後奏曲★レポート№3:彼方より来る空中宮殿

「「「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~~~~~~~~!!!」」」」
「あっははははは!」
怒号と哄笑と――、五人は走った! 遺跡の中を、一心不乱にオベロン達は駆けていく!
「イシュタル!! 君、後で覚えていろよっ!!!」
「うるさい、うるさい、うるさ-い! あんなの見たら、誰だって手に取っちゃうでしょー-!?」
私は悪くなーい!とひと際高く叫んだイシュタルに、彼女を知らぬアルフォンスですら「お前が悪い!」と突っ込んだ。

五人の爆走から遡ること、数日前――。立香達は、茹だるような熱帯の気候に身をさらしていた。
カンボジア――ラオス、ベトナム、タイと接するインドシナ半島に位置するこの国は、1年を通して30°Cを超え、まるで日本の夏のような暑さを擁している。南部は南シナ海に面しており、一般的にはアジア三大遺跡と称されるアンコール・ワットで有名だろう。じっとりした湿気によって噴き出た汗をタオルで拭いながら、立香は待ち合わせのホテルロビーで依頼主と対面していた。
「空中宮殿?」
「そう。かの有名なアンコール・ワットより五百年も前に造られていた王都の遺跡、古代クメール人が残した古代都市『イシャナプラ』。その遺跡群のレリーフに描かれた《空中宮殿》。今回はこれをお姉さんたちに見つけてほしいんだ」
「……」
はっきり言おう、――無茶だ。これで見つかるものならば、歴史的な大発見となるだろうが、。数多の歴史家が紐解いていく中で、実際に発見された遺跡も多くあろうが、空飛ぶ宮殿フライング・パレスなど現代においても成しえぬもの。謂わば、お伽噺の産物だ。
(それを探せとは――、前回の探索が早く終わり過ぎたのが裏目に出ちゃったかな)
立香はため息を押し殺した。アルフォンスの狙いは、遺跡発見では無い。依頼は建前で、聖杯を有する立香の確保が本命だ。さて、どうしたものか。……本来、アルフォンスの依頼は捨て置いても良いのだ。真実、マスターをカルデアを取り上げようと言うならば、カルデアとの全面戦争は免れない。その場合、人知を超える被害が齎される。それを一介の魔術師が時計塔の許しなく行うことは出来ない。……だがしかし、アルフォンスが聖杯の存在を明かせば?――どうなるかは分からない。時計塔がどこまでその存在を重視するかで、旗向きの行方も変わる。カルデアの聖杯は、冬木の聖杯のようにあらゆる願いを適える程の力は無くとも、七つあれば、大抵のことは叶えられるかもしれない。……まだ危ない橋は渡れない。無茶無謀であろうともアルフォンスの依頼は一旦は受け入れざるを得ない。今回はどのように落としどころを見つけるか、それがこの依頼のキーポイントだ。長丁場になりそうだ――、と立香は暗澹たる思いで、了承の意を示した。

まずは件のレリーフを見に行って見ようという話で纏まり、オベロンと立香、そして、アルフォンスは、ガタゴトと揺れるタクシーでサンボープレイクック遺跡群に向かっている。そのタクシーを追うようにして二台のバイクが並走する。危なげ無く機体を走らせるのは、賞金稼ぎバウンティーハンターのSイシュタルとジェーンだ。今回は遺跡調査ということで、その道のプロに同行を頼んだ。二人ならば、戦闘力も申し分ない。
「見えてきたわね」
イシュタルがゴーグル越しに、砂埃の先――森林地帯を見やった。幾ばくもせず、5人とも無事に遺跡前に到着。適当なところで停車して降りる。チケット売り場にてガイドを薦められたが、やましいことがある身、丁重に断った。一歩森に踏み入れば、その遺跡の荘厳さに圧倒される。日本で言うところの狛犬のように、寺院の正面を守る一対の獅子像。煉瓦造り寺院の祠堂は狭く、遥か頭上から太陽光が注がれる。ただただ積み上げられた煉瓦内壁は、シンプルでありながら、美しいグラデーションを見せていた。ハリハラ神、ドゥルガー女神像など、過去の息吹を感じられる造形美が立香達の目の前に堂々たる姿で存在している。まるで森に飲み込まれたかのような遺跡を前にして、立香とアルフォンスは、言葉も無く立ち尽くした。オベロンとイシュタル達は、さして興味を惹かれなかったのか、そんな二人を置き去りにして黙々と外壁のレリーフを観察している。
「これが空中宮殿? まあ、見えなくも無いけど……」
「ひと……王族か? を乗せた宮殿を下から羽の生えた生き物が支えているね」
「まあ、これだけじゃあね~。どんどん行ってみよ~☆」
サンボープレイクック遺跡群は広大であり、その中でも寺院グループは大きく3つのエリアに分けられる。北地区(Nグループ)、中央区(Cグループ)、南地区(Sグループ)だ。それぞれをふんふんと流し見ていくが、目ぼしいものは見当たらなかった。気づけは太陽が真上になっている。休憩しようか、と誰からともなく提案され、一行はチケット売り場まで戻った。
(暑い…。汗が噴き出る。まるで日本の夏みたい……でも)
遺跡近くの露店で水分を取りながら、立香はちらりとアルフォンスを観察する。汗一つかかない彼を見て、やっぱり魔術師なんだなぁと感想を持つ。恐らくだけれど、これも彼の本体ではないのだろう。視線に気づいたのか、アルフォンスがにこりと立香に微笑み返す。うっ、と立香は怯みつつも、無理やり口の端を引き上げた。そして、此処に来る前の一幕を思い出す。
今回、旅の道中に同行すると言われた時は、まあ、……揉めた。揉めたのは、カルデア側ではなく、アルフォンス側だった。
『おひとりで同行すると仰いましたか?』
ありえない――と執事はその平時の落ち着きをどこかに落としてしまったかのような狼狽えを見せた。
『そうだ』
『いけません。また何時ならず者が現れるともしれません。しかも、このような者たちとご一緒されるなど……』
『僕こそがゴールディング家の当主だ。異論は認めない』
『……』
とまあ、こちらの意見など全く聞く素振りも見せず、同行が決定してしまった。別に……、跳ねのけるつもりも無いが、やりづらいことこの上ない。(本音を言えば、ついて来ないでほしかった。本当に何かあった時に、これ幸いと責任問題にされても困るのだ。道行を考えるだけで憂鬱だ――)
そんなことを思案していれば、どうする?とイシュタルから声をかけられる。立香は腕を組んで唸った。
「うーん。まあ、ここに居ても仕方ないし。一旦、街に戻ろうか」
「市内に博物館があるよ。次はそちらを見てみるのもいいかもね」
まるでピクニックに行くかのような口ぶりに、カルデアサイドはみな閉口する。まあ、本人からしたら遺跡探索など二の次。同行が目的なので仕方ない。他に行くところも無し。一行は大人しく街へと帰還することとした。
「?」
ふとジェーンが一つの遺跡の前で立ち止まる。が、おーいと前方から声を掛けられて、すぐさまその場を立ち去った。さわさわという森の葉擦れとピィイイという野鳥の甲高い声が遺跡に響き渡った。

