気持ちも、あるって知ってる。でも、無かったことになんて出来ない。終わりを無意味にしたらいけない。ましてや、誰かを傷つける理由にしたら、きっともう大事な人たちに向き合えない」
立香の言葉に、男はブルブルと震えながら首を横に振る。狂気の瞳には悲しみの涙が流れている。ああ、彼も分かっている。けれど、止まれない。願うことを、止めれない。狂ってしまえば楽になれるのだ、何も考えずに妄信する気持ちを弱き心と安易に退けることは、立香には出来なかった。
「ぅるさいっ! うるさいっ! コニーを取り戻すんだっ、俺は、おれはぁっコニー以外何もいらない!」
男の煤汚れた手が立香に延ばされる。残っていた右足の金属を跳ね上げて、寝台から転び落ちた。ガシャン――!と盛大に器具を落としながら立香は素早く身を起こす。男が寝台から回り込んで立香に再度を手を伸ばした。
『いいかい、マスター。人間の動きっていうのは線だ。骨格や腕の長さってのは変えれない。俺たちが戦っている化け物とは違うんだぜ(笑)』
両手を胸の前に掲げ、踵を少し上げる。そういえば、自分はボクサークラスのサーヴァントだと言ったものがいたなと埒も無く思い出す。すとんと体から緊張のこわばりが抜けた。真っ直ぐに彼女に向って伸ばされた男の右手。自分に触れる少し前、立香は左足を軸に素早く半身を捻る。そして、勢いよく通り過ぎる男の背を両手を使って突き飛ばした。派手に倒れた男に目をくれず、素早く部屋を見渡して、扉を探す。そこに、「立香お姉さん!こっちだよ!」幼くも凛々しい声が立香を誘った。
一二も無く、立香は駆ける。陸上ハードルのように、タンタンタンと散乱したものを飛び越えて、閉められた扉にぶつかる。咳き込みながら、部屋を転び出た。
「こっち!」
出た先――廊下の左手側から声がする。体勢を低くしながら、そちらに向かって走れば、数メートル先の突き当りで、連れ去れる直前まで一緒にいた少年――アルフォンスが手を振っていた。彼はこちらが目視したのを確認して、先を走った。真っ直ぐ、右折、右折、真っ直ぐ、左折とぐねぐねと廊下を走っていく。大きな扉が見えた。扉の横のレバーを引くと扉が重い音を立てて開かれた。飛び込めば、何か広いホールのような大きな空間になっていた。先ほどまではモグラの道のように狭い通路だったが、一転して、高い天井に音が響く。ギイイイイ、ガッシャン!と背後から扉の閉まる音がする。ぜえぜえと荒い息が続いた。
「ここまで来れば……はぁ、はぁ。後もうちょとだよ、立香お姉さん」
息苦しそうにしながらも、アルフォンスは笑みを浮かべて、立香の手を取って歩き出した。
「この先をもう少ししたら、僕たちが連れてこられた洞窟の入口が」
「聞いてもいいかな」
すっと立香は握られた手を離して、少年の言葉を遮った。ぴちょん、ぴちょん、と何処かで雫の落ちる音がする。少年は振り返らなかった。
「私、名乗っていないよね。……何処で私の名前を知ったのかな。教えてくれる?」
何度か雫の音だけが響いて、立香が見つめる先、すうと少年の体が息を大きく吸い込んで、はーっと大きく吐いたのが分かった。くるりと少年が振り返る。その顔の美しさは出会った時から何一つ変わらず、幼気な少年のままだった。
「うーん、慣れないことはするもんじゃないね。お芝居とかしたことないし」
えへへと照れ臭そうに笑う彼に、立香は先ほどの狂人の男より薄ら寒い予感を感じ取る。足裏に力を込めれば、じゃりっと砂を踏みしめる音がした。右手で左手首を押さえた立香にアルフォンスは首を傾げた。
