「やられた」
暗い廊下に立香の悔し気な声が落ち、オベロンからは舌打ちが響く。オベロンと立香は、古城の廊下で孤立していた。
発見した特異点にレイシフトし、現地調査を行った。いつものルーティンだが捜査は足で稼ぐもの。村々の情報より、この古城に原因がありそうだとあたりをつける。夜の間にしか開かれないという扉をくぐり、一つ目、二つ目と誰の気配も無い古城を突き進んでいたところ、三つ目の部屋でトラップが発動した。
咄嗟に近くのオベロンにしがみ付いて、他の仲間たちを見る。全員の足元に見たことも無い魔法陣が広がり、光を発していた。先頭を歩いていたパーシヴァルが光に音もなく飲み込まれる。
「マスター!」「パーシヴァル!」
彼だけではない。次々と仲間たちの姿が消え失せていく。立香は繋いだ手をしっかりと握りなおした。オベロンが力を込めて握り返したのが分かった。
次の瞬間――、二人は見知らぬ廊下に立っていた。
分断された仲間たちを探す為、二人は体を寄せながら慎重に調査を再開する。先ほどと同様のトラップがあった場合、離れて歩くのは悪手の為、やむを得ず密着する形になる。常にない距離は色々な意味で二人に緊張をもたらしたが、やがて、一つの大きな扉に辿り着いた。
「見た目からしてここっぽいよね」「いかにも王様が居そうな場所じゃないか」
虎穴に入らずんば――二人は重たい音を立てながら扉を押し開いた。
ギイィイイイイ、……ドオオン。
「鏡?」
暗い部屋には夥しい鏡が鎮座している。天井に床に、壁に。ありとあらゆる形の鏡があった。歩けばざりっと靴裏に分厚い埃の感触がある。そのままコツコツと靴音を鳴らしながら、二人は中央へ歩いて行く。
途中途中に自分自身の姿が鏡に映り込み、不気味だ。人影かと思えば、自分の姿が映っている。そんなことを繰り返して、一つの大きな鏡を見つける。人の背丈の1.5倍はあろうかという巨大な鏡。古いせいか埃被って、映りは良くない。
「立香、迂闊に近づくな」「うん」
そろりとその鏡から距離を取ろうとした時、――ゆらり。鏡が水面のように波打った。
「「!」」
オベロンがマスターを引き寄せようと、立香が後ろに下がろうとして、鏡を目にした。その鏡に映ったものを認識して、二人の目は見開かれる。
「ドクター?」「ティターニア?」
それぞれが発した言葉にお互いが息を飲んだ。今なんと言ったのか、そう聞きたくて二人が顔を見合わせた時、鏡から閃光が走った。暗闇慣れた目にあまりにも強い光、反射的に目を閉じてしまう。
そして、先ほどの光の陣のように再び感覚が歪む気配を感じ、お互いがお互いへと伸ばそうとした手は、――空を切った。
がやがやがや。喧騒が聞こえる。
はっと目を開くと、そこは見慣れたカルデアの廊下。これは一体どういうことかと、視線を彷徨わせていると、
「どうされましたか?/どうしたんだい?」
背後から|顔馴染み《ミスクレーン/ハベトロット》に声を掛けられる。自分たちはレイシフト中だったはずだが、今、どうなっているのかと尋ねた。
「レイシフト、何のことでしょうか?/レイシフト、何のことだい?」
噛み合わない会話に寒気がする。これは幻か。
「それよりもお支度を急がなくて大丈夫でしょうか?/こんなところで油を売っていてもいいの?」
相手を警戒しながら、何のことかと誰何する。
「と申されましても、本日はかの方の/ええ?だって、今日はあの子の」――『結婚式なのに』
告げられた言葉に驚愕する。だって、それは、――。動揺しながら、相手の所在を訪ねれば、既に式場にて来場者を迎え入れているとのこと。仮初ではあるが、このような吉事を祝わなくてどうすると自らが提案して、即席の結婚式が開かれるのだという。胃から込み上げる嫌悪感を押し込めて、その式場に向かえば、道中、様々な者たちが楽しそうに式の準備を手伝っている様子が見えた。花にリボンにと様々な装飾がカルデア中を彩っている。
