後奏曲★レポート№2:波間に沈むエメラルド

一歩。
「ぴ(ダメ)」
二歩。
「え(NO)」
三歩。
「んんんんんんん(遺憾の意)」
後ろに下げていた足を逆方向にダッシュしたオベロンは、愛娘の魔力が爆発する寸前で彼女を抱き上げた。だめだこりゃとダヴィンチちゃんは肩を竦めた。その横で、はぁーっ、と所長は重苦しくため息は吐く。オベロンと立香は、一緒になって項垂れた。
イギリス出張から帰還した二人を待っていたのは、非情な現実だった。施設のあちらこちらにボヤの後と破壊の痕跡を見つけ、何事かと目を回していたら、マイルームで文字通り失神しそうになった。部屋が、もはや部屋では無くなっていた。どこもかしこも真っ黒で、罅割れている。どうした!?という言葉は突如顔面に飛来した小さな塊に沈黙する。ついでに息も止まった。ぐえええと必死に剥がせば、びえびえと泣く我が子たちではないか。鼻の頭まで真っ赤にして、愛らしくも哀れを誘うが、なんとなくこの騒ぎの元凶に思い至って足元から崩れるような心持になる夫婦だった。
「いやー、面目ない」
あっさりとギリシャの賢人は敗北を認めた。ケイローンを始め、お世話係は人事を尽くしたのだと言う。最初はちょっとしたハプニングもありつつも、順調だったのだそうだ。ところが、二日目あたりから様子がおかしくなった。キョロキョロと三人は忙しなく、周囲を見回す。両親を探している様子だったので、写真や動画を見せながら、ご機嫌取り。数時間はそれで持ったものの、次第に癇癪を起し始めた。それでもどうにか出来る範疇だったのだ。ここには古今東西の英霊がいるのだ。幾ら強大な魔力を持つと言っても、所詮は赤子。ほいほいと魔力を往なしていた。三日目。事態は急転する。長女の癇癪は、悪く言えばいつものこと。あしらうのも慣れたものだった。しかし、次女と長男は未知数だった。まさか完全なるダークホースが厄介だったとは。長女をアタッカーとするならば、彼らはバッファーだった。長女の魔力はうなぎ上りになった。結果、居住区の第一エリアが燃えた。比喩ではない。
米神を引きつらせながら、コヤンスカヤがオベロンに請求書を叩きつけた。その額、…………。オベロンは徐にその紙を引き下ろして、叫んだ。
「ツケで。もしくは、出世払いで!」「成るわけないでしょうが、このスカポンタン!」
しかししかし、どうして。此度の報告を聞いて、カルデア一同は頭を抱えた。今後も立香を指名した依頼が飛んで来るという。彼女一人を外に出すことはオベロンが許さない。例え、この基地の全勢力を回したとして、彼は納得しないだろうし、本人からもありえないと既に答えられている。では、二人仲良く再度不在となるか。無理だ。LDSD再びである。再来やらリターンズというのはフィクションだから面白いのであって、現実ではノーサンキュー。試しに、オベロンが3人の視界から消えるテストを行おうとしたが御覧の有様だ。うんうんと唸る面々。
「こうして考えていても仕方ない。一旦、運営メンバで仕切りなおそう」
ネモがぱんぱんと手を叩いて解散を告げる。ぞろぞろと人が出払ったマイルームに3人と夫婦がぽつんと取り残された。そこにおっかなびっくりとアルトリアと村正が入ってきた。
「う、うわぁ……」
マイルームの惨状を見て、流石のアルトリアも絶句である。二人が別の任務に赴いていた間に飛んでも無いことになっていた。派手にやったなと村正も乾いた笑いだ。オベロンと立香はもはや言葉も無い。アルフォンスのことなど可愛いらしく思えてきた。
「こうしてても仕方ねぇ。手伝ってやるから、片付けるぞ」
のろのろと夫婦は、抱っこ紐で背中に子供を背負った。マシュが素早くフォローする。オベロンには前と後ろに子供が張り付く形となった。もやは妖精国の誰も彼が秋の森の王様などと言わないだろう。ただの主夫である。

 

ボオオオオッという汽笛の音が波間に響いた。紺碧の海の上を一つの船が泳いでいく。視界の先には小さな島があった。
エーゲ海のキクラデス諸島南部に位置する、奇跡の島と称されるサントリーニ島。火山が形成したカルデラ地形。ギリシャ領に属する島だ。極上のリゾート地として名高く、真っ白い家に空を映したかのようなブルーの屋根が非常に美しいが、その島は世界一美しい夕日が見れるという大変ロマンチックな場所となっている。その島に向かう人々の笑顔、笑顔、笑顔。その中に眉間に皺を寄せ、この場に似つかわしくない雰囲気を出している一組の男女。オベロンと立香だった。はぁ~と立香が辛気臭い溜息を吐いた。止めてくれこっちまで辛気臭くなると言わんばかりのオベロンの視線が刺さった。そう言われても……と内心で猫背になりそうな、立香のその背がバシンッと勢いよく叩かれた。
「いたー!?」
立香が驚いてぴょっとジャンプする。勢いよく背後を振り返れば、褐色の肌に眩しい白のサマーブラウスを着たカイニスが鼻白んだ顔で立っている。その横で、やや申し訳なさそうにバゼットがこちらを伺う。
「ここまで来て往生際が悪いヤロウだなぁ」
野郎ではないですーと立香は反論したくなったが、カイニスの言うことも最もなので、ため息を殺してパシンと両頬を叩く。気合を注入。直ぐに気持ちを切り替えた彼女をカイニスが「ヨシ」と頭ぽんと一撫でする。髪の毛がボサボサになるよ、と立香がくすぐったそうに笑えば、悪戯少年のような顔つきでカイニスがさらにぐしゃぐしゃと頭を撫でる。きゃあと悲鳴をあげた立香は後ろから抱き込んで、二人でケラケラと笑いあう様はなんとも微笑ましい。――のだが、
「なんで俺の奥さんと恋人みたいな雰囲気だしてるの、あの神霊サマは」
はあ?とオベロンが震える指で二人を指さして、バゼットにクレームをいれる。
「わ、私に言われても……!(ああ、いいなぁ。私もマスターと二人きりの旅行とか行ってみたかった)」
漏れ出たバゼットの本音に、オベロンは更に半眼になった。どいつもこいつも。いや、原因はあの英雄たらしの緋色の娘だ。自分は一体誰のものなのか、後でたっぷり分からせてやる、とオベロンは歯ぎしりしながら、白い服を身に纏う二人の後姿を見つめた。

イギリス出張から数えて丁度一ヶ月後――。アルフォンスからの指令の手紙が届いた。
『エーゲ海に隠されたと噂の幻惑のエメラルドを探してほしい』という依頼だ。差出人のことを考えなければ、極々普通の依頼だ。あるかどうか真偽が疑わしいのは厄介だが、得てして、探索指令の条件はもう少し狭められる。一定の期間か、情報か。そこは交渉次第だ。だが、今回はそれが出来ない。最初からこちらが不利な状況だ。成功か失敗暴露か。喉元にナイフを突きつけられている感触がする。ぞっとしない。ご丁寧に、現地で開かれる船上パーティの招待状まで付いてきた。そこで依頼主が待ち構えていることは想像に難くない。
ええい女は度胸!と立香はその足を一歩、イアの街に勇ましく振り下ろした。

