前奏曲★星の海できみとふたり

ピアノとヴァイオリンと、三拍子と七拍子。煌びやかな音楽がフロアに鳴り響いている。おとぎの国の特異点を無事にクリアした後、シンデレラ姫の立っての願いで、一夜限りの舞踏会がこの城で開かれている。いくらかのサーヴァント達もカルデアからこちらに来ており、今やフロアには、豪華絢爛な衣装を身に纏った紳士淑女の英霊たちが、踊りに酒に酔いしれている。我らがマスターも例外ではなく。むしろ男役として一番人気ではないだろうか。青いジャケットにひらひらとフリルが付き従うように舞い踊る。頭上には小さな王冠一つ。楽し気に、女性サーヴァントとダンスを踊っている。

「こんなところにいたんですか」
二階エリアから階下のダンスホールを眺めていたオベロンに声が掛けられた。ちらりと一瞥だけして、オベロンは無言で視線を元に戻した。
「隣、失礼しますね」
手に持った皿にたっぷりと彩色溢れる食事を乗せて、アヴァロンの妖精―アルトリア星の守護者は、彼の傍に腰かけた。イタリアンハーブで蒸されたチキンのローストをぱくりと口に含んで、「んんー、美味しい!」と彼女は満足げに舌鼓を打つ。その後も止まることなく食事を続ける彼女に、ようやくオベロンが言葉を発した。
「こんなところで油を売っていないで、君も踊ってきたら?」
フォークを口に咥えたまま、アルトリアはやや気落ち気味に答える。
「行けるわけないでしょう……。あの中に突っ込む勇気は私にはありませんよ」
はあ……と彼女口からフォークとため息が零れ落ちる。
(いつも特攻している癖に変なところで尻込みするのは、以前と変わらないな。)
と考えて、この子は、とオベロンは内心で独り言ちる。
とは言え、それは自分自身も同じこと。ただの影法師。他のサーヴァントも同様に英霊の座から零れ落ちた死人ゴーストだ。そういった観点で、改めて眼下を見れば、マスター以外に真実存在しているものは何もない。夢のような、まやかしの中で、少女が一人踊っている。実に面白い見世物だとオベロンは口の端を吊り上げる。
「うわ、思考が暗い」
隣から引き気味のコメントが飛んでくるが、無視する。下らない舞台汎人類史に引きずり込まれて、他に慰めもないのだから考える自由くらいあってもいいじゃないか。というか、人の思考を覗き見るのはやめてほしい。プライバシーの侵害では?
「貴方がそれを言います? その言葉そっくりお返ししますよ、オベロン」
まこと口うるさく、どうしようもない女の子だなぁ、とオベロンはため息を吐きながらシャンパンを飲んだ。金箔でも入っているのか、キラキラとしたそれを飲み干しながら、再度、マスターの姿を追うと、相手に申し訳なさそうに手を振りながら、ひとりフロアを離れる姿が見えた。
「……」
無言でオベロンはグラスを持って立ち上がる。
「行ってらっしゃい」
「…飲み物を取りに行くだけだよ」
憮然としながら言葉を返したオベロンに、アルトリアはふふと忍び笑いをした。そんな言い訳しなくてもいいのに、相変わらず難儀なお師匠さまだ。ホタテのカルパッチョをフォークで掬いながら、アルトリアはゆっくりと彼が座っていた場所に座りなおす。
きっともうここには彼は帰って来ないだろうから。

