『0423』

「あっ、ぁっ、アッ」

濡れた女の声に、カドックの足がビタリと止まる。考えるよりも前に体の方がマズイと判断したらしい。それより先に、一歩も進んではいけない・・・・・・・。獣の縄張り。そこへ踏み入れてしまったような緊張感。

「ふぅー……」
細く息を吐いて。地面にへばりついてしまった足をゆっくりと後退させる。

「……、……! ……!」
嬌声は止まらない。

慎重に手足を動かす中。カドックの目が、静止した森の中で動くものを捉える。落ち葉――が落ちた先。雑木と落葉樹の合間にある茂み。縋る女と、それに覆い被さる白。

(あ)

目が合った。
ドッ――!
心臓から血が吹き出た、気がした。

◆◆◆

人理定礎値:C+
年代:A.D.1431
場所:オルレアン

「今回の調査は、カドックと、……それから彼女に行ってもらう」

何故なぜ――、と反射的に考え。
(ああ、……捨て駒か)
と理解する。

人理焼却。話のスケールが大きすぎて、正直まだピンと来ていない――というのは誰にも言えない。……言えないが、きっと他の連中は気づいているんだろうなとカドックは自分の非凡さに嫌気が差した。研究所が燃えて、オルガマリーも燃えた。瓦礫と死体を片付けて、これからの対策のためにプラットフォームを構築する。カルデアの指揮は別の人間――、ロマニ・アーキマンが執ることになった。
(医療部門のトップか。……少し、意外だったな)
てっきりAチームのリーダーであるキリシュタリアがその座に納まると思ったのだが。自然と彼がリーダーということで話は纏まっていた。意外そうにしていたのは、自分とベリルぐらいで、当のキリシュタリアですら『妥当』という顔だった。

その男、Dr.ロマンが最初のグランド・オーダーを発令した。

――西暦1431年のフランスに降り立った僕らは、ジャンヌ・ダルク、マリー・アントワネット、そして、アマデウス・モーツァルトに出逢う。

「人間ってもっと軽やかにあるべきじゃないかしら?」
(そんなことは、ない)
だって、――。僕は・・何時だって重くて抱えきれずに、地面を這いつくばっている。カドック・ゼムルプス。Aチームの底辺。対獣魔術なんて時代遅れもいいところの魔術を抱えて足掻こうと藻掻いている。名前も肩書きも、生き方ですら重くて仕方がない。
(マリー・アントワネット。彼女は、……苦手だ)
助力を請うている以上、あからさまには出さないようにしているが、やはり雰囲気は伝わってしまっているようで。どこかぎこちない行進のまま、僕らは”竜の魔女”を追っている。
「彼女、世間知らずだからさ。『物事はそんな単純じゃない』って、君が思うのも仕方無い。英霊の勤めは果たしているから、見逃してやってくれ」
稀代の天才音楽家がカドックの隣を歩きながら、正面を行く女性陣に肩を竦めた。
「……僕個人の感情なんて気にしなくて良い。僕らはお互いの使命を果たす。ギブアンドテイクの関係で結構だ」
「そうかい? ならいいんだけどさ。……ああ。マリーよりも後ろの方が君は気になるのか」
どうしてこう英霊というのは厄介なのか。ずけずけと他人の領域に踏み込んでくる。マスターと使い魔サーヴァント、それだけでいいはずなのに。やはり表情に出ていたのか、カドックと視線を合わせたアマデウスはケラケラと笑って言い放つ。

「だって、君、あからさまに意識してるじゃないか」

◆◆◆

『マスター』と言いかけたキリエライトを制して、カドックは全員に宣言した。
「記念すべきファーストミッションだ。僕の役割が小手先調べだろうが何だろうが、この先陣は必ず成功させる・・・・・。……お前も、精々僕の邪魔にならないようにしてくれ」
キリエライトの「そんな言い方」という非難混じりの感情は想定内。問題の女、藤丸立香、彼女の透き通るアンバーは少し陰ったものの、こちらへの恭順を示した。一番未知数だった彼女のサーヴァントも一瞥しただけで何も言わなかった。それが少し不気味ではあったが、概ね反対や反発が無かったことにひとまず安堵する。

『どうか気負わずに。私達がついている』
レイシフト前にキリシュタリアから言われた言葉だ。自分たちが失敗しても、カルデアには他に優秀なAチームメンバーがいる。状況が危うくなれば、彼らが第二陣としてレイシフトしてくるだろう。失敗の許されないミッションで優秀な彼らが先陣を切らなかったのは、このレイシフトが不安定な環境の中での実験も兼ねているからだ。……貴重な人材を犠牲にするわけにはいかない。だから、自分と彼女が選ばれた。万が一、死んでも問題ないメンバーとして。……くそったれ!