遺跡近くの街、コンポトムにて簡単に昼食を済ませた後、博物館を来訪する。大小様々な煉瓦や像が収納されている。ほお、へえ、ふうんと一行はえっちらおっちらと流し見ていたが、ある一つの展示物の前で、ジェーンが立ち止まった。
「どうしたの?」
「うーん……」
彼女が立ち止まったのは、彫刻が掘られた石の遺物の前。説明欄には《儀式で使用されたと推察》とだけ書かれている。その文字を上から下に。左から右にと彼女は観察する。うんうんと一分ばかしその動作を繰り返して、彼女が手をぽんと打った。
「これ、キーだ」
「「「「え?」」」」と異口同音に全員が彼女を呆けた視線で見た。
全員の動揺を気にせず、彼女はイシュタルに話しかける。
「ほらほらぁ。イシュタリんも見たことあるでしょ~。ゲートキーだよ、これ!」
かなり旧式だけどね、と彼女は付け加える。その言葉を受けて、イシュタルもまじまじと石を見た。首を斜め横にして、あ、と言葉を零した。
「あ、あ~。なるほど? 確かに見たことあるわこれ」
何ということか。この遺跡、よもやスペース案件か!立香は戦慄の面持ちで石を見返した。た、確かに。何時ぞや宇宙を旅した時に見た文字とそこはかとなく似ている気がしなくもない。彼女の内心を見たオベロンは、(宇宙ってナニ?汎人類史ってのはそこまで気が狂わないと生きていけないのか?)と唾棄したが、アルフォンスはもっと意味が分からなかった。(なんで見覚えがあるの……、今回は絶対見つからないものを選んだはずなのに)カルデアって……と若干引き気味に彼は一行を見た。失礼な男二人を無視したまま、マスター(この手の順応力において恐らく地上最強)は、すんなりと事実を受け入れてSW時空の二人に話しかける。
「キーなんだ。他に分かることはある?」
「そうだね~。手に取れば、動くかどうか分かると思うし、上手く起動すれば座標とかも見れるんじゃないかな~」
「でも、これって展示品よね? ちょーっと貸してください、なんて出来るわけないわよねぇ」
「うん……」
「盗っちゃう?」
「「…………」」
ジェーンのきらりとした笑顔の発言に、それはちょっと……、と立香は困った顔で笑った。だが内心、(それしかないか)とも思う。……いやいやいやいや、犯罪はよくないと頭を振りかぶる。
「保留で」
手掛かりは手に入ったが、何とも言えぬ気持ちを抱えたまま、本日の調査は解散となった。

「さて、どうしようか」
立香はホテルの一室で、オベロン達と頭を悩ませる。テイクアウトした露店の食事に手を付けながら、ジェーンはビールをぷはぁと飲み下した。
「手掛かりは今のところあれが一番だと思うから、なんとか入手できないかなぁ」
「とはいえ、貴重な歴史遺物。盗ったらすぐに騒ぎになるわね。んん~美味しい!」
アモック(淡水魚の切り身をココナッツミルクとクルーンで蒸したもの)にライスを少々、はふはふと口に運びながらイシュタルが現状の課題を上げる。固めの肉(ロックラック)に苦戦していた立香はちらりと時計の針を見る。そろそろカルデアとの通信時間だ。カルデアのブレーンに聞いてみるか?と立香が思った時、果実酒を飲んでいたオベロンが雑に発言する。
「そのあたりは俺のスキルなりで誤魔化して、偽物とすり替えるでいいんじゃない?」
それだ!と3人はオベロンを指さす。鼻の皺を寄せながら、オベロンが手を下げる仕草をする。行儀が悪いと言いたいらしい。
「オーケー。じゃあ、偽物の準備をどうするか、が次の課題かな?」
「適当にそこら辺の石を加工して、魔術で誤魔化してもいいけど。期間が不明なのと最悪戻せないことを鑑みると、それなりのものは用意したほうがいい、とだけ言っておくよ」
オベロンの言に立香は深く頷いた。出来れば平穏無事に戻したいが、これまでの自分の旅路を思うと最悪(破損・紛失)もありえない話ではない。人理の中で今更何をと思われるかもしれないが、被らなくてもいい罪を被りたくは無い。
※注意(ぴんぽんぱんぽーん):当然ですが、勝手に拝借した時点で犯罪です※
「レプリカはどれぐらいで出来そう? ていうか、オベロンに頼んでいいのかなこれ」
「俺以外にこの面子で出来るやついる? ああ、あの例のお坊ちゃんに頼んでみるのもありかもね?」
ニヤニヤとオベロンが嫌味を言う。確かにそうだけど。そして、あのアルフォンスに借りを作ってどうするのか。彼の目的は遺跡発見ではないので、協力なんてしてくれる訳がない。――それが分かっていて言うのだから意地の悪い。もう、と立香は自分の皿の上から肉の塊を一つ取ってオベロンの口に突っ込んだ。立香が嚙み切るのに大層苦労したそれをグシャリと難なく嚙み潰して、彼は綺麗に嗤った。

 