「僕、立香お姉さんに何かしたかな……。何もしていないよね? なのに、そんな風にされると僕ちょっと悲しいな」
彼の緑の目が暗い洞窟の中でキラリと光るような気がした。咄嗟に目を伏せようとした時、背後から轟音が響いた。あーあ、追いつかれちゃったとアルフォンスはまるでゲームをしている子供のような口ぶりで事態を告げる。バックステップでアルフォンスと背後の扉から距離を取りつつ、吹き飛ばされた扉の向こうを見れば、シューッシューッと異音が聞こえる。ボサボサの髪は不自然に膨らみ伸び、全身に鱗のような文様。だらりと伸びた舌は人にはあり得ない長さと形状。スプリットタンと呼ばれるそれは、ある爬虫類の特徴だ。人の面影は少ないが、立香を連れ去った男が異形の姿を晒しながら立っている。
「獣化魔術――の出来損ない、だよ」
アルフォンスの場違いな程、落ち着いた声が立香の耳に届く。
「獣っていうか、蛇だから正確には違うんだけど。まあ、系統として理解してもらえればいいよ。彼、ヘイスティングズ・イームズて言うんだけど。イームズ家自体はとっくの昔に没落した一族なんだけど、彼だけ隔世遺伝したみたいでね。ご先祖様の貴重な魔術の復活例ってことで、それはそれは大事にされたみたい。馬鹿だよねぇ。折角の貴重品をあれこれ弄繰り回したお陰で、御覧の通り。魔術師としては使い物にならない程、精神が弱体したみたい。ああ、でね? その出来損ないと親しくしてた女がいてね。家としてはもうちょっと格上の女を宛がいたかったみたいだけど、その女じゃないと全然精神が安定しないからさ。仕方なく婚約者にしたんだって。でもさぁ、聞いてよ。これが傑作なんだけどさ。その男も女もさ、別に恋愛感情じゃなかったみたいなんだよ! なんだろうねぇ、親子? 姉弟? そんな感じだったみたい」
何時まで経っても子を成さぬ二人に焦れて、両家は強制的に彼らを番わせようとした。と少年は何かの書物を読み上げるように言葉を続けた。そして、惨事は起きた。女は男の魔力に激しい拒絶反応を示したのだ。隔世遺伝した彼の魔力が特殊だったのか、最初から相性が悪かったのかは分からない。ただ、事実として、女は数週間、苦しんで苦しんで――死んだ。元から脆かった彼の精神は、ひび割れて使い物にならなくなった。ジッと虚空を見つめる物言わぬ彼を家の者は大層扱いに困ったそうだ。殺すには彼の魔術特性が惜しかった。番わせようにもうんともすんとも言わぬ。だから、ある人物から申し出に否やも無く頷いた。ヘイスティングズ本人、彼もまた、その人物から告げられた言葉に正気の光を灯したのだと言う。
その狂気の瞳が立香を捕らえた――。迫りくる大きな手を、身を屈めてやり過ごす。立香はそのまま真っ直ぐ駆け抜けて、90度に右に旋回する。すぐ後ろに風が起きた。大きな影が先ほどまで彼女が居た場所に覆いかぶさっている。再び身を起こしてこちらに突進してくる彼の瞳には涙があった。それを苦し気に見つめながら、立香はポケットから小石を取り出して投げる。「Ansuz!」カッと光が走った。本家のように火のルーンなど使いこなせない。精々明かり替わりのそれも、この暗い洞窟では目くらましになる。ぎゃあ!と男の悲鳴が光の向こうで聞こえた。
屈めていた背を伸ばし、立香は大きく息を吸い込む。
「 天枢 天璇 天璣 天権 玉衡 開陽 揺光
我が身に集いし、七天の星々よーー。
我が望みと共に、巡れ、廻れ、回れ。
疾く遍く解放せよ。我らが至るは、人理の果てなり! 」