(失敗するわけにはいかないんだ)
全ては、己の、一族の、存在意義を証明する為に。

幾度も状況をシミュレートしてきたお陰で、最初の調査は順調だった。現地人と接触し情報を得つつ、予想外だったものの協力的な人類史の英霊達を味方に得た。狂い始めたのはマリー・アントワネットが登場してから。彼女がこちらに何かをしたわけではない。非協力的だったわけでもない。むしろ、このミッションを遂行しようと張り切ってさえいた。それが返ってノイジーだった・・・・・・・・

「人間ってもっと軽やかにあるべきじゃないかしら?」
「その名前があるかぎり、どんなに愚かだろうと私は私の役割を演じます」
彼女は明るく、煌びやかで、可憐だった。自分の最期についてカラリと笑い飛ばす度量さえあった。いや、笑うと言うよりは受け入れているというべきか。
自分には逆立ちしたって真似できない。国民が求めないのなら、降りるのもまた王族の務め。……そんなことは認められない、受け入れられない。そうじゃなかった。きっと上手くやれたはずだ。もっともっと、相応しい何かが自分にはあったはずだと考えずにはいられない。彼女の精神は自分には眩しすぎて、やりづらい。最初、こちらの感情に配慮して控えめだった彼女の行動はどんどん大胆になる。制御の効かない駒ほど使いづらいモノはない。
「一般人を気にしている場合か」
「綺麗事だ」
「待て! 撤退しろ!」
連携が上手くいかない。――苛々する。

生ける屍に襲われる、誰か。
「助けなくちゃ!」
「おい、いい加減に……! そいつは英雄でもなんでもない、ただの人間・・・・・なんだぞ!」
放っておけ!という言葉は彼女の背に届かなかった。いや、聞こえていないはずがない。サーヴァントなのだから。聞こえていて無視をした。目の奥が真っ赤になりそうになった時、誰かが隣を通り過ぎる。
「カドック、私が行くよ」
最悪、自分が囮になって彼女を撤退させる。とそいつは言った。
肩の力が抜けて、――投げやりな言葉が飛び出た。
「お前の腕の一本でも吹き飛べば、彼女の目も覚めるかもな」
本気でそう思ったのだ。一拍後に、脳がその発言の意味を咀嚼して――身を振るわせる。彼女に”悪い”、と思ったわけじゃ無い。それを一緒に聞いたであろう彼女の使い魔の方を恐れた。そいつは、この何処をどう見ても凡人の女を寵愛していたから。怖いはずなのにそれを見てしまうのは人間の性だろうか。カドックは、かの者、妖精王オベロンへと視線を投げかけて――、絶句する。
「は?」
口づけをしていた。リップキス、なんて生温いモノじゃ無い。深く舌を絡ませるようなキス。ひゅーっと誰かが口笛を吹く。アマデウスだったかもしれないし、モニター越しのベリルだったかもしれない。
「怒らないで」
「……」
「魔力は足りそう?」
「……物足りないけど仕方が無い」
肩を竦めた彼は、きらりきらりと銀の煌めきを放ち、彼女の隣に並ぶ。そして、彼らはまるで舞踏会にでも行くかのような足取りで喧噪へと向かっていった。
「マリー下がって! マシュ、前進!」
「かしこまってよ!」
「はい!」
「オベロン、援護を」
「いいとも。――踊りの方が得意だけどね」
そこから先は、とんとん拍子。
(なんで、)
掌に爪が食い込む。
(一般人にさえ、劣るっていうのか!)
噛みしめた奥歯がぎちりと悲鳴を上げた。

崩れた街中に入る。
「ねずみの身隠し 猫の抜け道 特に浅知恵は賢より勝る」
紡がれた言の葉に、燃える夕暮れのような髪の女が言った。
「カドックは、すごいね」
私はそういうの何も出来ないから、と眉を下げて笑う。
――自虐的な台詞が耳障りだった。
「すごい、すごい……ね」
カドック?と名を呼ばれたが無視した。代わりに堰き止めていた何かが腹の奥から喉へ。舌の上を駆け抜けて、その女の顔に飛び散った。