三、二、一、――Dive。
ぐんっと自分の意思が遠くに引っ張られていく感覚がする。立香は自分の神経が長く細く伸びていく感覚に酔いそうになる。単純に気持ち悪い。暫しの我慢の後、エレベータの重力から解放されたような心持で彼女は目を覚ました。見慣れた天井だ――。ゆっくりと体を起こしていく。
「はぁっ」
「大丈夫かい? 立香ちゃん」
ダヴィンチちゃんが心配そうに立香を見ていた。傍にはアスクレピオスやシオンなども控えている。彼らにくしゃりと力無い笑みを返して、立香は立ち上がった。隣ではオベロンが慣れたように屈伸運動をしている。今回初めてアバターに移動した立香。各関節の動きに酷い違和感があった。恐る恐る、オベロンに倣うように体の体操をしてみる。
「各神経系のパラメータ正常です。脳波は一時乱れがありましたが、現在は上下幅ともに正常域に収束していっています。はい、……問題ありません」
ダヴィンチちゃんの問診に始まり、各種の検査、最後にカルデアスタッフのモニターチェックを受けて、解放されたが、なかなかに歩行すらも難しい。体幹が安定しないので、オベロンに手を繋がれながら立香はマイルームへ移動する。
「はぁ~、やっぱり変な感覚だね。慣れるのに時間がかかりそう」
「まあ、急ごしらえだしね。ゆっくり慣れるしかないさ」
普段の倍の時間をかけて、二人はマイルームの扉を開けた。シュンという軽い音共に中に入れば、可愛い娘の後姿が目に入る。あの銀髪は、――
「スピカ! ただいま~、いい子にしてた?」
立香が笑みを浮かべながら、長女に近づいて抱き上げようとした時、彼女が振り返った。その口にはべったりと赤いものが……。
「きゃー!!!! スピカ、どうしたの!!!!」
「なんだ!? 血、血か!? 吐いたの!?」
「先輩! 悲鳴が! どうされました!? 緊急事態、緊急事態ですか!?」
「お館様! ものども! であえー! であえー!!」
これぞ蜂の巣を突いた騒ぎである。立香が涙目になりながら、必死に娘の口元を拭う。その傍らで、オベロンが鬼気迫る様子で彼女の体に異常が無いか調べる。その間にもマイルームの入り口にはどんどんとサーヴァント達が駆けつけてきた。
「毒か!」「暗殺!?」「おのれえええ、どこの勢力じゃ! 焼き討ちにしてくれる!!!」「衛生兵! 衛生兵はまだか!!」
どっかーん!
「邪魔です!通しなさい!」

ナイチンゲール女史が入り口に固まっているサーヴァントを纏めて吹き飛ばした。その後ろからアスクレピオスが手袋を嵌め直しつつ、マイルームに駆け込んでくる。
「見せろ」
「今のところ、どこにも異常らしきものは見えないんだけど」
オベロンはアスクレピオスに妖精眼で見た現状を説明する。その手は震えていた。アスクレピオスがペンライトを使って、長女の咥内を確認する。上下左右と何度か見た後、目袋を押し下げて眼球も確認する。
「うむ。正常」
「で、でも、口周りに紅い血が……」
恐る恐ると立香が拭ったタオルを見せる。アスクレピオスの眉が潜む。
「これは血ではない」
「「え」」
もう一度、アスクレピオスがタオルを確認しながら嘆息した。
「何か知らないが、少なくとも血じゃない」
では、これは一体何なのか。夫婦が放心しかけているところに、マイルームの入口から「あー!」となぎこさんの声が上がった。
「あたしちゃんそれ知ってるー! エミヤっちが、最近、ブラッディーストロベリーとかいうやべぇ名前の超高級苺が手に入ったから、ジャムにしたって! 見せてもらったけど、マジヤバの紅さだったん」
「「…………」」
二人の間で、長女がえへと笑う。その背後で瓶がひとつ――、ころりと転がった。
「「スピカ!!!!」」
カルデアの一室に特大の雷が落ちた。

 

ざわざわと心臓がひっくり返るような感覚の後、彼は目覚めた。その傍で、老執事が控えており、グラスに注がれた一杯の水を差しだした。レモンかライムか、清涼感のある飲み心地に一息を吐く。
「坊ちゃま、叔父上がお見えでございます」
「…………、分かった」
グラスを乱暴に突き返して、アルフォンスは階下の応接室へと向かう。ギィと重厚なドアを潜りぬければ、アルフォンスと似た顔をした男がソファーから立ち上がって両手を広げた。
「おお……、アルフォンス。心配したぞ!賊に狙われたそうじゃないか」
大袈裟な仕草で男――アルフォンスの叔父が、彼のほっそりとした体を抱きしめる。ゆるゆると背を撫でながら、彼の体に異常が無いか調べている。叔父の胸元で葉巻の濃い匂いを嗅ぎながら、アルフォンスは苦笑を零した。
「叔父上、大袈裟ですよ。これでもゴールディング家の当主となった身です、露払いはしましたとも」
「そうか、そうか。兄上もさぞ頼もしく思われていることだろう」
一頻り歓談をした後、叔父は酷く名残惜し気に屋敷を後にした。アルフォンスは足早に自室に戻る。部屋に入った彼はめちゃくちゃに服を脱ぎ捨てた。そのまま飛び込むようにシャワールームに駆け込む。ザアアアと水量を最大にして、体中を洗う。ごしごしと酷く力を込めているのか、彼の白い体が真っ赤になった。と、胃の中からせり上がる嘔吐感。おええええと彼は先ほど飲んだ水を全て吐きだした。
(気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い)
ぼたぼたと水を滴らせながら、彼は部屋に戻る。ふらふらと机に縋りついた。その机の上にある小箱――。中を開けば、白いハンカチがある。その白いハンカチに震える手で触ろうとして、ぴたりと体の動きを止める。――彼は体を九の字に折り曲げながら、今度は胃液を吐いた。アルフォンスは口元を汚しながら、朦朧とする意識を手繰り寄せる。
(どうして世界はこんなにも醜いんだ。……何がさぞ頼もしいだ、白々しい。お前が殺したくせに)
気持ち悪いのは叔父だけでは無かった。父も母も、自分自身ですら、アルフォンスは気持ち悪かった。綺麗なものが良かった。綺麗になりたかった。彼の脳裏に美しい緋色がよぎる。ぎゅうと裸の体を丸めながら、彼は呟いた。
「りつか、お姉さん……」

机の上の白いバラに蝶が止まっている。ひらりひらりと二度三度翅を瞬いて、開かれた窓――バルコニーの先の暗闇に飛び立っていった。

 