がやがやと船着き場で人の流れを避けて動いていく。なんやかんやで大荷物になった立香に反して、3人は随分と身軽だ。まあ、英霊なので当然かもしれない。オベロンが立香の荷物を持ちつつ、彼女の隣に立つ。その二人の前後をカイニスとバゼットで挟む形だ。まるでセレブにでもなかったかのような気分だし、周りも若干何事かと四人を見る。しかし、数秒後には彼らを興味を失ったかのように大衆は目的地へと進んだり、現地の人と会話を再開したりする。
「認識阻害の魔術は問題なく発動していますね」
バゼットの言葉に音も無く立香は頷いた。あまり魔術を乱用するのもどうかと思うが、見目麗しい英霊はどうしても目立ってしまう。彼らの立ち振る舞いも常人ではない。騒ぎを避けるには必須の対策だった。そのまま特に大きな騒ぎも無く、四人は予約していたホテルに到着した。
青と白を基調にしたシンプルで可愛い部屋には、プライベートのバルコニー。ビーチベッドとバスタブ、プライベートプールまでに付いたスイートルーム。正しく至れり尽くせりな在り様に、つくづく旅行でないことが悔やまれる。部屋の様相に興味は無く、ソファに行儀悪くカイニスが足を開いて座る。その横でバゼットがそわそわと部屋の内装に視線を飛ばしているのが微笑ましい。しかし、直ぐに歴戦の戦士の顔でサントリーニ島の地図に視線を降ろした。強力なカウンター効果を持つバゼットと単体火力型のカイニス。敵がはっきりしていることで今回は防御ではなく、完全に攻めのチーム変遷だ。オベロン以外にもサポート系サーヴァントが欲しいところではあるが、あまり大人数だと相手の警戒心が高まる。無用な折衝は避けるべき、という方針だ。
(その割には、随分とまあ好戦的な面子で)
オベロンは、カイニスにバゼットとか爆弾にダイナマイトではないだろうか。と思ったりする。口にはしないが。この人選は立香の意見だ。カイニスは通常のランサーではなく、ライダーの方の霊基。バゼットと併せて、水辺での有利条件を考慮した結果になっている。手綱を握るのが、中々に難しいところだが、さてお手並み拝見と行こう。
「早速、今日の夜に戦場、――失礼。船上パーティでしたね」
そら見ろ。既にやる気だ。オベロンは頬杖を突きながら、半眼になる。バゼットの発言に頷きつつ、立香は言った。
「時間はまだあるから、二人は島の周辺を確認してもらっていい?」
「怪しいやつがいたらどうする?」
「捕まえて」
ヒューッとカイニスが口笛を吹く。オベロンはぎょっとした目で立香を見やる。
「後手に回ると碌なことにならない、っていうのは嫌程思い知らされてるから」
頭に血が上っているわけではないようだが、随分と剣呑な様子に腰を浮かせかけたオベロンだったが、脛に傷のある身ゆえ、大人しく口をつぐんだ。賢明な判断である。通信機の状態に不具合がないことと有事の際の行動パターンを確認してからその場は解散となった。

カイニスとバゼットを見送ってから、オベロンと立香も街に繰り出す。ゆったりとした足取りで退路の確認だ。道を知っているか知らないかは大きく戦況を揺るがす。彼女の腰に手を添えつつ、オベロンは立香に宥めるような声色で告げる。
「一応の一応で言っておくけど。冷静にね」
うんと立香は素直にうなずく。少しだけ彼女の顔の強張りが抜けた。
「子供たちのことが気になって、前のめりになってるね。ありがとう、頭が冷える」
ちゅっとオベロンは彼女の白いこめかみにキスをした。と、彼らの背後で囃し立てるような笑い声。下品なそれに、二人は構わず歩いて行く。それが面白くなかったのか、欧米人と思しき大柄な二人が、二人の前に歩み出た。
「やあ、お嬢さん方。この島は初めてかい? 良ければ俺たちが案内してやろうか」
どうみても恋人同士の二人にお嬢さん方というチョイスは、不適切。今時小学生でも見ない安い挑発に、オベロンは(邪魔だなぁ)という感想だけ抱いた。人目があるので、後で虫をけしかけておこうという心内はおくびにも出さず、彼らの横を通り過ぎようとした。そこにオベロンの二回り以上ありそうな大きな腕が立香の手を掴もうとした。
(あ――、今、殺そう)
オベロンが自らの影から虫を出す寸前で立香が男の手を捻り上げた。
「いててて! なにしやがる、このイエローモンキーが!」
正体を露わにした男に怯むことも無く、立香は更に腕を捻る。仲間が彼女に手を伸ばす前に、彼女の黄金の瞳が睥睨する。
「ご存じの通り、私はアジア人――日本人だけれど。ねえ、知ってる? 日本人はね、恩には恩を。仇には仇を。三倍返しが通例だよ」
捻り上げていた手を放して、彼女は大の男二人を見下ろした。ナチュラルな英語とその立ち姿に、男たちは酷く狼狽しながら、勘弁してくれと手を上げた。無理やりチケットを二枚押し付けられる。いや、いらないと立香が返そうと思った視線の先では、男たちがみっともなく走り去っていく後姿だけが映った。
「えー。…あいた」
ぽすんと彼女の頭にオベロンの手刀が落ちた。
「冷静にって言ったんだけど?」
「だって、私がやらなかったら、オベロンあの人達どうしてた?」
「……」
沈黙が答えだ。彼女は火の粉を最小限の被害で払ったと言う。なんとなし納得できないものを感じつつも、オベロンは渋々引き下がった。すると、再び傍で笑い声。今度の声は、空の快晴の如く爽やかなもの。その主を探せば、横道からロバの顔が現れた。流石に、オベロンと立香はぎょっとする。特に、オベロンはロバに良い印象が無い。すっかり鳴りを潜めているが、汎人類史の役回りのせいだ。苦々し気に見れば、ロバの後ろから白髪の老人がひょこひょこと不自然な足取りで近づいて来る。おや?とオベロンは眉を上げた。
「やーやー、ようこそ、ようこそ。世界一美しい島へ。お客人、着いて早々災難だったなぁ」
あんまりにもみっとも無いもんで、横やりを入れようかと思ったが要らぬ世話でしたなと朗らかに笑われてしまった。立香はやや照れ臭そうに、頬を掻く。
「あの、……お騒がせしてごめんなさい」
「なんのなんの。御見事御見事」老人は楽し気に手を叩いて続ける。女性はあれぐらい気が強くなくっちゃあね。旦那を尻に敷くぐらいで丁度いいのさ――と。ますます肩を窄めながら、立香が話題転換する。
「おじいさん、このロバは?」
「ああ、この島は階段が多いからね。昔からこの辺りでは移動にロバを使うんだよ」
乗ってみるかい?と誘われてしまい、立香は逡巡する。元々は地理の把握の為だったので、観光めいたものに戸惑いが生まれる。すると、彼女の背後でオベロンがいくらだい?と声をあげた。二人で25€(約3,000円)と景気よく老人が返答する。え、と立香が止める間もなく、オベロンが老人に紙幣を渡してしまった。
「丁度いい。渡りに船ならぬロバだ。態々、疲労を溜めることも無い。道案内を頼もう」
あれよあれよという間に、立香は馬上の人となった。人理の旅で馬(ロバ)にも慣れたものだ。危なげなく乗りこなすと、その彼女の横にオベロンも同じくロバに乗って寄り添う。なんだかおとぎ話の登場人物になった気分だ。顔を見合わせて微笑む二人を見て、ますます老人は嬉しそうに笑った。世界で一番美しいという夕日が見える場所などを教えてもらいながら、二人と一人は街中をロバで練り歩いた。

 