「なあ、知ってるか? おまえが今凄いって言ったこの魔術は時計塔じゃ爪弾きだ。教室じゃあ笑いものだし、教授や君主なんて見向きもしない。僕の存在を認識してるかすら怪しい。じゃあ、なんでそんな僕たちが現代に存続していると思う? ――保険だよ」

獣性魔術。獣の力を借り受けるその魔術は、身体強化の代表とも言えるし、神髄とも言えるかもしれない。いずれにせよ強力な系譜には違いない。しかし、のめり込みすぎれば人間性を失い、ただの獣になる。実際、そういうことが多々あった。根源を目指すのに犠牲を厭わない、実に魔術師らしい話だが笑ってばかりもいられない。
「だから首輪役として、僕たちが存在している」
凄いか?
「――」
言葉を失うその姿に少しだけ溜飲が下がったが、自己嫌悪に吐きそうになった。居たたまれず、その右肩を押しのけるように通り抜けた。細い、肩だった。

 

そう、彼女は魔術師では無いただの人間で。自分が押せば、肩をよろめかせる。それほどに脆弱な存在。真っ赤な血が、彼女の白い服に広がっていく。胸の中央に咲いた赤い薔薇。華を咲かせた長身の美丈夫は実に馨しい血の香りに酔いしれた。
「ああ――、これこそ余が求めたもの!」
薔薇よ、薔薇よ。
美しく咲き誇り、その香りでこの身を満たしたもう。

「か、……」
ごぽり。
自分の名を呼びたかったであろう彼女の唇から血の塊が零れ落ちる。
胸に赤い薔薇と血筋滴る銀の刃を咲かせながら。
彼女の唇が、「にげて」と紡ぐ。

「ふ、――ふじまる!」
初めて、彼女の名を呼んだ。

◆◆◆

「む?」
ヴラドは眉を顰める。
確かに香ったはずの香りは、あまりにも薄かった。

その違和感が幻影を払う。自分の矛の先には確かに血が付いているが、柔らかい娘の死体は無かった。見やれば、少し離れた場所で二人の男女が走り去っていくところであった。
「逃さん」
一歩踏み出した足は、大きな盾に防がれる。
「行かせません!」
同時に。
「……主よ、守り給へ」
白い旗が風に翻り、雄々しく宙を舞った。

◆◆◆

「随分と大人しいじゃないか」
オベロンの悪意ある言葉に立香の視線が上向く。
差し出された右手に手を重ね、――振り払った。
「言われっぱなしは趣味じゃ無いの」
白い姿には不似合いの笑みを一瞥し、カドックの背を追う立香。

振り払われたその手を、オベロンは握りしめる。
――知ってるよ。

「カドック!」
追いかけてきた声に、カドックは驚いた。まさかと思い振り向けば、紅蓮。怒りの瞳が、カドックの襟を掴み、そのまま体を地面の方へと引き下げた。何処にそんな膂力があったのか、驚くほど強い力。
「それでも君は、今、生きている!」
「は? どういう」
「君を笑った連中は死んだ! |君主《ロード》ですら死んだんだ!」
「! ――、それはたまたま」
「たまたま、生き残った。でも、それがどうした・・・・・・・! 獣性魔術やどんなに凄い魔術の人だって死んだ。でも、対獣魔術の君は生きている。これ以上明確な勝利の形が他にあるの?」
生きて、生きて、生き抜いて。
世界を元に戻したら、高らかに吠えれば良い。
お前達に出来なかったことを僕はやり遂げたと。
「証明するんでしょう?」
震える声に、掴みかけた腕から力が抜ける。
(そうだ。そうだった)
「生きてなきゃ、証明も何も無い……か」
◆◆◆

「しっかりしろ!」
腕は落ちてないぞ!と叫んで、過去の自分の発言を思い出し顔を歪めた。
「……ははっ。助かった」
やっぱりカドックの魔術はすごかったんじゃん、と辛うじて繋がっている左手を支えながら藤丸は笑う。狂化されているとは言え、英雄の目を欺いたのだ。対獣魔術、サイコー。サバイバル最強とまで言い始めた。
「うるさい、もう黙れ」
失血死で死にたいのかと突っ込みながら、カドックは昂揚する気持ちを押し殺す。
「ほんと、危なっかしいたら」
突然現れた第三者の声。カドックは藤丸の反対側で走るサーヴァントの顔を見た。
(うわ)
顔と言わず、全身から血の気が引く。支える藤丸の体が震えたのが分かった。腕を落としかける大けがにも気丈に耐えていたのに。ここに来て携帯のバイブレーションか?という勢いで怯えている。さもありなん。
(すまん、藤丸。僕は無力だ)