リィリィと虫が鳴いている。昼間に比べて格段に熱量が減った深夜。調査隊一行は、博物館の傍の道に集合していた。
「これが僕が用意したニセモノ。はい、どうぞ」
オベロンが小石をジェーンに渡す。
「博物館の中に人の存在は無し。システム警備だけね。さーて、じゃあ、やりますか☆」
ジェーンの掛け声に応じて、立香が手元の機械を確認する。各種システムをジャミングして、無効化させるものだ。小さな町の博物館の警備などカルデアの手に掛かれば赤子の手を捻るもの。さくっと空輸で届いた。お互いに目線で頷き合って、立香が宣言する。
「ミッション開始!」
ジェーンが素早く博物館の傍まで移動する。立香は機械の電源をONにして、待機。オベロンが虫たちを配備しながら、周囲を警戒する。運悪くこの近くを通り過ぎるものが居れば、イシュタルが観光客を装って誘導する手筈だ。
ジェーンは注意深く、最初の関門である扉を見た。扉の周囲に監視カメラが2台。立香の機械から発せられるジャミング効果で録画は同じものをリピートするように仕組まれる。カメラの動きが完全停止したのを確認して、扉に駆け寄った。当然ロックされているが、そこは斥候で培ったスキルで難なく開錠する。暗視ゴーグルをつけて、周囲を確認。最初の見立て通り、館内には誰も居ない。展示物周りにセンサーを確認。廊下を足音無く移動して、ゲートキーの遺物の前に到達した。展示物の前で、立香と同じ機械を作動させる。ゴーグルで見る先のセンサーが揺れて、止まった。ジェーンは跳躍する。軽やかに――乱れることも無く着地。展示物にかけられたケースを持ち上げる。中の小石と手元の小石を見比べた。寸分違わぬその造形に、ミッション中だというのにワーオと拍手を送る。素早く石を取り換えて、ケースを戻した。そのまま来た道と同じルートで戻る。カチャリ。扉の施錠を元に戻して、ジェーンは後ろにいるであろうメンバにVサインを送る。
(いいから早く戻れ――)
オベロンが笑いながら、こめかみを引きつらせた。立香も苦笑いしながら手招く。ジェーン合流後、オベロンが立香を抱えて、三人は驚異的なスピードで街を疾走する。暫く移動した後、博物館からかなり離れた公園の一角に彼らは着地した。立香が大きく息を吐く。
「はぁー------、どきどきした」
「ま、問題なく終わったんじゃない?」
「誰か一人ぐらい何かやらかすかなぁ~って期待したんだけど、何も無かったね」
「「「やめて/やめろ」」」
ジェーンのどこまでも呑気な回答に全員がため息を吐く。
「ともあれ、――ミッション達成! お疲れ様!」
立香の掛け声とともに、ハイタッチの音が熱帯夜に響き渡った。

翌日午後、二回目のサンボープレイクック遺跡。アルフォンスを同行者に加えて、一行は森の中を手元の装置を見ながら歩いて行く。
「地雷があるかもしれないから本当は横道とかだめなんだって」
「へえ、危ないわね。まあ私達には関係ないけど、ダヴィンチ特製の探知機持ってるしね」
一般人は要注意ね、とイシュタルがちらりとアルフォンスを見るが、彼はにこりと笑い返す。その余裕そうな態度にふんと彼女は鼻を鳴らした。足音荒く前方のジェーンの方へと進んでいく。苦笑いしながら、立香がその後を追う。アルフォンスは前を行く立香をじいと見つめた。
(このままだと本当に空中宮殿を見つけそうだな……)
さて、どうしたものか。――このまま浚ってしまおうか。幸いにも森には多くのがある。呼び起さないと分からないが、人のものだってあるかもしれない。彼の体に自然と魔力が集まっていく。ゆらり、とアルフォンスの指が彼女の背に向けられようとした時、彼女の体に影が差した。白い男――、白いのに何故か暗いと感じる男が立香の傍に立ち、こちらを見ている。
「…………」
アルフォンスは無言のまま指を降ろした。

「あー、やっぱりここかぁ」
ジェーンが大きく声を上げた。イシュタルが手元の計器を覗き込んでくる。うん、間違いなしと彼女も太鼓判を押す。彼らが立ち止まったのは、(戦いの為か劣化の為か)石枠だけを残した、かつては建物であったろう扉。上から大きな樹がその石枠を飲み込んで絡みついている。ぽっかりと石枠の中央は開かれており、向こう側の景色が見えていた。
「やっぱりって?」
「んー、この間来た時になんかここだけ違和感があって。でも、何もないな~ってなってたんだよね」
そうだったんだ、と頷く立香の横でイシュタルが小石を取り出す。全員がその挙動に注目した。
「ふふん、刮目してみよ!」
彼女は扉の前に立ち、太陽にその石を翳した。その石は光を受けて、――何も起きなかった。
「あ、あら?」
「イシュタリん、イシュタリん。……逆だよ」
「……こほん。再度、刮目してみよ!」
小石を引っ繰り返して、イシュタルは石を掲げた。じわりと石の上に橙色の文字が浮かび上がってくる。リーィィィンと甲高い音が響いて、何もない扉の中に陽炎が立ち上がった。少し前まで遮るものなく向こう側が見えていた空間がゆらゆらと揺らめいている。恐らく一般人には何も起きていないように見えるだろうそれは、魔力の流れだった。立香は知らず、ごくりと喉を鳴らした。
「行こうか」
先に何が待つが分からない為、ジェーン、立香、オベロン、アルフォンス、イシュタルの順で突入する。立香が恐る恐る一歩を踏み込めば、ぐにゃりと感覚器官が歪んだ。ぐえ、と脳髄を揺られながら目を開けば、不思議な色合いの黒い階段が目に入った。それは点々と上へと続いている。その頂は見えない。「うわ」と背後で声が上がる。アルフォンスだ。後ろを振り返れば、彼が足元を恐る恐る見ている。続くように立香も足元も見て、「ひえ」と声が出た。彼らの眼下には森が見えた。そう――、彼らが居たサンボープレイクック遺跡の森の上だった。五十メートル以上はありそうだ。立香とアルフォンスの視線が合う。ひくり、とお互いの口の端が吊り上がった。
「おーい、はやく~」
上空からジェーンの声がする。階段の一番上に彼女は立っていた。おーいと手を振っている。今いくー、と立香は手を振り返した。一歩二歩と黒い階段を上る。中々の急勾配。よいしょよいしょと苦労しながら登っていくと、頂上に手が掛かった。そぉいと立香が体を持ち上げる。上体を頂きの上に出した彼女の顔、前髪を風が揺らした。ジェーンが立っている大地、半透明なそれはあちらこちらに幾何学模様が見える。周囲はダークグレイというか、まるで雲がかかったような壁。最後に中央の大きな筒を見る。くるくると巨大な正方形の石がゆるやかに回転している。呆然と立香はその光景を見た。
「……いたっ!」
誰かが立香の尻を叩いた。下を見れば、オベロンが半眼でこちらを見ている。その後ろにアルフォンスとイシュタルも同様の目線で見ていた。(早く行け――)あ、すみません。日本人特有の半笑いで立香は素早く上に移動した。続けて全員が頂上に上った。
「すごい……」
アルフォンスが感動のため息を零す。イシュタルとジェーンが周囲の壁を触りながら確認した。
「これ、もともとは宇宙船だったんじゃないかな」
「それを加工して、魔術師の工房にしたって感じ?」
「だねぇ」
「でも、何のために?」
さあ、とジェーンは肩を竦めた。恐らく、SW時空の誰かが此処を訪れて、自らの移動手段である宇宙船を魔改造したのだろうが、そんなことをすればもうどこの惑星にも飛び立てない。そうする理由に二人は思い当たらなかった。二人の会話に同意しながら、立香は自然とオベロンの姿を探す。中央の石の横にある石碑らしきものを見ている彼を見つけた。ひょこひょこと歩いて、立香は彼の隣に立つ。
「何か分かるの?」
「……」
「オベロン?」
彼は難しい顔をしたまま、ため息を吐いた。アルフォンスも彼を不思議そうに見ている。少しの沈黙の後、彼が言葉を紡ぐ。
『亡き王女に捧ぐ。この星の人の魂は輪廻転生するのだと言う。
病に倒れた彼女も何時かは再びこの大地に戻るのだと。
であれば、私はここで何時何時までもお待ち申し上げる』
「それは石碑の?」
彼は頷いた。石碑を指でなぞりながら、オベロンはまるで朗読するかのように言葉を続けていく。
『……本日も変化なし』
『……本日も変化なし』
『……本日も変化なし』
『……本日も変化なし』
『……本日も変化なし』
『……本日も変化なし』
『……本日も変化なし』
『……本日も変化なし』
『来ない来ない貴方は来ない。どれほどの月日が流れた?
眼下の街並みにがどれほど移り変わろうとも貴方の来訪の兆しは無い』
『……本日も変化なし』
『……本日も変化なし』
『……本日も変化なし』
『……疲れた』
『……本日も変化なし』
『……ああ、何てことだ!自分は何て愚かだったのだろう!彼女が来れないならば、自分が行けばいいのだ。愛しい人、今、参ります』

