I’m always with you ~後書き~

最後まで読んで頂き、有り難うございました!

以下、この作品の背景と設定になります。
お読みになる前に、注意書きですが。作品がアンハッピーなので、設定も虚無虚無プリンです。

それでも知りたーいという方のみ、ご確認頂ければと思います。

 



この作品の世界は藤丸立香が『封印指定』された後、ずっと未来のお話です。
カルデア解散後、彼女は数多の英雄との縁から、貴重な召喚媒体として『封印指定』を受けます。サーヴァント達は退去した後の出来事であるため、オベロン達はその事実を知りません。
藤丸立香とオベロンは最後まで「トモダチ」のままでしたが、二人の心の内において互いが特別な存在でした。

オベロンは退去の折り、自分に与えられた聖杯に次のように願いました。
『彼女たちとずっと一緒に居たい。ただ、何物でも無いひとりの人間として』

その願いは叶えられました。

ただし、オベロンの呪いは世界を破滅させるほど強力なものであったため、
何物でも無い人間に転換する際、消しきれなかったその呪いは世界にへばりつく形で残りました。オベロンが脱ぎ捨てた呪いは、世界へと影響を与え始めます。
地球人類は何処かしらに障害を抱えた状態で生まれることになったのです。

例)
アルトリア → 予言の子として歩き続けた代償として、足が動かない
ブランカ → 元が蚕であったため、発語出来ない
ダヴィンチ → 天才発明家という業により、両腕が動かない
ロマニ → 未来視により多くの影響を与えたため、弱視

勿論、時計塔をはじめとする魔術師協会はこの原因の調査に乗り出します。
障害が比較的に軽傷な人物を調べていく内に、ある共通点が浮かび上がりました。
・女性であること
・東洋人であること
・髪が明るい茶もしくは橙色であること
・瞳の色が金色もしくは準ずる色であること
これらの符号が藤丸立香を指し示すと考えた協会は、彼女を眠りから呼び起こします。
(藤丸立香 → マリーゴールド へ)
彼女は目覚めた後、事情を聞き、協力に快諾します。
そして、調査報告書の中に「オベロン」によく似た青年を見つけました。
彼女の中で、この事象はオベロンによるものだと直感が働きます。
(某かの呪いという情報は魔術師協会の有識者から見解として聞いていました)

彼女が呪いに対抗できるのは、オベロン・ヴォーティガンの正体を看破したものだからという仮説を元にある実験が行われます。藤丸立香の魂の一部を移植する実験です。
魂の一部をラベルのように他者に貼り付けることで、世界に残る呪いに、その人物を藤丸立香であると誤認させるというもの。

最初の被験者となったのは、ダヴィンチとロマニでした。
そして、実験は無事に成功し、二人の症状は劇的に緩和されました。
(二人の右手に刻まれた印が移植の跡です)
この結果を持って、藤丸立香の魂の細分化と移植の計画が決定します。

召喚媒体として封印指定を受けていた彼女ですが、媒体としてはその肉体があれば問題ないというのが魔術師協会の見解でした。
(むしろ魂がある場合、呼ばれたサーヴァントが彼女を救出しようとする可能性があり、危険だと見なされました)

魂が細分化されるということは、彼女の『個』としての意識は当然失われます。
しかし、この決定に彼女は抵抗しませんでした。誰も知るものの居なくなった世界に生き続けたいという願いは無く、むしろ自分の犠牲により多くの人類が救われることを願いました。
(青年の関係者であるアルトリアとブランカの存在が大きかったです)

ダヴィンチとロマニは、初めて藤丸立香に会ったときから言い知れぬ感情を抱いており、彼女の決意に胸を痛めました。
彼女に何かを返したいと考えた二人は、立香に何かしたいことは無いかと尋ねます。
最初は固辞した彼女ですが、暫く悩んだ後。ゼロの青年に会ってみたいと漏らします。
研究所の外に彼女を出すことは非常に難しいことでしたが、
ダヴィンチとロマニは根気強く協会を説得し、彼女の束の間の自由を勝ち取りました。

そして、物語はDay0へと続いていきます。

初め、立香は青年に声をかけるつもりはありませんでした。
すれ違うだけ、あるいは遠目に彼の生活を見るだけで留めておこうと思っていました。
ですが、彼の姿を見たとき、彼女の心は決壊します。ひとめ見るだけで・・・なんて、出来なかったんです。
会いたくて、話したくて、触れたくて、仕方がありません。
だから、彼が記憶を有していないことにいいことに、彼にトモダチになってほしいと依頼しました。

それが彼と彼女の一週間の始まりです。

以上、この話の裏設定でした!

この話ですが、「奈落の底に降る雨」の対のお話になっております。
献身という自己犠牲をどちらが払うかという点ですね。

オベロンと立香ちゃんの可能性としては、悲恋が多くを占めるのだろうと個人的に解釈しています。二人の立場や性格、そして性質が、相手に手を伸ばすという選択をしづらくしていると考えており。
自分と一緒に居ることで相手が傷つき苦しんだとしても、それでも一緒に居たいと望めるか、というのが分岐点であろうと勝手に思っています。
ですので、その奇跡を掴んだ拙作の「アイの唄」シリーズでは、例えご都合主義的であろうとも全力Happyな方向に着地します。というかさせます。

ふー、・・・。いやぁー、書いていて心がしんどかったです。
でもこれを書かないことには、ハッピーが成り立たないという面倒くさい自分の中の拘りがあり。取り敢えず、エンディングまで書けて良かったです。