式場の扉付近で、仲間がこちらに気付いて声を上げた。
「マスター!/オベロンさん!」
彼女は美しいドレスを身に纏い、これ以上の幸せは無いというように喜色の笑みを浮かべている。遅参を咎めながらも、扉をそっと開いて現状を伝えてくれた。
『もう始まっていますよ。今誓いの言葉の最中です』
扉の隙間から体を滑らせて、中に入れば、朗々とした神父/聖女の口上が聞こえる。廊下以上に豪奢に艶やかに飾り付けらえた会場、真っ直ぐに伸びる赤い絨毯。その先に、二人の男女が立っている。
「オベロン/立香」
酷く傷つけられた心の声が零れ落ちた。
オベロンが見たことも無い美しい女性の手を取っている。
その背には光り輝くような翅が閃いている。
/
データベースで見た何処か抜けた印象の男が立香の手を取っている。
その顔には零れる程の慈愛に満ちている。
滔々と式は進められていく。病める時も……健やかなるときも……神父/聖女の言葉の後に、二人はお互いに愛を誓いあい、微笑んだ。
そして、少し恥ずかしそうに見つめ合って、顔寄せ――
『異議あり!』
「いくらこれが幻だって分かってても、最悪!」
「夢幻と言えど、最低最悪の舞台だ」
『悪趣味にも程がある!』
突然割り込んだ声に戸惑うこともなく、正面に立つ人はこちらを振り返った。繋がれた相手の手を離すことなく、顔に悲しみを湛えて、彼/彼女は答えを返す。
「立香。君には悪いと思っているよ。仮初とは言え、僕たちは恋人同士だった。
お互いに手に届かぬ星を願って、寂しさに耐えきれぬ夜をお互いの温もりで耐え忍んだ。
でも、そんな君だからこそ分かってくれると思っているんだ。やっと、やっとなんだ。漸く、僕は星を手に掴んだ。これは幻なんかじゃない。そんなこと君にだけは言ってほしくない」
「オベロン。許してなんて言わない。君だけが私を温めてくれた。寂しい夜を一緒にいてくれた。
どれだけ心強かったことか。だけど、だけど。ずっと願ってたの。祈っていたの。どうか悪い夢であってほしいって。だったら、今のこれは? これこそが質の悪い冗談だっていうの。貴方がそれを私に言うの。ねえ、オベロン」
「幻惑じゃないって? ええ、そうね。これは何時か来るかもしれない未来」
「冗談じゃないって? ああ、そうさ。これは何時か起こるかもしれない奇跡」
『だから、何だって言うの?』
「そんなの関係ない。仕方ないなんてもう言い飽きたの。誓いの言葉? いいよ、そんなに欲しいならいくらだって誓ってあげる。でも、忘れないで」
「くだらない。ああ、そうだ。もう物分かりの良いふりは飽き飽きだ。そんなに言葉が必要かい? じゃあ、くれてやるよ。だが、決して忘れるな」
「私は、オベロン、きみを――――」
「俺は、立香、きみを――――」
『(愛/哀)している』
ピシリ。新郎新婦の前に誂えた豪奢なステンドグラス、そこに大きな罅が入った。その罅はガラスを越え、壁を越え、人を越え、世界に亀裂を齎す。バキバキと罅は入り続け、亀裂は大きくなり、天井からガラス片が落ちてくる。咄嗟に頭を伏せ、手で庇う。キラキラと欠片が落ちるその中で見えた、ひと際大きな世界の欠片。それが伴侶を庇う愛しい人の上に落ちていく。それが本物でないと分かっていても、言葉なく走り出す。ただ、走って、走って。手を伸ばした。――あと一歩というところで、その手は別の誰かの手とぶつかった。
「いたっ!」「!?」
更に立香は思い切り何かにぶつかって、大きく体をバウンドさせられる。倒れる、――と思った刹那、強い引力で引き戻される。そのままどすんと顔面から叩きつけられた。強かに鼻をぶつけた立香は声も無く悶絶する。鼻から嫌な音がするし、痛みが熱を持っている。まさか折れたんじゃ、と恐る恐る手を鼻に当てようとして、誰かに手を掴まれていることに気付いた。
黒く鋭い、人の手ではないもの。立香はこの手を知っている。色んな意味で涙の張った瞳を上にあげれば、青い瞳とぶつかった。