最後の言葉だった。三人に沈黙が落ちる。ひゅううと風が吹く。優しい風が吹いて、立香の髪を浚う。
「愚かなやつ」アルフォンスが呟いた。
「知らなかったんだよ」それにオベロンが返した。
「彼は知らなかった。人々の信仰という概念を本当のコトだと思っていたんだ」
ぽつりと立香の目から涙が零れ落ちた。その涙は床を通り抜けて、森へと落ちていく。立香の滲む視界を大きな手が覆った。慣れ親しんだ温もりに、声無くその手の持ち主の名を呼ぶ。応えるように彼の手に力が込められた。立香はそっとその手に触れて、――ガクンと落下の衝撃を感じる。
「「「!!!」」」
なんだ!とアルフォンスが動揺の声を上げる。立香が覆いの手を降ろして中央を見た。イシュタルが中央の石に手を掛けたまま、固まっている。たらりと彼女の顔に汗が流れた。
「ち、違うのよ? 何で出来ているのかなぁってそう思っただけで……」
「『この輝き、もしかして宝石じゃないっ!?』てイシュタリん叫んでたねぇ」
「「「……」」」
最初の衝撃以降、断続的に振動が伝わってくる。もしかして、もしかしなくても、――
「落ちる!!!」
立香は素早く来た道を確認した。ばっと下を見て、――絶望した。階段が全て落ちていた。幸か不幸か、断片は森に落ちる前に光の粒子となって消えていく。しかし、焦るように後ろを振り返って、立香は他のメンバを見渡した。ジェーンが反対側を見て声を上げる。
「こっちにも階段みーっけ!」
「総員退避~~!!!」
立香の掛け声でイシュタルとオベロンが反対面へと移動する。立香もダッシュをかけようとして、座り込んでいるアルフォンスを見つけた。
「手を取って! 走るよ!」「!」
立香は彼の細い手首を掴むと、そのまま一緒に走り出す。

反対側の階段は螺旋状になっており、全員が必死の形相で駆けて行く。理由は単純だ。階段が上の方から崩れて落下しているから。大小様々な石が頭上から落ちてくる。
「「「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~~~~~~~~!!!」」」」
「あっははははは!」
怒号と哄笑と――、五人は走った! 遺跡の中を、一心不乱にオベロン達は駆けていく!
「イシュタル!! 君、後で覚えていろよっ!!!」
「うるさい、うるさい、うるさーい! あんなの見たら、誰だって手に取っちゃうでしょー-!?」
私は悪くなーい!とひと際高く叫んだイシュタルに、彼女を知らぬアルフォンスですら「お前が悪い!」と突っ込んだ。
最後の階段を力いっぱい踏みしめて、ジャンプ! ずべーっ!と彼らは大地の上を滑った。
「はぁはぁはぁ……生きてる」
「死ぬかと思った」
思い思いに各人がコメントを漏らす中、ふと、オベロンは気が付いた。
(別にサーヴァントなんだから死ななくないか?なんなら立香を抱えれば着地だって問題ない。…………)
まあ、立香達のノリに巻き込まれてしまったというか、なんと言うか。オベロンは気が付いた事実をそっと胸の奥にしまった。

「ええ~と、空中宮殿はご覧の通りで。でも、見つけたことには見つけた訳で……」
大分苦しい言い訳を立香は話していく。目の前のアルフォンスは腕を組んで沈黙したままだ。これは、分が悪いか?と内心酷く焦っている彼女を他所に、アルフォンスはため息を一つ吐いて、閉じていた目を開いた。
「僕には貸しが一つある……前回のエーゲ海で助けてもらったしね。お姉さんの言う通り、確かに宮殿は見つけたから今回はヨシとするよ」
ほっと立香は安堵の息を吐く。そんな彼女を見ながら、アルフォンスはどうして?と聞いた。
「何のこと?」
「最後、僕を助けたでしょう」
ああ、と立香は嘆息する。落下する宮殿での出来事を彼は言っているのだ。ふうと先ほどとは違う、呆れの息を吐いて立香は言った。
「そりゃあ助けるよ」
「だからどうして」
「理由なんてない」
「は?」
ぽかんとアルフォンスは立香を見上げた。もう一度、彼女は言った。理由なんて無いよ、と。そのまま彼女は森の外へと歩いて行く。取り残されたアルフォンスは顔をくしゃりと歪めた。なんで、――。小さく呟いた。彼は顔を上げる。このまま引き下がれない。任務は終わったが、彼女と話をしたかった。もう一度話がしたいと伝える為に彼は一歩足を進める。

森の外で、立香はオベロンが歩いて来るのを確認した。その背後を見やって、あれ?と声を上げる。
「オベロン。アルフォンスを見なかった?」
「いいや? 何、彼戻っていないの?」
「うん……」
探しに行こうか、と立香がそわりと体を揺らすとオベロンが静止する。彼の視線の先を追うと、アルフォンスの従者が彼と共に車に乗り込むところだった。おや、と立香は声を掛けようとするが、再度オベロンが止める。
「やめときなよ。あんまり関わらないほうがいい。今回の指令はクリアってことで話はついたんだろ?」
「……うん」
オベロンに、(じゃあ、お疲れ様だ。帰るよ)と街へと戻るべくタクシーに促される。一歩歩き出した立香の視界がくらりと歪む。
「?」
「おっと……熱中症かな? ――早く帰ろう」
熱中症……そうかもしれない。不自然な鼓動。止まらない汗。本当にこの国は暑い……。降り注ぐ日差しと森を背にしながら、立香は車に乗り込んだ。