四人の男女にざわりと会場が揺れる。バゼット――否、マナナンは訝しげに隣のカイニスを見やる。
「認識阻害――、出来てますよね?」
あぁん?とカイニスがガラ悪く周囲を見回すが、確かに注目を浴びている気がする。白いパンツルックに胸元は大胆な開き、褐色の肌に紅いルビーのネックレスが映える。マナナンは真っすぐと伸びた赤褐色の髪をたなびかせて優雅にカイニスに寄り添った。彼女は、今、白と青のコントラストに大胆なドレープがあしらわれたドレス姿である。こういった場では男女のペアが主流の為、今回は男役をカイニスに譲っての登場だ。白をベースに赤と青。実に見目麗しい二組。それを後ろから眺めながら、立香は認識阻害を受けながらも目を引く有様に困ったように苦笑いを浮かべた。
「目立つなぁ……あの二人。人選ミスじゃない?」
苦い視線を投げてよこすオベロンに、立香は君も大概だよと独り言ちた。ライトグレーにコバルトブルーのループタイ。白い襟には繊細な金の金具の装飾が施されている。正しく爽やかな夏の風のような出で立ち。当然ながら彼も目立っている。場違いなのは自分だけか、と内心で立香がため息を吐いているが、オベロンは逆の意味でため息を吐いた。オベロンに合わせて、上から下にかけてライトブルーからコバルトブルーのグラデーションが掛かったドレス。エンパイアラインの青いドレスは、裾から覗く白い脚をひと際美しく見せる。ほっそりとした首には茨の意匠の銀細工。中央に青い石が飾られ煌めきを放っているが、人々が注目するのは彼女の緋色の髪だ。この島で最も自慢とされる世界一美しい夕日を映したかのような髪は、サイドを残したまま緩く後ろで編み上げられている。零れ落ちる髪の一筋は、まるで夕暮れの涙のようだった。
そんなわけで各々の認識を他所に彼らは一角ならぬ視線を周囲から注がれていたが、魔術が強くなったのか、段々と人の視線が他の場所へと散っていく。ほっと誰ともなしに安堵のため息を吐いて、会場の中央へと歩を進めた。
各所で豪奢な料理が並べられ、スピーチ台の横では楽団がギリシャの海に相応しいゆったりとした音楽を奏でている。夕日が沈む寸前の会場で、煌びやかな人たちの波。その中で談笑するわけでもなく、立香は周囲を見回した。と、中央直ぐ傍に小柄な人物を見つける。大の大人数人に群がられながら、温和な笑みを浮かべる少年――アルフォンスだ。立香の視線に気づいたのか、対面の人物に何事か会話をして、申し訳なさそうに会釈してから、こちらに向かって歩を進めてきた。立香の周りに緊張が走るが、それを制するように彼女は一歩前に出た。
「立香お姉さん。来てくれたんだね」
ドレスとっても似合っているよと頬を紅潮させて言う彼に、立香は静かに会釈を返した。
「お招き有難うございます。依頼だと思っていたから、……こんなパーティ会場で会うとは思ってもみなかったよ」
「これでも貴族の当主だからね。挨拶回りだのなんだのと忙しいんだ」
特に自分の場合は代替わりがつい最近だったので、方々にお披露目に行かねばならず。散策も儘ならないとのこと。重要な情報なのかどうか測りかねる話題に、立香は眉をしかめそうになる。と、そんな彼女の葛藤をどこ吹く風とアルフォンスは胸元の白いバラを彼女に差し出した。ぱちりぱちりと立香の睫毛が瞬く。
「僕と踊って頂けますか?」
正当なダンスの申し込みに面食らいながら、彼女は後ろのオベロンを気にした。彼は何も言わず、静観している。それを見てから、立香は正面の少年に差し出されたバラを受け取った。
「私で良ければ」
少しだけ視線が下にあるアルフォンスのリードに身を任せながら、立香はくるくると部屋の中央でドレスを閃かせた。流石に社交界の年季があるのか、足取りに不安定さは無い。一方で立香もそこそこに踊りこなしている。一部の英霊たちによるレディ教育の賜物だ。踊りながら、アルフォンスが口火を開く。
「この島に幻惑のエメラルドと呼ばれる遺物があるというのは随分前から耳に届いていたんだ。何度か調査員を派遣したんだけど、どうにもいい結果は得られなくて」
その噂から魔道具であることが濃厚な為、速やかに回収し、噂の火消しを行いたい。「こんな小事、法政科の仕事なんだけどなぁ」と彼は見目に似つかわしくない苦労人の体でため息を吐く。そんなに名のある大きな家じゃないから、ちょこちょこと面倒な仕事が回ってきて困っているのだという。これだけ聞けば善良な一市民のようだが、彼の焦がれるような視線が立香の肌を焼く。
「綺麗なもの。優れたもの。後世に残すべきもの。そういったものだけを見ていたいんだ」
だから、伝承科に入ったのだと彼は言う。一曲踊り終えて、名残惜し気にアルフォンスは立香の手を離した。二人の手の間、海の上に夜の帳が落ちる。
ふっと周囲が暗くなり、照明が強められるその寸前、静寂に一発の銃声が響く。誰の耳にも異常事態を告げる音に会場で悲鳴が上がった。そして、目の間に居たはずのアルフォンスから、うっと苦し気な声が聞こえて、立香は腰元に咄嗟に手を伸ばす。照明がはっきりとする頃、彼は大柄な覆面をした男に羽交い締めにされていた。さっと視線を走らせば、立香のすぐそばにオベロンとカイニス、バゼットが控えている。その更に奥にはこの場に似合わぬ物々しい黒服の男たち。装備を見る限り、完全なテロリストだ。ボイスチェンジャーでも使用しているのか、覆面の中から男がくぐもった声で、アルフォンスの耳元に言葉を落とす。
「魔術は使うな。市井の前だ」
今しがた手に込められようとした、アルフォンスの魔力の渦が霧散する。彼の無抵抗を認めて、男はずるずると海側へ下がっていく。他の男たちも徐々に包囲網を狭めていくが、目的は彼の身のようで、他の人々には威嚇のみ。引きずられるアルフォンスと立香の視線が交差する。はっと立香の口から呼気が漏れた。
「Shall we?」「「「Yes, with pleasure」」」
オベロンが身を屈めて、立香を足元から掬う。「おい」と覆面の男が銃口を向ける寸前で、彼は腕を軽く振った。まるでサーカスの空中ブランコのようにぽーんと立香の体が宙を舞う。唖然と男たちがそれ見た瞬間、ゴキッ、ドカッと何かが吹き飛ばされる音。続いてドボンと、重たいものを水面に落としたような音が続いた。少年を拘束していた男が、ハッと視線を眼前に戻す。褐色の美丈夫がその長い脚をハイキックの姿勢からゆっくりと下ろしている。その反対で、にこやかな笑みを浮かべていた白と青のドレスの女が伸びきったその細腕を面白そうにシュッシュッと前後させていた。あまりの場違い感に呆然と正面の銀髪の男を見れば、彼はにこりと微笑んだ。
「頭上にご注意」
は?という彼の呟きは、数秒後に悲鳴に変わった。ゴガッ!という酷い音を立てて、彼の顔面に金色のヒールが突き刺さった。頭上からドロップキックをかました立香はそのままソールに力を込めて、男を後ろに蹴り飛ばした。くるんと彼女の体は、今度は90度に宙を舞う。その飛んできた立香をオベロンは難なくキャッチ。そのまま両手を繋いで、ふわりと地面へと誘う。片足が素足のまま、ダンスの続きのように立香は優雅に地面に着地した。
拘束していた男がリーダー格だったのか、他の男たちに動揺の動きが見れる。ひとり、ふたりと海面に向けて撤退し始めた。海下に高速水上ボートを用意していたようで、仲間を見捨てたのか、凄まじいスピードで海上を逃げ走っていく。
「カイニス、マナナン!」「おうよ!」「お任せあれ」
立香の鋭いコールに二人の神霊が応える。そのまま身で二人は海面へと降りていく。流石に誰もその姿を追う気力はないのか、次々に地面に座り込んだり、船の入口に殺到していく大衆。立香は膝は着いたものの気合で座り込まず立ち上がったアルフォンスの前に立つ。
「後で別料金を請求させてもらうね」
護衛料ってことで、よろしく。彼女の小さなバックから白いハンカチを差し出しながら、立香はとんとんと彼の首筋を指した。男が傷つけたのか、彼の白い首にひっかいたような傷とそこから血が滲んでいる。アルフォンスはきゅっと口を悔しげに引き結びながら、そのハンカチを受け取った。