彼女には様々な師がいたが、その中でも最初の先生となった人曰く、魔術とはイメージなのだとか。ルーン文字なども最初から力ある文字なのではない。力がある文字なのだと認識すること。それを口にすること、描くことで、自分も力を得られるのだと、そう自分自身に、世界に――認識させるのだ。だから、立香も自分の内海をイメージする。何もない夜空には七つの星。それは聖杯。彼女の魔術回路と同期する7つの点を七星に準えて、自分の中に星があるのだと認識する。その星を認識することで彼女の中の回路(聖杯)から僅かながらも魔力を巡回させることが出来るようになった。多大なるトレーニング時間を費やしてこれっぽちという残念感が無いわけではないが、それでも魔術礼装を着なければガントすら打てなかった味噌っかす魔術師よりマシである。
左手を銃の形にする。右手で手首を掴んで、――叫んだ。
「Gant!」
パチパチと小さな拍手が起きる。アルフォンスだ。入口に続く道に立って彼は言う。
「お見事。で、結局どうするのかな。君って殆ど魔術使えないんでしょ? カルデアの報告書にそう書いてあったもんね」
「……」
「まあ、面白いものは見れたかなぁ。このまま殺されちゃうのは僕としても都合が悪いし。ね、立香お姉さん。僕が助けてあげようか?」
ゆらりと蛇の男が立ち上がり始める。先ほどのガントの威力が切れ始めているのだろう。しかし、立香は首を横に振った。
「いらない」
一度立ち上がったはずの男の体がどぅっと地面に倒れ伏す。おや、とアルフォンスは眉を上げる。ガントは唯の拘束術でしかないと思ったが、もしや彼女は特殊な使い手だったのだろうか。これは思わぬ収穫と彼が喜んだのもつかぬ間。倒れた男の背後からひらりと蝶が現れた。ピーコックグリーンのそれはひらりひらりと宙を踊り、やがて、立香の肩に止まる。
「あれ?」
それを見ていたアルフォンスは自分の胸元に違和感を感じる。視線を下に下げれば、大きな槍が彼の心臓を貫いていた。興味深そうにその槍に触れようとしたが、その槍は黒い塵となって消える。彼の体に穴が開いたが、血は流れなかった。
「ああ、やっぱり。幻影だね」
これまでのどの人物とも異なる声が聞こえた。きょろきょろと辺りを見回して、アルフォンスは立香の肩に留まる蝶を見た。どろりとその蝶が溶ける。溶けた闇色のそれから白い王子が現れた。月光の光を集めたような銀糸。森深くにある静謐を讃えた湖畔の瞳。きらきらと彼の体には光の粒子が舞い踊っている。立香の隣、妖精王オベロンは恭しく一礼をする。
「颯爽と登場ってね」
「わーお。まるで物語の王子様みたいだ」
パチパチと再びアルフォンスが手を叩いた。彼はニコニコと笑って、立香を見ている。
「いやぁ、すごいねぇ……サーヴァントってやつ?なるほどなぁ。今回見れるとは思っていたけど、実際目にすると面白いね」
「お褒めに預かり光栄だよ~☆ ――それで、君はどちらさまかな?」
ぱちりと瞬きをして、彼はそう言えばちゃんと名乗っていなかったねと頷いた。そして、オベロンがやったように一礼をする。アルフォンス=ファーガス・ゴールディングと彼はそう名乗った。
「遺物の保護管理を命題とする伝承科の生徒さ。一応、ゴールディング家の当主でもあるよ」
初めの頃の頼りなさげな風情はどこにもない。泰然自若としたまま、彼は微笑んだ。微笑のそれはどこまでも清んでいるのにどうしてか狂気じみている。胸に穴をあけたままで会話をされれば当然か。きもちわるっと呟くオベロンの声に立香は幾らか気持ちを落ち着ける。
「もしかして、今回の調査依頼を出したのは君?」
「そうだよ。カルデアのマスター、立香お姉さんに会ってみたかったんだ」
「どうして?私のことなんてもう散々査問で調べつくしてると思うけど」