吐きだした白い息が夜空に駆け上がる。
豪奢なテラスに出れば、ダンスで火照った体に新鮮な空気が心地よい。手すりに両手を乗せ、遠くを見る。砂漠の中にある森と城。――中々に壮観な光景だ。道中のすったもんだを思うと、その色彩も色褪せそうな気がするが……。ふるふると頭を振って考えないようにする。が、南瓜になったり、羊の猛獣になった記憶は流石にそう簡単には頭から離れてくれない。
もう一度ため息を吐きながら、マスター・藤丸立香は体を反転させて、手すりに背を預ける。
「お疲れかい?」
前触れもなくかけられた声に、彼女の心臓が跳ねた。
「っ! ――オベロン、驚かさないでよ」
フロアに続くドアの隙間から、妖精王が一人歩み出る。扉の向こうの喧騒は変わらず。一時的に、テラスに光が溢れた。しかし、すっと閉じられた扉によって、ヴェールの如き闇夜が再びテラスを支配する。
光から闇夜へ――オベロンは真っすぐに立香の下に歩み寄って、皮肉を一つ。
「やあ、可憐な王子様。随分とお姫様方に人気のようだ。羨ましい限りだよ」
がっくりと首を落としながら、立香はうめき声をあげる。
(疲れているところに、疲れる人が来たよ。とほほ)
内心の声に眉を跳ね上げ、口元を吊り上げながら、オベロンは傷ついた素振りで言う。
「僕が何だって? ……あーあ、なんってひどいマスターなんだ。
折角この僕が、お疲れのきみに素敵な夜のツアーにご招待してあげようと思ったのに。
ああ、そうかい。じゃあ、僕はこれで退散するよ。邪魔したね」
白い外套をたなびかせて去ろうとしたオベロンの体がくんと後ろに引かれる。ちらりと横目で見れば、立香が彼の裾を掴んでいるではないか。
「おや? この手はなんだい」
苦虫を嚙み潰したような表情をたたえながら、立香は謝罪の言葉を捻りだす。
「ごめんってば。思わず出ちゃったの。…ねえ、許してよ」
ふーんと胡乱気に立香を見やって、オベロンは腕を組んで手を顎に当てる。
「思わず、ねぇ? 随分な評価だねぇ、マスター。今度じっくりと僕らの認識をすり合わせる必要があるみたいだ。まあ、それはまた次回にしようか。……引き留めたってことは、?」
うん、と立香はほんの少しの好奇心とイベント後特有の疲れに対する癒しを求めて、オベロンに頷きを返す。
「オーケー。じゃあ、夜の旅路へ出かけようか。僕ときみの二人きり――、皆には内緒だよ」