「オベロン?」「立香?」
全力疾走して上がった息が整わないままに、立香は縋るようにオベロンの体に手を回す。熱が無いくせに不思議と安らぐその体温に彼が幻でないと分かる。
「う、う、」
安堵に耐えかねたように立香は嗚咽を漏らす。
「立香」
そんな立香をオベロンが強く抱きしめ返そうとした時、ぼかっと胸に頭突きされた。
「たっ、なにして」
「浮気者~~!」
「はあ!?」
「何が仮初なのよ。……何がティターニアよ! 私の方がずっとずっとオベロンのこと好きなんだから!!!」
呆然とオベロンは立香を見つめた。浮気者と言われた時には、どっちがと言い返すつもりだった。けれど、今の言葉は――。オベロンは堪らずに手で口を覆う。嘘つきな自分は確かに彼女に想いを伝えることは稀だ。伝えらないというのが正確だが、それを抜きにしても自分自身が素直じゃない自覚がある。だが、立香も彼女のカルデアの立ち位置を理解して、明確に好意を口にすることは少ないし、オベロンが口に出来ないことを配慮して、あえて口にしない素振りがある。
そう、自分たちは言葉にすることがとても難しいから。だから、こんなストレートな言葉を言われたことが無い。オベロンは必死で自分の中の衝動と闘いながら、ぼすぼすと頭突きを繰り返す立香の頭を撫でた。うーうーと動物のような唸り声すら、可愛らしく聞こえて、ああ――胸が苦しい。
「きみ、いつも何でもないですけど? みたいな顔しているじゃないか。
浮気者って、なんだよ。そんなに……そんなに嫌だったの?」
「い、や!」
恐る恐ると聞いた問いに明朗な答えが返されて、とうとうオベロンは両手で顔を覆った。
(嫌って、嫌って……そんな子供みたいに。)
いつも先輩やらマスターやら呼ばれて、果てはお母さんなんて役までやってる癖に、――そんな彼女が、ただ嫉妬に翻弄される少女になっている。自分のせいでそんな状態になっているのだと分かって、オベロンはそれまでの怒りがどこかへ吹っ飛んでしまった。どうしてくれようかこの娘。言語化できない気持ちが渦巻いているが、取り合えず、彼女を落ち着かせようと、オベロンは未だ突進を繰り返す彼女の頭をわしりと掴んだ。そのまま彼女の頬に手を滑らせて上を向かせる。
「うわ、不細工」
「!!!!!!!!」
きいーーっ!と立香の顔がくしゃくしゃになる。とても人に見せられない。目は涙のせいで充血して血走っているし、頬と(何故か)鼻が真っ赤だし、唇はどこかで切ったのか血が滲んでいる。
顔面が満身創痍過ぎる。
ああ、でも、なんて――可愛らしいと、オベロンは思ってしまった。自分の気持ちがどうしようもなくなって、オベロンは押し付けるようにその小さな唇に口づけた。初めは吸うだけ。次にすり合わせるように。そして、最後は彼女が抵抗しないことを確認して、舌を咥内に弄り入れる。
ちゅ、じゅぅ、はっ、くちゃり、あっ、んんぅ、と水音と呼気が激しくなっていく。
「立香、立香……!」
「あ、は、ふぅ、んっ、ん、オベロン……待って、もう、と、止まって」
両手で抵抗され、渋々とオベロンは立香を解放した。辛い。何処とは言わないが、辛い。激情を表情に乗せるオベロンに立香は気圧されながらも、このままここでいちゃついている場合ではないと意識を外に向ける。
「ここから脱出しないと……」
歴戦のマスターとして思考を切り替える。周囲を伺えば、先程まであった風景は消え失せて、あたりは真っ暗闇。しかし、完全な闇ではなく、時折遠くにぼんやりとした白っぽい光が見える。取り合えず、そちらに向かおうと立香が体を捻るが、オベロンの拘束が解かれない。こ、こいつ!と思いながら、立香はオベロンの体を押すが、離れるどころか更に体を密着させてくる。
「オベロン!なにして――」
ごりっと固いものが彼女の下腹に当たった。
「え、や、何!? や、やめて」