「んー、でも、ほら。僕は伝承科の生徒だから」
「?」
すっとアルフォンスが立香を指さした。あるでしょう?僕たちが遺物と呼ぶに相応しいものが、と彼は言う。ぞわり――立香の背に鳥肌が立つ。初めて見せた彼女の強張った表情にアルフォンスは指さした手とは逆の手で頬に手を当てて喜んだ。彼の幼い容姿に似合う仕草に吐気がこみあげてくる。嫌だなと思った立香の視界を白い背中が遮った。
「なんでもいいんだけどさ。君、そろそろ帰りなよ。どうせここにいるのは幻で本体は時計塔あたりにいるんだろ」
きょとんとアルフォンスがオベロンを見るが、彼は興味無さそうに「紛い物でもバラバラに引き裂いて幕引きしてほしいっていうならそう言ってくれる?」と再度、退却を促す。むぅとアルフォンスは口を尖らせるがオベロンの言に従うらしい。
「あ、そうだ。これからも僕の依頼を受けてね。ちゃんと立香お姉さんを指名するから、他の人に回しちゃだめだよ。もし、そんなことをしたら……僕うっかりみんなに言ってしまうかも。立香お姉さんのひ♡み♡つ♡」
ウィンク一つして、アルフォンス――だったものは沈黙した。ずるりとその体が地面に落ちる。ぐちゃっという音がした。しっかり見ようとした立香をオベロンが引き留める。「死体だ。死霊魔術だな」言われた言葉を理解して、ますます立香は胃の中を引っ繰り返す。先ほど見た体は小さかった。つまり、あれは――。はぁと吐きだしたため息が二つ重なる。オベロン、と立香が声をかける前に、オベロンが振り返り、立香の頬をぐいっと抓り上げた。
「いひゃいいひゃい!」
「俺の言いつけを破ってホテルを飛び出したのはどこのおバカさんかなぁ???」
ぐっと立香の喉が詰まる。しおしおと抗議に上げていた手を下げて、ごめんなさいと謝る。オベロンは、はあっと特大のため息を零しながら、彼女の頭にストンと一つ手刀を落として「帰るよ」と告げた。
ホテルで孔明たちと合流した立香は、やはりというか当然というか怒られた。僕も悪かったけど、お前もちゃんと情報は正しく伝えろ!とのこと。ぐうの音も出ないので、立香は粛々と頭を下げ続けた。まあまあと燕青が取りなして、その日の説教は1時間程度で切り上げられた。みなまで言うまでもない、その日の説教だ。明日になればまた有難ーいご指導が待っている。ぱたりと閉じらたドアから離れ、力なく立香は椅子に座った。
「先生に怒られたのが堪えた?」
怒られるのいつものこと。きみの専売特許でしょ。と隣の椅子に腰かけたオベロンが揶揄いの言葉を掛けつつ、彼女の左手を握る。その手は少し冷たい。ふるふると頭を力なく横に振った妻にオベロンは失笑した。妖精眼で彼女の内心は分かっているが、口に出させることに意味があるだろう。言いたいことがあるなら言えば?と促してやると、立香はぽつりとぽつりと心中の不安を話し出した。
「……どうしよう。ううん、こうなる可能性はあった。遅かれ早かれだって、分かってたよ。でも、いざ聖杯のことが露見したって思うと……怖い。もし、あの子たちに何かあったら。」
立香の脳内で先ほどの孔明との会話が蘇る。蛇の男、彼はオベロンによって命を絶たれた。その死体は後日、事情を聞いた時計塔の人間が『回収』しにくるという。恐らく彼の工房にあった人を目指そうとした何かとともに『廃棄』されるか『利用』されるか。その処遇を聞けば、否応無しに自分や子供たちの行く末を想像してしまう。
やっぱり今のままなんて私の我が儘だったのかな。立香は力なく笑った。そんな立香を見て、オベロンはため息を零す。