「どうだった?」
立香とオベロンは、あの後すぐにパーティを辞して、ホテルでカイニスとマナナンを迎える。二人は全身に水気を纏いながら、上機嫌に帰還した。
「全員ぶっ飛ばしてやったぜ。まあ、全然物足りねーけど」
そういうことでなく、と立香は思わず手を突っ込みの形にしたが、マナナンが引き継いだ。
「海上保安員に大体の海上の位置は伝えましたので、運が良ければ拾われるでしょう」
運が悪ければ、明日はいくつか水死体が上がるかもしれませんが、と宣うので、もう一度立香は突っ込みの手を入れた。
「そんなことよりもいいもの見つけたぞ、オイ」
カイニスは濡れた身を厭わず、立香の首に腕を回す。何々と彼女が丸い瞳を彼に向ければ、にやりと笑う。出かける間際に見ていた地図の上の一点を、トンと指さす。
「あの連中をぶっ飛ばした後、マナナンの野郎が見つけた」
ボードで一通り暴れた二人は、マナナンの何かあるという発言そのままに海中へと沈み、大型の遺跡を見つけたのだと言う。それは海底神殿だった。しかも、何かしらの結界が張られており、余人では気づけない工夫がされているらしい。
「えー、すごいすごい! ふたりとも! これはもしかして最速攻略しちゃうんじゃない?」
立香は冒険とトレジャーの予感に頬を紅潮させる。嬉しそうにカイニスとマナナンを交互に見る。子供のようなはしゃぎっぷりに、二人はただしと言葉を添える。
「俺とマナナンで行くからな。お前は留守番だ」
「なんで!?」
海底神殿という浪漫の気配にウキウキしていた立香の顔がショックに染まる。バーカとカイニスが彼女の額を軽く小突いた。
「おまえな。海中だぞ? 人間のお前じゃ探索なんてできねーだろうが」
溺れたいのかともう一度額を突かれて、立香は頬を膨らませて不満を表する。その顔が面白いのか、カイニスがぴすぴすと彼女の膨らんだ頬を潰す。ぷしゅという間抜けた音とともに立香はソファに寝転ぶ。……拗ねたようだ。彼女の結い上げられた髪を解きながら、マナナンが彼女の頭をそっと持ち上げて膝枕をする。
「マスター、疲れたでしょう? カルデアを出てから強行軍でしたからね。私とカイニスで明日すぐに遺跡に向かいますから。今夜と明日の朝はゆっくりと休んでください」
ね?と柔らかく頭を撫でられれば、立香の子供じみた態度はしおしおと萎れた。そして、立香が膝の上で目を閉じた数秒後、穏やかな寝息が聞こえてきた。
「餓鬼かよ」「ほんとうに」
呆れたため息とくすくすという忍び笑いが立香の頬を撫でる。伸びたその緋色の髪を梳き上げながら、カイニスはちらりと視線をオベロンに投げる。何か?とオベロンが視線だけで答えた。
「おまえ、アスクレピオスの野郎から聞いてっか」
「……ここに来る前に呼び出されたよ」
そうか、とカイニスは言葉少なめに頷いた。
「こいつの人生も儘ならねーもんだな」とカイニスが呟けば、
「人として生まれて、人として生き、そして人として死ぬ。この娘はそういう子でしょう?」とマナナンが慈愛の目で綴る。
あーあとカイニスが両腕を頭の後ろで組んで、上体を大きくソファの背に預ける。
「餓鬼が餓鬼を産むしよー」
「あら? 貴方もこの子と夫婦になりたかったのですか?」
「はぁ? 誰がこんな乳臭い餓鬼と寝るかよ。精々、近所の妹分だろ」
「まあ、酷い。彼女だっていつまでも子供じゃありませんとも」
なんだかどこかの熟年夫婦のようなやり取りする二人にオベロンは何とも言えぬ居心地の悪さで足を組み替える。なにせ、その乳臭い子供に手を出して子供を産ませた張本人なので、耳が大層痛い。ピピピと彼の腕にある通信機がコール音を立てる。立香が起きないように素早く通話モードにすると、ダヴィンチからだった。
『オベロン。夜中に悪いけれど、そろそろ時間だよ。そちらの準備はどうだい?』
「俺はいつでもいいよ。立香が疲れているから、今回は俺だけで勘弁してよ」
おやおやとダヴィンチは聊か心配の色を顔に浮かべたが、直ぐに笑顔で頷いた。
『もちろんだとも。彼女は生身の人間だ。出来るだけ休息を取るように伝えておくれよ』
出発前にも確認した手順をもう一度確認してから、オベロンはダヴィンチとの通信をカイニスに渡す。嫌々そうにしながらも、彼はそれを受け取った。顎くいっと上げて、了承の合図だ。オベロンは立ちあがって、部屋のベットに横たわる。両手首と頭上の機器の配置を確認してから、瞳を閉じた。数秒後、彼の意識は途絶する。その様を見届けて、カイニスは通信機に声をかけた。
「おい、行ったぞ」
了解とダヴィンチの声が応える。カイニスとマナナンが見守る中、オベロンは翌朝まで起き上がることは無かった。

ゆっくりと瞳を開く。見慣れた、けれど今は見えないはずの天井が見えて、オベロンは来たと得心する。彼の視界の端に映った。
「調子はどうだい?」
まるで水の中で聞いているかのように鈍く彼女の声が届く。顔を歪ませながら、オベロンは緩慢に上体を起こした。関節から酷い違和感を感じる。重力が何倍にもなったのではないかという気がするので、それをそのまま伝えれば、ダヴィンチはさもありなんと頷いた。
「今の君は一般的な成人男性のスペックだから。流石にサーヴァントの体の出力を再現するのは無理無理」
緩く頭を振りながら、傍のガラス面を見れば、そこにはいつものオベロンの姿が映る。しかし、これはダヴィンチの言うように本当のオベロンの体ではない。所謂、アバターと呼ばれるものだ。これは慣れるのに難儀しそうだとため息を吐きながら、オベロンはコフィンの中から立ち出でる。
「子供たちは?」
「マイルームにいるよ」
分かったと言葉短く、オベロンは実験ルームから歩き出す。えっちらおっちらと体の支柱が落ち着かないまま、マイルームまでたどり着く。道中でアルトリアが迎えてくれた。あまり調子の出ないオベロンを気遣いながら、二人で部屋の入り口を潜った。あ!と中にいたマシュが喜びの声を上げる。
「御三方、お父様がいらっしゃいましたよ!」
くるりと六つの視線がオベロンに向かう。さあ、どうだと全員が固唾を飲んで彼らの反応を伺う。
この一か月、カルデアでは二人の不在をどう誤魔化すかという争点で喧喧囂囂のディスカッションが行われた。その最終案として採用されたのが、アバターによる遠隔地からの子供たちのケアだった。彼らは妖精王の子らしく、魂というか魔力の波長で人を見分けているらしく。恐らくアバターでも反応するのではないかという結論に至った。施行検証では、凡そ問題なくアバターに対する抵抗は見当たらなかった。そして、今回がその本番である。これに失敗すれば、LDSD再び。カルデアに火の柱があがることは間違いない。その為、スタッフ全員が息を潜めて動向を見守っている。長女のスピカが小さなその手をオベロンに向ける。
「ぱーんぱ」
ほっと安堵のため息を吐きながら、オベロンが彼女に近づいて抱き上げた。ずっしりとした重みが腕と腰に来る。うっとオベロンは怯んだが、堪えた。腕がぷるぷるしているが、堪えた。これが人間のスペック!とオベロンは酷く狼狽しながら、英霊の我が身の有難さを噛みしめた。
長女に続き、次女と長男がオベロンにすり寄って来る。順番に頭を撫でてやりながら、注意深く彼らを観察。長男がきょろきょろと落ち着きなく、オベロンの後ろを探る様子を見せていた。
「ごめんね、ママ疲れちゃったみたいなんだ。だから、ねんねしてる。分かる?」
そういえば、長男はやや気落ちた風を見せながら、頷くような仕草をする。賢い子だ。姉弟の中で彼が一番察しがいい。オベロンは可哀そうに思い、長男を抱き寄せる。その小さな背を撫でさすってやれば、長男はオベロンの体に子猫のようにすり寄ってきた。暫く三人はオベロンの傍から離れず、団子のように固まって一日ぶりの邂逅を果たす。