城を離れて、森を抜けて、砂漠へと移動する。何処へ行くのかと不安に思う頃、立香たちは目的地へと辿り着いた。
「うわぁ……!」
感嘆の声が立香の口から飛び出た。砂漠の中のオアシス。野球場程の広さがあろうかという広いその水場には、満点の星空が映り込んでいる。天と地に星空が広がっている様は、まさに神秘としか言えないほど美しく幻想的な光景だった。反射的に立香はその星の海に駆け込もうとして、――足元を砂に取られた。
「おっとと」
慌てて踏みしめた大地を見れば、先ほどまでホールでヒール音を響かせていた靴先が目に入る。このまま水場に入れば、間違いなく汚してしまうだろう。靴だけではなく、衣装も同様だ。
行くべきか、行かざるべきか。立香が逡巡する横で、オベロンがふわりと彼の外套を近くの樹に広げかけた。
「オベロン? 何してるの」
「即席の更衣室。きみは絶対この中に飛び込みたがるだろうなと思ったからね。着替えを用意したよ」
ああ、靴まではないから裸足でどうぞとオベロンは白い服を立香に差し出した。なんという用意周到さ、流石は妖精王と立香は呆れ半分に感心しながら、それを受け取る。さらりとしたそれは無地のワンピースのようで、とても肌触りがいい。これ以上の施しはないので、さっと立香は外套の裏に駆け込んだ。
一方、オベロンも霊基を調整して軽装に替える。
(躊躇なく着替えだしたな、この娘)
夜の砂漠に男とふたりきりだというのに、こうも無防備に着替えるとは。彼女の警戒心とやらはどこに行ってしまったのか。その逡巡の無さが今までそういったことが多々あったのだと証左していて、オベロンの眉間に皺が寄る。こめかみを押さえながらマスターを取り巻く現状を憂いていると、立香が服を着替え終えて外套の横から姿を現した。素足に生成りのワンピース。頭の上にあった王冠は外されている。着替えた服と装飾品を汚さないように砂の上の岩に置いて、立香はオベロンを伺い見た。気分的には飼い主の許しを待つ子犬。
どっちが主なんだかとオベロンは苦笑しながら、どうぞと彼女に声をかけた。
「ひゃっほー!」
パシャパシャと水音を上げながら、立香が星の海に飛び込んでいく。随分と浅瀬なようで、くるぶしのほんの少し上までしか埋まらない。立香は自らの起こした波紋で揺れる星を見たり、くるくると回りながら夜空を見上げたりして全身でこの光景を楽しんでいる。彼女が動くたびに、ひらりひらりと白いワンピースの裾が広がった。不規則なそれは、砂漠のオアシスに一匹の蝶が迷い込んだようにすら見える。
はしゃぐ立香を見ながらオベロン自身も靴を脱ぎ、そっと水に素足を付ける。砂と水が心地よく足先を抜けていく。青年の薄い唇の隙間から、はあ…とため息が零れ落ちた。彼の成り立ち故か、複数の人がいる場というのはどうにも神経がささくれ立つ。誰も何もないこの場所で、漸く詰めていた息を吐きだせた―そんな心持ちだった。
ゆっくりと水場の中央に向かえば、立香がこちらに気付いて大きく手を振った。
「オベローン! みてみて、すごいよ。星が足元にある!!」
「はいはい。誰が此処に連れてきたと思ってるの。きみ、あんまりはしゃぐと」
転ぶよと続けようとした彼の言葉は、彼女の肢体がぐらりと大きく傾き、次の瞬間大きな水音が響かせた為、音に成ることなく夜の闇に消えていった。
ぽたぽたと頭から水をしたたらせながら、立香はポカンと口を開けたまま水辺に尻もちをついて座り込んでいる。わが身に何が起きたのか理解が追い付いていないらしい。
「は――。はは、あはははははは!」
嫋やかなたおやかな青年に似合わぬ爆笑が砂漠に響き渡る。
「う、嘘だろ、きみ。言った傍から実行する? どうなってるの。天才か? あはははは。お腹痛い」
笑うなんてひどい、と憤慨しようとした立香は初めて見るオベロンの爆笑に言葉を詰めらせていた。
(きみ、そんな風に笑えるの。笑ってくれるの。
気持ち悪いって唾を吐くこの世界できみは笑ってくれるの)
彼女の心が聞こえたのか、オベロンはぱっと口元を隠した。眉を諫めて、居心地悪そうにしている。
「隠さないで」
「……あんまりにもきみが愚かで、それだけだよ」
あっという間に感情の消えた平坦な声。立香は堪らず、立ち上がり彼の口元に添えられた腕に触れる。
「オベロン」
星の海の中で、立香がオベロンを見つめている。彼だけを見つめている。口元に当てていた腕を降ろし、オベロンもまた彼女を見つめる。世界に二人きり、立香の体から落ちる雫がぽつぽつと水面に落ちる音だけが聞こえる。オベロンが、何か、途方もないことを言いそうになった時、――ピーっ!と電子音が響いた。通信機だ。城からいなくなった立香に気付いたらしい。慌てて、立香が水場から上がり通信機に声をかける。
少し離れたところで謝罪と直ぐに戻る旨を伝える濡れた後姿を見ながら、オベロンは、はーっと息を吐く。自分は一体何を言いかけたのか、その答えを追いかけてしまう前に、彼はそこで思考を打ち止める。それはパンドラの箱。開けてはならない、と彼の本能が囁いている。

オベロンは、満点の夜空を一度見上げ、そして、深く深く瞳を閉ざした。