イシュタルとジェーンと現地組で打ち上げをした翌日、二人は宝石が見たい!と騒いでシェムリアップへと旅立った。カンボジアは宝石産出国として有名で、ブルージルコンはここでしか採れない。様々な宝石が市場に出回るらしく、二人は意気揚々と都市部へと繰り出していった。今回のミッションで目ぼしいものが無く、あれほど巨大な宝石(だったのかは定かではないが)見た後では不完全燃焼とのこと。二人のトレジャー魂に呆れつつも笑顔で見送った。因みに借用していた小石は無事に博物館に戻した。これだけは本当に良かったと立香は安堵した。そして、今――、彼女は頭を抱えていた。
「どうしたニンゲン、腹でも壊したか?」
「いやぁ、お竜さん、多分違うんじゃないかなぁ」
不思議そうにこちらを見るお竜さんと不憫そうに見る龍馬。彼らと共に、立香は小島に向かうボートに揺られていた。彼らの向かう先、その場所の名はソンサー プライベート アイランド――。カンボジアの南西部、シアヌークビルにあるカンボジア初となるラグジュアリーアイランドリゾートだ。
イシュタルとジェーンと別れた後、さて、帰ろうかと空港にむかったところで立香は行きとは違う便に乗せられる。あれ?と思っている間にオベロンが行くよ、と彼女の手荷物を持って移動するので、慌てて後を追ったら、降り立った空港で龍馬たちが待っていた。「え? え? どういうこと?」と混乱を極める彼女を置き去りに三人は示し合わせてあったのか、意気揚々と車に乗り込み、気が付けばボートに揺られていた。そのボートの上で、漸く立香は説明を受けた。これは新婚旅行だった――。

島そのものを1リゾートとしたその場所は、二つの島に桟橋が掛けられている。所謂、夫婦島のそこでは一つの島はリゾート場所として、もう一つの場所は自然そのままにバードウォッチングやジャングル探検が楽しめる仕様となっている。水上バンガローを含めた三つのヴィラカテゴリーには、全て南国ホテルのスィート仕様。木の温もりと洗練された最高級リゾートとなっている。いい、ここまでは良い。とても驚いたが、嬉しいサプライズだった。何時かのお竜さんとの約束が果たせたことも嬉しかった。けれど、だけれど、これは予想外すぎる!

ホテルの一室、閉じられたドアがゆっくりと開かれる。立香が恐る恐るとその身を露わにすれば、お竜さんと龍馬の感嘆のため息が零れた。
「ニンゲン! ああ、やっぱりお前は愛らしいな」
「こいつぁ、見事だ」
しゃらりと彼女の足先から涼やかな音がする。パールと白いバラのベアフッドサンダルには、甲の部分に大小の様々なビジューがあしらわれ、キラキラと彼女の足先を彩る。ビスチェタイプのタイトなミニドレスから彼女のすらりとした足が大胆に晒されているが、決して下品にならないのは、その上からシフォン素材のフィッシュテールが花の形のようにふんわりと縁どっているから。繊細な刺繍が施された長めのスリーブマントは極限まで薄い生地で作られており、まるで薄羽のように彼女の背中に優しく沿う。
扉の傍に控えていたオベロンは、よく似合ってる、と彼女に声をかけた。少しだけ早口に聞こえたのはきっと気のせいではない。しかし、立香は喜びよりも戸惑いの表情で答える。
「こ、こういうのはきっとマシュの方が似合うよ」
「……ふーん」
「それに……わたし、綺麗じゃない、し……」
嘘ではない。現に、手にも足にも、あちらこちらに様々な傷跡が見える。どうしてこんなに肌が見えるドレスなのだろうか。醜い我が身が恥ずかしい。出会ったことはないけれど、妖精妃であるティターニアだったならば、このドレスも良く似合うのだろう。綺麗だ。本当に素敵なドレス。自分には勿体ない――。

口を引き結び、俯く立香を見ながらオベロンは、(やっぱりなぁ)と嬉しくない予想の的中にため息を吐いた。自傷する立香にお竜さんが悲しそうに言葉を掛ける。
「どうしてそんなことを言うんだ、ニンゲン。お前は美しい――お竜さんの言うことが信じられないか?」
「…………」
沈黙する立香に、オベロンが口を開いた。
「そうか。気に入らないなら仕方ない。そのドレスは捨ててしまおう」
「!」
立香が頭を振る。そうじゃない、と彼女の瞳がオベロンに縋る。
「そのドレスはきみの為に用意したものだ。マシュの為でもない。ましてや、ティターニアの為でもない。――藤丸立香の為に用意した。きみが着ないと言うなら捨てるしかない」
蒼褪める立香を他所にオベロンは、ところで――と言葉を続ける。
「そのドレス、それを渡した意味分かってるよね?」
オベロンの言葉に立香は首を傾げた。それにため息を吐きながら、彼は拗ねたように呟いた。
「だから、……俺だけの立香になってよ、てことなんだけど」

立香は放心する。何かを言わなければと思うのに、喉奥はきゅうと締まって、口は喘ぐばかり。
(はい? 嬉しい? 喜んで?)
肯定の言葉は虚しく通り過ぎていく。心の奥底で別の言葉がじわりと浮き上がる。
(いいのだろうか? 自分で本当にいいのだろうか? マスターではなく、ただの人間――藤丸立香でもいいのだろうか?)
だって、求められなかった。カルデアに来た日からずっと、藤丸立香という|人間《個人》は求められなかった。だから、頷いていいのか分からない。
立香の葛藤にオベロンは微かに笑みを浮かべる。
「大丈夫。聞こえているよ知っているよ――」
彼女の瞳から涙が落ちる。声を押し殺しながら泣き始めた立香を抱きしめて、オベロンは「本当に……きみは泣き虫だなぁ」と笑った。

散々泣いて目を赤くした立香をお竜さんがうりうりと慰める。そんな二人の姿を少し離れたところで龍馬は眺める。安堵のため息を吐く彼の背後から、オベロンが話しかけた。
「ねぇ、ちょっと言いたいことがあるんだけど」
おや、なんだろうかと龍馬は目を丸くしながらも、嬉し気になんだい?と応えた。オベロンは何かを覚悟するように息を大きく吸って、言った。
「醜いなんてとんでもない。世界で一番、あの娘が綺麗だよ。あんたもそう思うだろ?」
ぽかんと龍馬の口と目が開く。その一方で、脳内の記憶メモリが激しく活性化する。やがて、一つの過去のやり取りがヒットした。
『君は、彼女を――、醜いと思うかい』
愚かな聞き方をしてしまった過去の自分への答えだった。三秒後、「あ」の形をした龍馬の口から爆笑が飛び出た。
「あっはははははは! 参った!!!!」
龍馬は涙目で、「やけんど」と続ける。
「お兄さんには悪いけんど、わしの一番はお竜さんやき」
にやりと笑った龍馬を、オベロンが拳で小突いた。突かれた肩を大げさに、あいたたたとリアクションしながら、すまんのぅすまんのぅと龍馬が笑いながら言うので、とうとうオベロンの足蹴りが入る。男二人の、子犬の喧嘩のようなやりとりに立香は呆然と、お竜さんはさもありなんと笑いながら、眺めるのだった。