暫くオベロンは子供たちを代わる代わる抱き上げてあやしてやる。落ち着いた頃合いを見計らって、マシュが食事がまだなのだと告げてくれた。そのままオベロンは3人を連れて食堂に向かう。流石にいつもように三人を抱え上げることが出来ないで、アルトリアとマシュ、各位が1名ずつ抱き上げて移動する。キッチンに向かえば、厨房組が手を上げて答えてくれた。
「どうやら上手くいったようだな」
筆頭チーフのエミヤがほっと息を吐きながら、オベロンにエプロンを差し出した。子供たちはカウンターで大人しくオベロンの行動を見守っている。何時に無い観客に厨房組の中にほんわかとした空気が流れた。エプロンを素早く身に着けて、オベロンが手を念入りに消毒する。
「不慣れな体だが大丈夫か? あれだったら座っていてくれて構わないが」とエミヤが言うが、オベロンは首を振った。
「いや、こういう作業こそ体の調整に丁度いいよ」
マイルームに至るまで歩行もなかなか難しいところがあったが、流石に慣れてきた。流れるように彼は支度を済ませていく。彼が器用なタイプの英霊で良かったとエミヤは内心で頷く。これがパワータイプだとこうはいかないだろう。ひと悶着どころかふと悶着はあったなとエミヤは黄昏れるが、その手は高速で動いている当たり流石である。
難なく子供たちの食事の準備を終えて、オベロンはお待ちどうさまと声を上げる。長女と次女が興奮気味に手をあげているので、どうどうと諫める。気持ちは調教師だ。はいどうぞと差し出せば、プレートから素早くわし掴み、口元へとフードを吸い込んでいく二人。もっちゃもっちゃと口を動かして満足げだ。その反対に、長男はよいしょよいしょとフォークを使いこなそうとしている。二人に比べれば小食だが、彼もそこそこに大ぐらいだ。そして、その賢さと裏腹に乳離れが出来ていないのも彼だ。頻度は随分減ったものの、たまに立香はおっぱいを強請っている。無理に乳離れさせる必要は無いと書物や職員からも聞いているので、自然体に任せている。子供たちが立香の乳を吸う様はとても尊く、幸せにそうに乳を飲む子供を見下ろす立香は美しい。未だに彼らが自分の子だというのが信じられなくなる時があるが、オベロンにとってかけがえのない記憶だ。優しい瞳で見つめたまま、オベロンは時間が許すまで彼らと共に過ごした。

 

「んん‥‥」
ふわぁと立香は欠伸を漏らしながら、寝返りを打った。ふかふかのベットに思わず頬を擦り付けて――がばりと起き上がる。
「今何時!」
ちゅんちゅんという鳥のさえずりは聞こえない。窓の外をみれば、煌々と夏の日差しが白いホテルの壁を照らしている。ざざんと海が煌めいた。間も無く中点というところか。すっかり寝過ごしたという事実に、立香は立てていた腕から力を抜いて枕に突っ伏した。
「やっちゃったよ~」
情けない声をあげていると、横からするりと引き寄せられる。その見慣れた腕と香りに立香はすり寄った。
「なんで起こしてくれなかったの」
んー、と眠たげな声が頭上から聞こえてくる。こきこきと肩の骨をならしながら、オベロンは顎を立香の頭の上に被せた。
「大体やることは決まってたし。後はカイニスとバゼットの報告待ちだったから、……休めるときに休んでおきなよ」
ぐりぐりと顎先を押し付けられて、頭のてっぺんがやや痛い。立香は逃げるようにオベロンの脇の下に頭を潜り込ませた。こら、とオベロンが立香の横脇を持ち上げて正面に向かせる。ぱちりと金の瞳と蒼の瞳が合わさった。ふっと口元が溶けるように立香は笑ってオベロンにキスをした。
「おはよ」「おはよう」
聊か時間帯には似つかわしくは無いかもしれないが、挨拶は大事だ。
「立香、涎垂れてる」「え! うそぉ!?」
ごしごしと口元を拭えば、確かに水気が……。うう、と恥ずかしそうにしながら、立香はベットから降りて、パウダールームに駆け込んでいった。軽やかな身のこなしの後姿をオベロンはベットに頬杖を突きながら見つめた。
「朝から元気だなぁ」

ブランチを待つ間に、カイニスとバゼットが戻ってきた。机の上には、地中海の様々な料理が並んでいる。海上の土地柄故、新鮮な魚介は当然として、山の幸やグレードの高そうな肉厚の肉類も並んでいる。赤ワインに舌鼓を打ちながら、カイニスが簡単に状況を報告した。その内容に立香はほわぁと驚きの声を上げる。
「人魚ねぇ」とはオベロンの言葉だ。
「幻想種はとっくの昔に世界の裏側に引っ込んだつー話だったけどな。居るところにはいるもんだ」とカイニスは言う。
「はい。彼らは最初抗戦の姿勢を見せましたが、ガツンと――、いえ、平和的にコミュニケーションを取りました」
武力行使したんだな、と半眼になりながら、立香は手元のパンを千切って咥内に運び込む。芳醇なオリーブオイルの香りが口と鼻を抜けていく。大変美味である。バゼットが詳細を続ける。
「海底神殿は先ほど言った通り、人魚たちの住処でした。既に人界とは交流を絶っており、確信的な情報は手に入りませんでしたが、それらしい話は聞けました」
人魚のひとりが言うには、目当てのものかは分からないが不思議な力を使う人魚が一人いたそうだ。その人魚は何を想ったのか、ある日突然、人間の世界で生きると言い、当然ながら皆から反対された。しかし、その人魚の意志は変わらずほぼ絶交に近い形で人魚のテリトリーから旅立った。由来は知らないが、その人魚は周りから翠の人魚と呼ばれていたそうだ。
「翠、みどりねぇ」再びオベロンが口ずさむ。
どうしたのかと問えば、心当たりがあるという。
「お、まじかよ」「おや、何時の間に」「え、いつ? 全然分からない」
三者三様の答えに、オベロンは肩を竦める。
「一旦状況は分かったよ。こちらでその心当たりに行くから、カイニスとバゼットはアルフォンスの方を見てもらえる?」
立香がそういえば、カイニスの眉がぴくりと跳ね上がる。
「なんで俺らがあいつの面倒みなくちゃいけねーんだよ。ほっとけほっとけ。死んだらこっちのもうけもんだろ?」
それに苦笑を返しながらも立香は譲らない。
「相手の手の内が全部分かってないのに退場されても困るよ。ね、お願いカイニス。……お願いを聞いてくれたら、後でワインナリーのボトルをお土産にするから」
立香は人差し指と中指を立てて、お願いと頼み込む。カイニスが不満げにしつつ、指を三本立てる。うっ、と立香が怯む。この島のワインは非常に有名だ。有名故に、お値段も一級品。ワインボトル3本は厳しい。
「2本じゃだめ?」
眉を下げた立香をカイニスは鼻で笑う。
「おい、立香。――俺はワイン二本の男か?」
テーブルの上を爽やかな潮風が吹いていく。立香は無言のまま、指を三本にした。