「前々から言ってるだろ?……我が儘でいいんだよ。これまでずっと他人の為に頑張ってきたやつが褒美も何もなしなんて酷い話じゃないか。妖精国でつけた俺のツケを全部払えるくらいの報酬をせびっても罰は当たらないよ。それこそ、皺皺のおばあちゃんになるまで好きなように生きなよ」
そう言ったオベロンに対して、立香は今度は違う意味で微妙な表情を浮かべた。すっと顔を背けて、オベロンの妖精眼を避けるそぶりを見せる。そんなことをしても無意味なのだが。
「ええ、なんだって? 自分だけ皺皺のおばあちゃんになるのがいや?」
「読まないでよ!」
不可抗力ですーとオベロンはむくれた立香の頬をつつく。あーあと立香は諦めのため息を吐いて、オベロンを正面から見つなおす。じっと彼女の黄金の瞳がオベロンに注がれる。真面目な表情に笑いがこみあげてきて、オベロンは彼女にキスをした。ちゅっと軽い音の後に立香は震える声で尋ねた。
「私が……おばあちゃんになっても一緒にいてくれる?」
キョトンとした表情を浮かべた後、うーんと難しそうな顔でオベロンは唸った。嫌なの!?と立香が一人百面相をしている横でオベロンは腕を組んで、彼には珍しく言葉を選びながら、あのさと切り出してきた。
「逆に質問なんだけど……いつまで、その、きみは俺とそういうことが出来る?」
は?と今度は立香の方が微妙な表情になった。え、どういう意味それ、と彼の言葉の意味を測りかねていると、人間の基準良く分かんないしとオベロンは言い訳のようにぶつぶつと呟く。
「だから、出来れば……きみがおばあちゃんになっても、SEXしたいんだけど。それって人間的にアリなの」
「ごめん、……なんて? いや、待って。うん、うん。うん?」
彼の言葉の意味は分かる。が、意味が分からない。立香は混乱している!SEXって言った?立香は確かもっとこうハートフルな質問をしていなかっただろうか?なんでそんな話になる?ていうか、真面目に言うと勃つのか?無理では?と彼女の中でクエスチョンマークが飛び交う。そんな彼女に追い討ちするようにオベロンが言った。
「いや、余裕で勃つけど」
なんなんだろうかこの妖精王。頭がピンクなのか。そうかそうか……。なんかもう私の方が可笑しい気がしてきたぞぅ。
立香は思考を放棄して、オベロンがしていたように腕を組んで天井を仰いだ。ぼりぼりと頭を掻きながら、居心地悪そうにオベロンは補足する。
「ご存じの通り、俺は世界が気持ち悪いわけだけど。でも、きみは別。きみとする行為は全部、……悪くないよ。誰だって汚いものより綺麗なものが欲しいし、不味いものより美味しいものが食べたくなるものでしょ。
俺にとってはきみがそうなんだ。見た目なんてどうでもいい。きみという存在かどうか、それだけが基準なんだよ」
「…………」
立香は天を仰ぐのを止めてオベロンの横顔を見る。
「もちろん、きみの体には配慮するし、きみが嫌ならしない。……ナカでするのは無理でも、ほら、手とか色々やりようはあると思うんだけど」
いや、もう本当に。いい加減その顔でとんでもないことを言うのは止めてくれないだろうか。半ば放心気味に立香は、そんなにしたいの?聞いてしまった。
「したい。出来れば死ぬ間際までしたい。なんならSEXしながら死んでほしい」
「うははは、最悪! ていうか、サイテー!」
あんまりやしないだろうかこの人。自分の発言の意味を理解していらっしゃらないかも。立香は碌でもない夫の回答にゲラゲラ笑った。
「はー!? 言っとくけど、虫だからね、俺。虫の中には交尾して死ぬやつもいるんだからな。虫の性欲なめんなよ」