ひとしきり、四人で騒いだ後、後はご両人でごゆっくりと龍馬がぐずるお竜さんを連れて部屋を出ていく。それは見合いの時のセリフではなかっただろうかと立香はぼんやりと二人の後姿を見送る。部屋を出る間際、お竜さんが手を振ってくれたので、ゆるく手を振り返した。その左手に、きらりと光る指輪がひとつ。そっとその指輪の石に触れながら、この指輪を貰った時のことを思い出す。所謂、あれがプロポーズというやつになるのだろう。その前にも食堂でワンエピソードあったけれど、オベロンとしては忘れてほしいらしいので、指輪の時の方を正しいものとしておいてあげよう。これだけでも立香にとっては大きな贈り物だった。だから、まさか、こんなサプライズがあるとは思わなかったので、未だに心の整理がついていない。ふわふわと足元が揺れるのは、先ほどまで飲んでいたシャンパンだけのせいではないだろう。ほぅ、と立香の口から呼気が漏れる。かたり、と彼女の隣に誰かが座った。見るまでも無く、それは黒い髪の青年――オベロンだ。
何とも言えない空気が流れた。二人は沈黙したまま、身じろぎをする。立香はカラカラの喉から思い切って声を出した。
「こ、このドレスは……お、オベロンが選んでくれたの?」
声がひっくり返った。
「……俺以外だれが選ぶんだよ」
「そ、そうなんだ!」
つまり、このドレスはオベロンの好みということになるのだが、いいのだろうか。と内心で立香はそわそわとする。ウェディングドレスといえば、ロングタイプ、所謂、プリセンスラインのようなものをイメージしていた立香にとって、太ももの上の方まで上がったスカートが気になって仕方がない。周りのシフォンでいくらか隠れると言っても、座った状態では尚のこと、彼女の脚が曝されている。ちょっと屈んだら、スカートの中身が見えてしまうのではないだろうか。そっと指先でスカートの先を引っ張ってみる。が、生地が固くタイトなスカートなので、どうにもならない。意味も無く、立香の頬がほんのりと赤く染まる。――と、細いけれど立香より大きな手がするりと伸びて、彼女の太ももに触れる。
「ぁっ」
オベロンは彼女の脚の上に手を置いたまま、それ以上は動かない。ドキドキと立香の心臓が早鐘を打つ。上手く呼吸が出来なくなる中、そっとオベロンの方に顔を向けた。立香を見つめていたオベロンの瞳とぶつかる。彼はいつもの皮肉屋の笑顔を引っ込めて、じっと立香を見ている。視線で溶けてしまうのではないか、と立香は思った。
「きみが一番綺麗に見えるドレスを選んだ……つもりなんだけど」
真っ直ぐに注がれていたオベロンの視線が少し彷徨う。顔色は変わらないのに、彼が少し照れているのが立香には分かった。
(どうしよう)
好きになってしまう、と立香は思った。いや、確かに彼を愛しているのだけれど、これはなんというか、乙女的な感じの、そう、一般的には恋と呼ぶ感じの甘酸っぱさ。居ても立ってもいられず、立香は立ち上がる。混乱のままに、彼女はこの場所から逃げ出したくなった。その彼女の手をオベロンが掴む。
「あ、あの、わ、私……」
もう着替えると言いたいのに言えない。あう、と立香が言葉にならない言葉で口をつぐむ。
「だめ。見せて」
オベロンは立香の手を引いて彼の前に立たせた。逃げることも出来ず、立香は彫像のように固まってしまった。そんな彼女を見て、オベロンは少しだけ笑みを浮かべる。もう一度、彼の手が彼女の太ももに触れた。びくりと立香の体が震える。そのまま、するりと上に向かって手の平が進んでいく。スカートの淵に触れたオベロンの長い指、その人差し指が白いスカートの隙間に差し挟まれる。するり、彼の指が横に滑った。もはや立香の心臓は限界寸前。逃げようとした立香をオベロンが再び捕まえる。
「もうちょっとだけこのままでいて」
焦がれるような声だった。オベロンはそのままゆっくりと立香の手を引いて、彼女を自分の膝の上に座らせた。彼の膝を跨ぐ為、立香の脚は大きく開かれる。
「あ、あの! す、スカートが!」
立香がしどろもどろに腰を上げて足を閉じようとするが、オベロンが彼女の腰から手を離さない為にぺたりと座り込んでしまう。冷たい空気が足の間に吹き込んでくる感触に、立香はとうとう涙目になった。案の定、オベロンの手がスカートの中に侵入してきた。そして、彼女の腰のサイドにある、下着の留め具を見事に探り当てて、ぷつりと外してしまう。
「!!!??」
先ほどとは反対に、腰をあげて、という彼の指示に立香は逆らえない。恐る恐ると彼の脚から腰を上げれば、サイドのホック(下着の仕様に作為的なものを感じる)が外れている為、するりと下着が重力に従って彼女の身から離れる。すうすうと、足の付け根に直接空気を感じて立香はもうだめだと、顔を真っ赤にする。くっくっくっとオベロンが楽しそうに嗤った。そのまま彼は自らのズボンのチャックをジッと下げ降ろした。カチャカチャとベルトを外す音がする。立香は自分の下で行われている行動に目を向けることが出来ず、ぎゅっと目をつぶった。
「立香」
オベロンが彼女の名を呼んだ。ううっと立香が呻きながら、羞恥の涙で滲む瞳を開いた。うっとりとオベロンが立香を見上げている。来て――、と彼が請う。震えながら、立香が腰を下ろした。
くちゅ。何かに触れた瞬間、粘り気のある水音がした。反射的に立香の腰が浮く。オベロンが笑いながら、彼女の腰を撫でる。宥めるようなその仕草。う、あ、と立香が頭を左右に振りながら拒否するが、オベロンの手に導かれて、深く腰を下ろしていく。くちゅ、ぴちゃ……。
「ほうら。おいで、立香」
オベロンが楽し気に彼女の体を揺すって、彼の逸物を彼女の中央に納めようとする。前戯など無い今の状態では、上手くナカに入らない。入り口を突いたり、ちょっとだけナカに入ったり。立香は更に涙目になる。
「まって、まってぇ、……オベロンつけてないよぉ」
「大丈夫だよ、遊んでいるだけだから」
最後までしないよ、と彼が綺麗に笑うから。立香のナカがきゅんと切なくなる。何かを察したのか、オベロンが切っ先を彼女の入口に当てたまま、動かなくなる。あっあっ、と立香が喘ぐのを下から見上げて、オベロンの目が弧を描く。
「ねえ、分かる? ……きみの入口、ヒクヒクしてる」
もはや羞恥に声も出ない。立香の思考が真っ白に染まっていく中、オベロンが囁く。
欲しい――?