別れしなに、カイニスだけでは不公平だからとバゼットとは一緒にお土産屋さんに行く約束をした。自分は遠慮します、と彼女は固辞したが、立香が一緒に見たいと言えば、少しだけ頬を緩ませて、では、お供しますと返答してくれた。土産に少しだけ気持ちを上げた二人が再びホテルを出ていき、立香もオベロンに導かれるままに街中を歩いて行く。地中海の日差しはとても強い。サングラスに加えて日傘を差しながら、立香はオベロンの隣を歩く。目的地はどこかと聞けば、彼も探しているという。どういうことだろうと首を傾げていたが、暫く歩いてオベロンが、「居た――」と声を漏らした。
この街で一番美しい夕日が見れるという場所に、一人の老人が座っていた。彼は遠くの海を眺めながら煙草を吹かしている。クゥークゥーとどこかで海鳥の鳴き声が聞こえてきた。オベロンは迷うことなく、老人に近づき、挨拶をする。
「やあ、おじいさん。昨日ぶり」
おやと老人は皺が刻まれ、日に焼けた黒い顔を二人に向けて、誰だか分かると破顔した。
「やあやあ、お客人。またロバに乗りたくなったのかい?」
「いいや、聞きたいことがあってね。探していたんだ」
夕日の時間には少し間があるせいか、周辺には観光客の姿は無い。それを確かめてからオベロンは口火を切った。
「翠の人魚の居場所を知らない?」
立香はオベロンが探していた人物に大層驚いている。どうして彼に人魚の居場所を聞くのだろうか?老人であれば、伝承やそういったものに詳しいと思ったのか。けれど、オベロンの言葉には確信があった。彼は相手が知っている前提で話している。老人は、少し戸惑いながら、――最後に弱ったなぁと言った。
「お兄さん、それをどこで知ったんだい? その口調から察するに俺が人魚だって分かっているんだろう?」
あんぐりと立香は驚きに口を開いた。この老人が人魚――?
「翠の人魚については同僚から。貴方が人魚だっていうことは最初から」
こちらもね、同類ってやつさ。とオベロンがにやりと笑えば、老人が口を開けてカカカと笑った。
「こいつは参った! 人魚じゃなさそうだが、あんたも人じゃなかったのか。通りで世離れしていると思ったよ。――いいとも、教えてあげるさ。その代わり、あんたたちのことも教えておくれよ。最初から気になっていたんだが、ますます気になる」
老人の、子供のような高揚感に笑みを零しながら、立香とオベロンはこれまでの旅路を語って聞かせた。始まりは雪の日――。そして、二人の馴れ初めと今の家族について。その時々に、老人は手を驚いたり、喜んだり、悲しんだり。語り応えのある観客を前にあっという間に時間は過ぎていく。

「そうか。……そうか、そうだったんだなぁ」
万感の響きのある呟きだった。二人の顔から視線を外して、老人は水平線を見やる。橙色が雲間を薄っすらと染め上げていた。穏やかな波間の中に、老人が笑みを零した。随分と長い時間がたっちまったなぁと言う。彼は帽子を上げて、下げた髪をかき上げた。あっ、と立香が声を上げる。
老人の左目には、吸い込まれるような緑の瞳があった。キラキラとした虹彩が不思議な光を放つ。その光を見ていると、段々と立香の視界が崩れる感触がした。堪らず、ぱちりと両目を瞬かせた。一瞬の暗闇の後、開いた先に――精悍な美青年が立っていた。
「……」
立香は言葉も無く、老人だった青年を見つめた。声だけは変わらず、涼やかな音で彼は言う。
「百年に一度の恋をしたんだ。彼女を見てからは居ても立っても居られない。自分でも愚かと思いつつ、陸に駆けあがっていたよ」
気合と根性で青年は、意中の女性と夫婦となった。暫くして、子供が出来ないことを妻が申し訳ないと言い出した。申し訳なかったのは青年の方だった。人魚と人の間に子供が生まれるのか分からなかったが、恐らくそれは難しかったのだろう。罪悪感に耐えかねて、結婚生活4年目にして、自分の正体を打ち明けた。捨てられるかもしれないと当時は戦々恐々としたという。けれど、妻はまあと驚いたきり。まるでおとぎ話ねと笑ってくれたのだそうだ。子供は無くとも、始終、穏やかな人生だったという。しかし、人の寿命は人魚のものとは比べようもなく短命だった。ごめんなさいね、と妻は言う。貴方が寂しくないように、そして、私も何時か貴方の終わりに見つけてもらえるように。願いを込めて、お互いの瞳を交換した。左目の翠は人魚のもの。右目の青は愛しい人のもの。彼の眼は生まれつき特殊だったそうで、もしかしたら、この瞳を持てば、人の寿命も永らえるのではないか、という下心もあった。結局それは、ただの願掛けに終わったが。
「ああ、随分と昔のことだ。なんと懐かしい……」
初めにオベロンと立香を見た時に、どうにも懐かしい記憶が呼び覚まされて哀愁に駆られたという。同じだったんだなぁと彼はしみじみと呟いた。
「追いかけなかったの」
オベロンは静かに問うた。それに青年は少し頬を掻いて、困ったように微笑んだ。
「追いかけたら怒られそうだった」
今更、人魚の群れに戻ることも出来ない。ふらふらと島と島と転々としながら生きてきたのだそうだ。穏やかに海を眺める日々。随分と草臥れた様子に彼がどれほど長い間、ひとり彷徨っていたのかが伺えた。しかし、彼は今一度、快活な笑顔を浮かべて、その左目に手を添えた。すっと彼の手が目頭から横に滑る。まさか、と立香が声を震わせるその前で彼は手の平を開いた。――美しい翠の宝石が夕日に煌めいている。
「だめです! どうして……」
「いいんだ。こっちはあげれないが、もう左目は要済みだから」
人魚と言えど、流石にそろそろお迎えが来る時期なんだと彼は笑う。そうしたら、これは唯のガラス玉。だったら、あんたたちの役に立てて貰いたい。立香は嗚咽を我慢する。涙で滲む視界をぎりぎりで耐えて、その宝石を大事そうに両手で受け取った。

瞬きの間に、青年の姿は掻き消えて、いつの間にか老人の姿に戻っている。その老人に、再びオベロンは問いかけた。
「後悔はしていないの」
「後悔? あるとも。数えきれないほどに」
「……」
「もっと沢山のことを話せばよかった」
老人の、もう片方しかない目に柔らかな光が灯る。その目に浮かぶのは、むかしむかしの、いつかの夕暮れだろうか。
「もっと色々な風景を一緒に見ればよかった。もっと彼女に触れればよかった。もっと笑わせてやればよかった。もっと伝えればよかった」
誰よりも愛している、と――
「……それは、後悔なの?」
「そうだよ。全部、俺の後悔さ」
オベロンはただじっと視線を老人を見返した。それをほんの少しばかり眩そうに瞳を眇めて、老人は呼気を吐く。
「本当に一瞬だ。一瞬だった。その癖に今日までは途方も無く長かった……」
ああ、と老人は深く息を吐く。それから、もう一度、立香を見て皺くちゃの顔で笑う。
「お嬢さんは本当に夕日のようだなぁ」
世界一美しい夕日に照らされながら、老人は立香を懐かしそうに見つめる。最後に、ぽつりと言った。
そろそろ、俺も俺の夕日アポゲマに会いたいもんだ――

翌朝、厳かな鐘の音の中で、二人は黒い服を着て沢山の人の列に並んでいた。
老人の葬儀は恙無く進んでいく。
「急にね。みんな驚いたのなんのって」
「そりゃあ、悲しいわよ。良い人だったもの。でもね、本当に安らかな顔をしててね」

オベロンは両目を閉じた老人に心の中で語りかける。
(ねえ、会えたのかい? アンタの夕日に――)