なんとか。本当になんとかギリギリで強敵から逃げ切った一行は藤丸の怪我もあり、休息を余儀なくされる。鬱蒼とした森の奥。一通り手当をされた彼女は、穏やかな笑みを浮かべる男に抱え上げられ暗がりに消えていった。単独行動を咎めるべきであろうが、粗方の予想がついたので無言で見送ってしまったカドック。一時間、二時間――。帰ってこない二人。流石に尻の座りが悪くなってきた頃。
『ちょっと様子を見てきて、……欲しいんだけど』
「正気か?」
『通信は切っておくから』
「そういう問題じゃ無い」
馬に蹴られるのはごめんだ。そう思いつつも、怪我人相手に無茶をされても困る。しぶしぶとカドックは地面から立ち上がった。

そうして、彼は獣のテリトリーに踏み込んでしまった。
かみ合った視線が紡ぐ死のイメージ。
それは幻だが、殺気は本物だ。
引きつった喉が、ごくりと音を立てる。

(しまった)
昂ぶった獣を前に、音を立てることが致命傷なことぐらい幼児でも分かる。
ぶわりと白い毛並みが膨らんで、――小さくなる。
がさり、がさり。
衣擦れと何かを引きずるような音が続き、それは現れた。

「番の情事を盗み見るとは。……随分と恐れ知らずもいたものだ」
長い前髪で表情が窺い知れない。声は穏やかで平時のものなのに薄ら寒い。
何度か唾を飲み込んでから、カドックは弁明する。
「……マナー違反を謝る。でも、この急事だ。あまり長く場を開けられても、困る」
ふぅうと大きく息を吐いたオベロンに、カドックは居たたまれず視線を落とした。彼のタイミングは良いのか悪いのか。間が悪いことは間違いなさそうだが、視線を落とした際、偶然にも一部の外套がずり落ち、その下にある真っ青な色を見咎めてしまう。
「おい」
恐れる相手なのに、つい責めるような口調になってしまった。
「なに?」
「……人間は、妖精よりも脆いんだ。あまり無茶は」
「知ってるよ」
声を荒げたわけでも無い。怒りや悲しみが含まれていたわけでも無い。それでも、続こうとしたカドックの言葉を封じるほどの強い言葉だった。
「ちょっとの衝撃で骨が折れたり、肉が切れたり。放っておいても勝手に死ぬ」
今度ははっきりと忌憚の感情が読み取れた。
「ついでに彼女、脆弱な人間の中でもさらに弱い分類だ。どんなに守っても直ぐに傷つく。さらにさらに付け加えさせて頂ければ。僕の力は十全には程遠い。出力を上げれば彼女を守ることはできるだろうけど、上げすぎれば彼女の魔力が枯渇する。何せマスターの魔力は雀の涙。カルデアとやらの供給も朝露の如し。顕現してからこっち腹なんて膨れた試しが無い。何時でも腹ぺこ虫が鳴いているよ」
だから外に出したくなかった。
なのに、――君たちが彼女を引きずって連れてきた。
「僕だって好き好んで彼女に無体を働いているわけじゃない。……こうでもしなきゃ、僕も彼女も死にそうなんだよ」
外套の下からずり落ちた腕を、そうっと包み直す彼の手つきは慈愛に溢れていて。そして、その言動は耳が痛くなるほどご尤もで。カドックはこう言う他なかった。

「帰ったら、もう少し魔力を融通するように進言しておく」

悲しき復讐者の泡末の夢。
第一特異点、オルレアンの定礎復元完了。

【第一特異点オルレアン、レイシフトに関するレポート】
レイシフト対象者:
マスター カドック・ゼムルプス、藤丸立香 二名
備考:
マスター・藤丸の左腕に重度の裂傷。安静要。マスター・ゼムルプスよりマスター・藤丸の魔力量に対する指摘。使役するサーヴァント顕現にも支障がある為、電力による魔力供給の提言あり。生命ラインの抵触も見られた為、該当サーヴァントへの最低限の魔力供給を開始。カルデア基準の規定量を下回っているが、危険性を考慮の上、最低ラインで経過観察する方針。

0001 → 0423