「あっ、あっ、ぁん!」
ベッドマットが揺れる。沈みこむような感触のベッドの上。オベロンは背後のクッションに背中を預けながら、立香を見上げた。立香の喉元からつぅと汗が滑り、胸の間に落ちていく。自分の上で腰を振って乱れる、純白の衣装に身を包んだ立香。彼女の痴態を眺めながら、オベロンは自分の選んだドレスに自画自賛する。彼女の素肌が好きだ。しっとりとしていて、柔らかい。その肌を大胆に見せるドレスは、本当に彼女に良く似合っていた。しかし、こんな艶姿は他人には見せられない。見せる気も無い。――自分だけが見ればいい。立香にウェディングドレスを着せるとカルデアで言おうものなら、あれやこれやと外野がうるさく口出ししてくるに決まっている。何より衆目がある場では、これ程大胆に肌を見せるドレスは着せられない。だからこそ、この旅先でサプライズ――、だった。
「オベロン……きもちいい?」
考え事をしていたせいか、立香が不安げにオベロンを見る。オベロンは優しく立香を引き寄せ、ちゅっと彼女の唇に吸い付いた。そのまま囁くように呟く。
「とっても」
頬を染めつつも立香が嬉しそうに笑う。服の上から胸を触れば、固い布の感触。立香がもどかし気に上半身を捩った。
「ね、もう脱いでいい? ……直接触ってほしい」
うーん名残惜しい。と思いつつ、オベロンは頷いた。彼女の肩からスリーブを外す。そのまま、背中のジップを降ろしてやった。立香は差し込んでいた逸物をナカから引き抜き、立ち上がる。彼女は急くようにドレスを脱ぎ降ろした。白いレースの下着だけが残る。再び体を下げて、もう一度、オベロンの逸物をナカに収めた。はぁ、と彼女口からため息が零れる。温かいナカの感触にオベロンも唸るような息を吐いた。――気持ちいい。オベロンの肩に手を置いた立香が意味ありげな視線をオベロンに投げた。オベロンは微笑みながら、立香の後ろ、下着のホックに手をかける。カチッという音共に、彼女の下着から胸が零れる。下から掬うように乳房を持ち上げれば、彼女の口から愛声が零れた。こりこりと彼女の両方の乳首をこする度に、立香の腰が跳ねる。そのまま擦り付けるように腰が動き始めた。出たり入ったり――。ぬちゃぬちゃと水音が響く。いやらしいなぁとオベロンは舌なめずりをする。たぷたぷと彼女の乳房が揺れるので、その淫乱さを窘めるたしなめるように摘まんでやった。あん!と立香から声が上がる。引っ張って、先の方だけすりすりと人差し指と親指で擦り上げる。彼女のナカが嬉しそうに蠢いた。
「あー、最高。ぐちゅぐちゅのおまんこ気持ちいいなぁ」
オベロンの口から下品な言葉が出て、立香はぎょっとする。初々しく彼女の頬が染まる。それをニヤニヤと眺めながら、オベロンが立香の返事を待った。求められる言葉を察して、立香が恥ずかしそうに答えた。
「オベロンの、気持ちいいよ。突起がナカでこすれて、……あ、それ、ああん、気持ちいいよぉ!」
素直に快感に言葉を滑らせた立香を褒めて、突起をわざと壁にあたるように擦り付けてやる。更に腰を回すように動かしてやれば、立香が身を捩らせて喜んだ。はぁはぁと荒く息を吐きながら、蕩けた瞳で立香がオベロンを見下ろす。オベロンの背筋にぞくぞくと快感が走る。
「立香、気持ちいい?」
「気持ちいい……」
「これ、すき?」
「……すき」
ぐちゅぐちゅと立香のナカをオベロンの逸物が動き回る。立香は目を閉じて、その快感に全身を浸らせた。わざとオベロンが動くのを止めれば、立香は、やだ、もっと、と泣きながら波打つように腰を揺らす。すき、すき、すき、とつぶやきながら快楽に落ちていく立香を、オベロンは酷く愛おしそうに見つめた。

むせ返るような密事の中、一匹の蝶が海の向こうへ飛んでいく――。

少年は夢を見ていた。彼がそれを夢だと思ったのは、自分自身の体に自由が無かったからだ。森を出て、熱帯の国を足早に去る。愛すべき祖国に帰り、見慣れた屋敷のドアを潜る。自室に入れば、ベットに自分がもう一人横たわっている。自分の両腕がその細い首に伸びた。ぎゅうと力が籠ったのが分かった。

「かっ! はっ、はっ、はっ」
少年――アルフォンスは詰まる息に急速に思考を目覚めさせた。目を見開くように自室で目覚めた彼は、大量の汗を拭きだしながら首筋にそっと手を当てる。首筋をなぞった。
(……やけにリアルな)
白昼夢でも見たのだろうか。最後の記憶を辿る。立香に話しかけようとしたアルフォンスが最後に見た景色は、地面だった。ぐるりと回った視界の端で、何かを見たような……。男の足先とそれから?
上手く思い出せず、彼は頭を押さえる。
(落ち着け)
ベットの上で深呼吸をする。しかし――、深く息を吸い込んだ彼の鼻が異臭を嗅ぎ取った。自然と異臭の元を探し、視線が自分のベットの傍に落ちた。
「ひ、あ、……」
死体がひとつ転がっていた。その死体は、首と胴体が分かたれていた。自分が死霊魔術で動かしていたモノ。それが何故か彼の自室のベット傍に倒れ伏している。唐突に脳内に電気信号が走る。彼は最後に自分が見たものを思い出した。
だ。世界が揺れたのではない。自分の首が落ちたから視界が回ったのだと――理解した。そして、その傍にあった足先の持ち主。戸惑いも憎悪も無い。ただ作業を行った、感情の無い瞳。
(夢じゃない――――!)
我が身に起きた災厄にアルフォンスはベッドの上で後ずさった。その彼の耳に、男の声が届く。

「やあ、いい夜だね」

ドッと心臓の音が跳ねた。暗い部屋の中、アルフォンスは暫く自分の鼓動だけを聞く。
「………………」
乱れるの呼吸の中、声が聞こえたほう、バルコニーの先を見る。
男が居た。自分の首を落とした、美しい白い男が――。

「さあ、夢から覚める時間だ」

彼は艶やかに嗤った。