老人の出棺を見送り、振る舞い酒を頂いてホテルに戻る頃には橙色の美しい海が広がっていた。今度は二人で夕日を眺めながら、オベロンは立香に話しかける。
「誤解があるといけないから、先に言っておくよ。彼は瞳を差し出したから死んだんじゃない。寿命だったんだ。どんなに長命な種でも終わりはやってくる。それが今だった。それだけだよ」
一瞬だけオベロンの横顔を見返して、立香は視線を緋色の水平線に戻した。
「うん」
一言だけ。そこにある様々な響きにオベロンは重く息を吸い込んだ。立香に向きなおると、気配を察したのか、彼女もまたオベロンと向き合う。一歩二歩と歩み寄れば、二人は無言のままお互いを抱きしめ合った。
「」
夕日が沈みかけている。空が藍色に染まるにつれ、段々と外気も冷たくなっていく。寒さに震えるように立香はオベロンにすり寄った。オベロンも腕の中の温もりが消えないようにより一層深く抱き込む。亡き老人を偲びながら、自分たちの未来を想う。オベロンは出しなに、医療メンバであるアスクレピオスに言われた言葉を思い出す。
『彼女の細胞は劣化が激しい』
当たり前だ。これまでの人理の戦いで何度彼女が死にかけたことか。無茶無謀も数えきれず。無理やり魔術で傷を治してきたのだ。ただ人である彼女の体に損傷が無いわけが無かった。
『今すぐどうこうということはない。ただ……一般的な寿命より短いかもしれない』
もしかしたら、彼女の子供たちが成人するより前に彼女の深淵がやってくるかもしれないということだった。可能性の話だ。既に決まったものではない。けれど、低くは無い可能性だった。立香もこのことを知っているが、彼女からは何も言われていない。マスターが死ねば、契約はそれまで。けれど、カルデアの供給ラインがある状態であれば、契約を他者に譲渡する也でオベロン達サーヴァントも維持できる可能性はある。マスター亡き後に果たしてそこまでする理由があるかというところだが、オベロンには少なくともある。二人の間に生まれた子供たち。スピカ、アルクトゥルス、シリウス。かけがえの無い、三つ星。普通でない子供たちをおいそれと置いていくことは出来ない。せめて成人までは見守りたい。あの老人程ではないにしろ。数年か十数年か立香の居ない世界を想像する。恐ろしかった――。
漠然となんとかなるだろうと高を括っていたオベロンにとって、老人との邂逅は衝撃だった。彼の遠くを見つめる瞳を見て、確信した。きっと、自分は立香の不在に耐えきれず、奈落の虫――星の終端装置に成り戻るだろうと。
立香もオベロンの腕の中で考えていた。老人の孤独をありありと見た。最後に漸く解放されたのだと安心したように穏やかに逝った老人。直感する。オベロンを置いては逝けない。自分はいい。彼は死んでもこの魂を離さないと言ってくれた。だから、きっと傍にあるだろう。目に見えなくても、きっと彼と一緒にある。でも、彼はどうだろうか?
子供たちさえいれば、何のかんのと騒々しくも穏やかな日々を送ってくれるだろうと思っていた。それは思い違いだったとこの島であの老人に出会って分かった。あんな寂しそうな眼をさせるなんて、出来ない。させてはいけない。では、では、子供たちは?どうすればいい?だって、たった数日居ないだけで、あんなにも泣いてしまう子達を置いていくのか?出来ない、出来ない――!
(この身が星の終端装置でなければ)(この身が人類最後のマスターでなければ)
普通の幸せな家庭を築けただろうか――?
絵空事だ。だって、二人がそうでなければきっと出会うことも無かったのだから。

考えても考えても答えは出なくて。何も分からなくなって――。ただ寂しいという感情だけが二人の中に込み上げてくる。寂寥に耐えきれず、立香がぽつりとつぶやいた。
「触って……きみの存在を感じさせて」
オベロンは彼女の震える唇に自分のそれを押し付けるように合わせた。彼女の口から漏れ出る息遣いに耳を澄ましながら、じゅうと咥内を啜り上げれば、花の蜜のような、甘みと香りが舌先から伝わってくる。ちゅるちゅると舌先を慰撫しながら、彼女の体のラインに沿って手を動かす。柔らかな肢体とほんのりと上気した体温がオベロンの脳内をぐらぐらと痺れさせてくる。視覚・触覚・聴覚・味覚・嗅覚。全ての感覚器官で彼女の存在を確かめる、この感じには覚えがあった。最後の戦いの後、その夜の一幕。無我夢中で触れ合った熱を思い出した。思考が酷く乱れる中で、結局はここに行きつくのだなとオベロンは独り言ちた。自分と他者の存在を確かめ合う。それでしか、この言葉に出来ない何かを伝え合う手段はないような気がした。