(だから、基準がおかしい。)無理やめて笑い死ぬと立香は、ヒイヒイ咳き込みながら笑って、零れ落ちた涙をぬぐった。
「分かった分かった。じゃあ、約束ね。そっちが言い出しっぺだからね。私が皺皺のおばあちゃんになっても私とエッチしてくれるって言ったんだから、前言撤回とかしないでよ」
「そっちこそ。疲れるからヤダとか言うなよ。きみの最後は俺に抱かれながら死んで、死体は俺が残さず食べる。そうしたら、後は奈落に真っ逆さまだ――。死んでも離さないから覚悟しとけよ」
「いいね、それ。うん……、それがいい。約束。嘘ついたら針げんまんのーます。指切った!」
「こわっ!なにそれ。汎人類史って、やっぱり狂気の沙汰だな」
「いやいや、これはそういうお決まりというか、……うん、もういいや。めんどくさい」
「説明責任の放棄とか良くないと思う」
「えー、やだー、めんどくさい」
「なんだって!?この、この、こうしてやる!」
こちょこちょとオベロンは立香の脇腹を擽った。やめてやめてと立香が悲鳴を上げながら身を捩れば、だんだんとオベロンの手つきが怪しくなってきた。
「ちょっと、王様。手つきがやらしいんですけど?」
「自然の摂理だよ。きみは俺の番なんだから、イチャイチャするのが当たり前だろ」
「(イチャイチャ……)大丈夫? 自己の定義崩壊していない?」
「よく言うよ。それをぶち壊した本人の癖に」
「えー、記憶にございません。……うそ、めっちゃある。はい、私がやりました」
「素直でよろしい。ところで、俺もぶっちゃけていい?」
「なんですか、オベロンさん」
「SEXしたい」
「もー! そればっかじゃん!」
立香は椅子にあったクッションをオベロンの顔めがけて投げ飛ばす。ばふっと音をさせながら、オベロンがそれを叩き落した。
「だって、家に帰ったら出来ないだろ!?子供たちは奈落の穴に入れてもいいぐらい可愛いけどさー。こればっかりは辛いものがある」
「必死か。てか、入れないで。(色々アウトだけど、今はスルーしよう)……昨日もいっぱいしたじゃん」
「昨日は昨日。今日は今日」
「流石に控えて頂きたい」
「無理。ていうか、俺に性欲を覚えさせたのきみなんだからな。責任持てよ」
「うっわ。凄いこと言い始めた。べ、別に、私のせいだけじゃなくない?」
「はー?正真正銘きみのせいですけど? 俺の体をこんなにエッチにした責任取ってよね」
「ぎゃあ!語弊がある言い方しないでよ!! どっちかて言うと、それは私のセリフじゃない!?」
「へー、そうなんだ。俺のせいでエッチな体になっちゃったの?」
「…………」
「それは大変だ。本当に俺のせいでエッチな体になっちゃったのか、ちゃーんと調べないと、ね?」
にんまりと笑ったオベロンに立香はもう馬鹿な質問をするのは止めようと思った。それから、ぐったりとした体を起こして、先ほどから不埒に動き回る彼の手をぺしりと叩いた。むっとする彼に苦笑して、その広くは無い胸に飛び込んだ。
「大変だよ、立香。調査の結果、きみの体、どこもかしこもエッチになっちゃってるよ」
「(息絶え絶え)」
「これは早急な治療が必要だね。具体的に言うと耐性を付けるしかないと思う。というわけで、SEXしようか」
いそいそと服を脱がすオベロンに特大のガントがぶち込まれたことは言うまでもない。
夫婦がイチャコラしていた頃、世界の何処かにあるカルデアは――未曽有の大災害に見舞われていた。
ビーッビーッビーッ!
第一居住区画にて火災発生。火災発生。一般職員は第二、第三区画へ速やかに避難してください。
Warning! Warning! Warning!