混乱する彼女に他所にゆらゆらと腰が押し付けられる。行為を想起させるその動きに立香は慄いた。段々と彼のものが腹の更に下、彼女の秘部を狙いすまして擦り付けられる始める。
「あ、あ、だめ。だめ!」
必死に立香は体を動かして、何とか体を捻ることに成功する。オベロンから逃れようと立香が必死に足を踏みしめた時、上から重力が掛かる。立香の背に体を寄せながら、オベロンが立香を地面へと押し付けてきた。男の、しかも、サーヴァントに力で抵抗することは能わず、ずるずると地面へと体が近づいていく。
とうとう両膝が地面に屈したところで、上半身を地面に倒れさせられた。
「オベロン! いや――! やめて、離して!」
彼女の静止の声が暗闇に響くが、男が聞き入れる様子は無い。
「立香、、」
彼女の小さな耳に、はっはっと男の酷く忙しない息が吹きかけらる。そして、下腹部にまた固いものを押し付けらる感触が分かった。ずり、ずり、と衣服を身に纏ったまま、疑似的な行為が始まっていく。
「あ、あ! あぁ」
(もうだめ――)と立香の心が期待と絶望に染まった時、ドガっ!という激しい音とともに男の呻き声が聞こえた。そして、体に掛かっていた圧がふっと消える。
「え?」
何が起きたのか。立香は押さえつけられた体をそろそろと反転させて、自分の後ろを確認する。
――アルトリアが立っていた。最初の内に逸れてしまった彼女は、いつの間にか第三臨の姿を纏っており、そして、無表情に自らの剣を青筋が浮かぶほど握りしめている。その足元にはオベロンが蹲っていた。
「立香」
「――はい」
深々と金の髪の守護者は頭を下げた。ぎょっとする立香を置いてきぼりしたまま、彼女は苦渋の言葉を吐く。
「この度は、このろくでなしがとんだ狼藉を。同郷のものとして深く深くお詫び申し上げます」
ぽかんと立香は下げられた頭を見つめる。ろくでなし?狼藉?と立香の混乱は収まらないまま、一拍二拍。しっかりと頭を下げてから、アルトリアは顔を上げる。憤怒と軽蔑の眼差し。それが、真っ直ぐにオベロンに向けられている。余程強く殴打されたのか、彼はぴくりとも動かない。
(え? 死んでる、これ?)
乱雑にアルトリアはオベロンの首元を掴み上げて、立香に微笑んだ。
「立香。先ほど、村正たちが特異点の元凶らしき鏡を見つけました。向こうの明かりの方に。――先に行っててください」
すっとアルトリアが先ほど立香が目指そうとしていた薄ぼんやりとした白い光の先を指さす。目を凝らすと逸れた仲間たちが手を振っていた。
「あ、え、うん。わ、分かった。えと、二人は?」
「「――――」」
沈黙が心臓に突き刺さる。ごくっと立香が喉を鳴らす頃、アルトリアが口を開いた。
「私は、このクソ虫に用事がありますので。どうぞお先に」
答えは、はいかイエスだ。無言の圧を正しく察して、立香はよろよろと歩き出した。背後からぎりぎりと締め上げる音が聞こえる。その音をBGMに立香は走った。仲間たちが手を振っている。振り返ってはいけない。
(私は悪くない。うん、悪くないはず。
でも、……ごめん、オベロン――。貴方の犠牲は忘れない。多分。今日の夕食ぐらいまで)
その後、無事に特異点の核となっていた鏡を処理して、一行は無事にカルデアへと帰還したが、帰り道の間、オベロンの意識が戻ることは無かった。(アルトリアが引きずって帰った。)マスターへ狼藉を働いたとして夕飯も抜きになってしまったオベロンが流石に可愛そうになり、夜こっそりと立香はメロンを手に見舞うのだがその際に何があったかは――、二人だけが知っている。
『ああ、しかし、随分と酷いモノを見た。夢に見そうで恐ろしい』
果物の蜜を啜るような深い深い夜の後、夢の階にて、誰かがため息を吐く。
…………けれど、もし、
夢で彼/彼女との誓いの言葉を交わすのが、他の誰かではなくて、自分自身だったのならば?
夢よ、どうか覚めないでほしいと願いながら落ちた先で見たのは。
さて、悪夢の再来か、それともやがて来る未来図か。