「ん、……ん、ぁ、あっ」
すっかりと夜に覆われた一室。廊下には、黒い葬儀の服をが脱ぎ捨てられて、点々と落ちている。ベットの上で影がもぞりと動いた。影が動く度に、愛声が室内に響く。オベロン、オベロンとすすり泣くような女――否、少女の声。
(ああ、嫌になる)
影――オベロンは内心で己に悪態を吐く。見るがいい、聞くがいい。彼女はこんなにも幼気な少女だ。それを貪り食う己の忌まわしさよ。彼女の胎に毒を吐き、孕ませて、その涙を啜る。これほど悍ましい化け物に乱暴されているというのに、彼女は必死に縋るのだ。彼女の瞳が、声が、体が、熱が、オベロンを求めている。深く深く繋がるほどにそれがありありと分かって、オベロンは泣きたくなるのだ。頭の中で、誰かが『これ以上彼女を消費するな』と叫ぶ。心の中で、誰かが『気持ち悪い気持ち悪い』と叫ぶ。嵐のような激情で、耳が馬鹿になる。けれど、彼女の声だけが濁ること無く――。オベロンと呼ぶ声に耳を澄ませる。
(立香、立香、俺はここに居るのか?
今、きみの目の前に居るのは、本当に俺だろうか?)
彼女と過ごしていく内に、オベロンは変わった。妻と子に献身する良き夫となり父となった。彼女たちの幸せを願っている。何時何時までも笑顔でいてほしいと願うようになった。そして、それを言葉にすることだって出来るようになった。けれど、彼自身はやっぱり真っ当でないぐちゃぐちゃの何かだった。深く繋がる度に、そのぐちゃぐちゃの何かが彼女を飲み込みはしないかと恐れている。ああ、違うのだ。本当は、本当は、。どこまでも真っ暗な彼自身の中に彼女を落としてしまいたい。それこそが、オベロンの本心だった。
(立香、教えてくれ――、きみを喰らいたいと願う俺の正体を。
人でも無く、妖精でも無く、英霊ですらない悍ましい何かだ。
……きみだけがその答えを知っている)
オベロンの瞳が明滅する。黒、蒼、緑。身の在り様も不定だった。一臨、二臨、三臨、と忙しなく歪んでいく。それを見つめながら、立香は彼の不安を感じ取っていた。彼女また恐れている。彼ほど不安定な存在は無いだろう。異聞帯の妖精国でもそうであったが、こと汎人類史において彼の存在は酷く曖昧だ。本来ならば存在しようが無いのだ。だって、彼の存在そのものが嘘なのだから。
だから、証明するしかない。彼女の目と口と腕と足と体全てで、彼がここに居るのだと証明する。オベロンと彼の名を呼ぶ。魂で叫ぶ。ああ――、何よりも誰よりも愛しい貴方。私を乱暴に暴くこの手も唇も私が愛した人のもの!
もはや咆哮のようなその叫びを聞いて、オベロンは漸く安堵の息を吐く。まだ、大丈夫。まだ自分は人の形を保っていられる。ぶるりとオベロンの体が震える。不安と共に、彼の毒がまた彼女のナカに吐きだされた。ずるりと逸物を抜き出して、薄いゴムの中に溜まった白を見る。恐らく破れてはいないと思うが、三臨の姿だと突起だらけなグロテスクな形になるので、途中で破れていないだろうかと一抹の懸念が過る。
(念には念を入れておくか)
オベロンは、ぐったりと体を弛緩させ、犬のように荒く息を吐く立香を抱え上げた。ぎしりとベットを軋ませて、床に降りる。そのままぺたぺたと廊下を歩いて行く。向かう先は、室内プールだ。洞窟式のこのホテルでは、ガラス窓が無く外の世界に開放されている。そして、部屋の中から外に向かって、プールが地続きになっているというなんとも不思議な作りだった。オベロンはどぷんという水音を響かせて、冷えた水の中に二人分の体を浸す。
「や! 冷たい……」
「ん、ごめん。ちょっと我慢して」
いやいやと立香がオベロンの体に縋って来る。宥めるように彼女の背を撫でて、人差し指と中指を彼女のナカに差し入れた。
「あっ! な、なに……?」
「大丈夫だと思うけど、一応、ナカ洗うよ」
え、でも、と立香が逃げを打とうとするが、オベロンがそれを許さない。ほら、と差し入れた指を広げて水を含ませようとする。立香は彼女の膣内にくぷくぷと水が入っていく感触に慄いた。
「あああ!? や、やめてえ……! みずが、みずがはいっちゃう」
オベロンは少し可哀そうに思いながらも、ぐちゃぐちゃと彼女のナカを水と指で荒らしていく。快感なのか水の不快感なのか、あるいは、その両方か。立香が身を捩りながら、すすり泣いた。オベロンはその涙雫を舐めとって舌先に残る甘さを味わう。
「あ、ひっひ、ぃ、あ、も、やめっ」
一通り清めてから、オベロンは彼女のナカから指を引き抜いた。ひっひっと泣く彼女をゆっくりとプールの淵に押し上げる。水に濡れた肢体が月の光で薄ぼんやりと照らされた。瞳からほろほろと涙を零しながら、立香がナカが気持ち悪いとオベロンを責めた。どうやら、水が入ったままらしい。
「ああ、水が気持ち悪いのか。……分かった、今出してあげる」
その言葉に嫌な予感がした立香がオベロンを制止しようとしたが、一歩遅かった。じゅうと彼女の股の間から、今までと違う水音。
「ひぃ!」
じゅるじゅるとオベロンが彼女の割れ目を啜り上げる。彼の長い舌が膣内に侵入し、道を広げた。びちゃっ――という音が響いて、立香の脳の神経を焼いた。ナカに溜まった水が吸い上げる空気圧と共にびちゃりびちゃりと吐きだされていく。
「ああああ!」
立香はオベロンの頭を掻き抱いて、快感でびくびくと跳ねる体を押し付けたが、彼は止まらない。ナカにあった水が全て啜られた後、ようやっと法悦という名の責め苦から立香は解放された。放心したように彼女は体を弛緩する。支える力はもう無かった。
「おっと」
オベロンは綽綽と倒れそうになる彼女の体を支えた。彼の両肩に彼女の手を添えさせるが、ふらふらと力が入らない。両腕で彼女の肩を押さえた。と、オベロンは眼前に楽土を見る。柔らかく水に濡れた乳房が桃のように熟れて彼の眼の前に晒されている。水の中にいるというのに、まるで砂漠のラクダのようにオベロンの喉は渇きに喘いだ。朝露のような水の雫が乗ったその果実。オベロンはそっと口を寄せた。チロチロと子猫のように舌先で舐め上げれば、頭の上からぱたぱと水が落ちてくる。立香が声も無く体を震わせた為だ。果実の先を咥内に含む。蕾の中央に舌先を当てながら強く吸い上げれば、先ほど陰唇を啜った時とは違う甘みが広がった。彼女の子供たちに与えられるはずの白液を、オベロンは丹念に啜る。ちゅぱっと口から果実を解放すれば、たらりとその先端から白い乳が染み出るのを確認する。再び舌先で舐め上げながらオベロンは言う。
「ん、あま……。癖になるなぁ」
堪え性なく、オベロンがもう一つの果実に手が伸ばそうとした時、ビッー!と電子音が響いた。
「「!!」」
慌てて二人でプールから転び出る。
「な、なに――? あ! 通信機!!」
ベッドサイドに放り出された通信機からくるくるとコールのライトが光っている。慌てて傍に寄ろうとするが、生まれたままの姿だったとことに遅まきながら気づく。
「下着!」「濡れたままだよ!?」
「た、タオルは!?」「部屋の奥!」
え、え、どうする?どうしようと立香がおろおろとする側をオベロンが風のように走り抜けて(因みに彼は真っ裸である)、ベットからシーツをひったくる。そのままぐるぐると自分と立香の体に巻き付けて、通信機のスイッチをONにした。
「「……」」
二人で謎の冷や汗をかきながら、立香は静かに「こちらフジマル」とか細く応答を告げた。
『あ、先輩!』と我らの頼れる後輩の声が聞こえるが、通信画面一杯に何者かの瞳が映っている。こわ。なんだこれ。
少々お待ちください。よいしょよいしょと通信機の向こうで、マシュが何かを引くような音がする。段々と遠近が整って、画面一杯の瞳のその所持者を露わにした。
「あれ、シリィ? どうしたの?」
彼らの三番目の子供――シリウスだった。普段の彼は大変控えめで大人しく、はにかむように笑う子だ。だというのに、今日の彼は真顔であった。スンという効果音がしそうなほどに。
『お休み中のところ申し訳ありません。シリィさんが通信機を急に……。止めようとしたんですが、思いの外、すんなりと操作をされてしまい。止める暇なく、お電話してしまいました。すみません』
どうやら彼女の背後では姉妹がぐいぐいとマシュの服を引っ張ているような様子だ。まるで、弟の邪魔をするなというような……いや、そんなまさか。そして、件の弟君だが、相変わらず、スンという表情で二人を、否――オベロンを見ている。オベロンは暫く無言の後、「……ごめんなさい」と蚊の鳴くような音で謝った。
「え? なんで謝ってるの、オベロン?」
オベロンは答えなかった。

港にて。汽笛の音を聞きながら、立香はアルフォンスに小箱を渡した。その中には、翠の宝石が入っている。
「確かに」
その美しい翠に、アルフォンスは瞳を煌めかせた。そんな彼に立香は言葉を掛ける。
「お願いがあるの」
首元を摩りながら、アルフォンスは言葉の続きを促した。
「それはある人が大事にしていたのを譲り受けたもの。どうか粗雑に扱わず……大事にしてほしい」
真っ直ぐに注がれる金色の視線にアルフォンスは、高鳴る鼓動を確かめながら頷いた。
「伝承科は遺物の保管が第一だ。管理には手を抜かないよ」
一足早く、帰郷するという立香たちを見送って、アルフォンスは遠ざかる船を見つめる。結局、船上パーティ以降は目立った襲撃は無かった。彼も同じ轍は踏まない。重々に防御魔術を展開し、ホテルに引きこもった。さて、どう彼女たちと接触したものかなと思っていたら、僅か数日で探し物を見つけられてしまった。ああ、口惜しい。本当はもっと時間をかけさせるつもりだったのに――! それもこれも邪魔が入ったせいだ。影のように控える執事に彼は声をかけた。
「襲撃者からの情報は得られたか」
はい坊ちゃまと機械のように高低の無い声で執事は答える。ふんと鼻を鳴らしながら、彼も帰国の準備に入る。その手には白いハンカチがひとつ。この白いハンカチのように美しいものは汚れやすい。大事に、大事にしまわなければならない。その布に口付けながら、アルフォンスは願う。一日でも早く、彼女を自分の下に――。

 

 

 

 

 

カルデアに帰還後、オベロンは3人の子供たちの前で何やら妖精言語らしきもので書を書いている。
「何してんだあれ」
通りがかった村正がアルトリアに問えば、彼女は半笑いのまま緩く首を振った。言わせてくれるな。ということらしい。碌でもない気配を察して、村正は力なく射していた指を降ろす。触らぬ神に祟りなし。しかし、彼の慧眼虚しく。遠くで冬の女王がせせら笑う。
妖精王バブロンに改名してはいかがです?――と。

第37回目の秋冬大戦争の勃発である。