魔力圧、警戒レベル3からレベル1まで上昇。第1エリアに対魔力障壁を展開します。
繰り返します。一般職員は第二、第三区画へ速やかに避難してください。
ビーッビーッビーッ!
「MayDay! MayDay! MayDay! こちら第1エリアのネモだよー! 対象1の魔力圧が更に上昇!対象2、3の魔力圧も上昇傾向! わーん! 船長ー! ダヴィンチー!」
消火器を持ったマリーンズが慌ただしく廊下の火災の鎮火にあたる一方で、マシュとスカディが防御壁を展開している。
「まさかこれ程とは!」
「くっ、このままでは突破されます! 管制室、応答願います! もはや一刻の猶予もありません! マスターを、マスターを呼んでください!!」
モニターの惨事を前にして、所長ゴルドルフはごくりと生唾を飲んだ。
「分かっている……分かっているとも。しかし! 今、彼らはイギリスにいるんだぞ! そんな直ぐに来れるか、バカモノー!」
ねえ、ねえ、どう見てもこれ我々詰んでない!?と彼は管制室で事の成り行きを見守っている運営チームに泣きついた。
「あちゃ~、途中までは順調だったんだけど、ね……。いや、それにしても流石はあの妖精王の血を継いでいるだけのことはあるよ。まさか第1エリアを吹っ飛ばす勢いで泣かれるとは思わなかったな」
あははとダヴィンチが冷や汗をかきながら見つめるモニターの先、両親の不在にとうとう癇癪を起したオベロンと立香の子供たちが映っている。「あ、また一つ計器がイかれた」とムニエルが無情にも現状を伝える。マイルームは……修繕費を考えるだけで恐ろしいことになっている。3人の子供たち、とりわけ長女が凄まじい魔力を放出して泣き叫んでいるのだが、あちらこちらに火の手が上がり、膨れ上がった魔力圧で部屋の壁どころか扉も亀裂が入っている。さながら、コヤンスカヤに襲撃された何時ぞやの日々の再現であった。今、その部屋の入り口でマシュとスカディが魔力障壁を展開しているが、ビシバシと魔力と魔力のぶつかり合いが起きて、更に部屋の壁に傷が入っていく。このままだと部屋が吹っ飛ぶなとスカディが言った側、
びえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!
と凄まじい鳴き声の輪唱が始まった。子供たちが顔を真っ赤にして泣くこと風林火山。長女のボルテージは最高潮。一度走り出したらノンストッパブル。止まらないボルケーノなのだ。次女も長男も小さく泣いているが、段々と魔力の渦が高まっていく。
(うっ……また魔力圧が! ――不甲斐ない後輩でごめんなさい、先輩。私はもうここまでのようです……マシュ・キリエライト、この命に代えても!)
マシュが悲壮な覚悟を決めたその時、彼女の肩にふわりと白い毛玉が舞い降りた。
「フォ、フォウさん!?」
「フォウフォーウ(特別意訳:まかせて)」
トンッと軽やかに彼は跳躍する。マシュたちの展開する魔力壁のその先に。あっ、とマシュが手を伸ばすが届かない。
「そんな! フォウさん!!!」
跳んだ勢いのまま、彼は二度バウンドして、――長女の顔に突っ込んだ。もっふるもふもふ、ふわっふっわ。
かくして、戦争は終わった。後にLDSD(Little Devils’ Scream Day)と名図けられた恐るべき災厄は一人の英雄――獣によって静められたのだ。無事に帰国した両親がマイルームと死屍累々の居残り組を見て、すわ時計塔の襲撃かと勘違いするも真実を知らされて卒倒しかけるのだが、それは別の機会に語るとしよう。
定期的にマスターの出張が確定してしまったカルデアの命運は如何に。
次回、『悪魔は二度泣く? お願いベイビー泣かないで!』でお送りします。(嘘)