ミスター&ミスター! 学園の王子様決定戦(前編)

「立香……」
立香の目の前で宵闇のような暗いブルーの瞳が揺れている。ドクドクと心臓の音が鳴り響き、体の中は熱の固まりが暴れ回っていた。僅かな隙間を残して、オベロンの腕は立香の体をしっかりと巡り逃げることなど出来そうにもない。「立香」ともう一度名を呼ばれれば、彼の呼気が彼女の唇をくすぐる。堪らず伏せた睫に額から流れ落ちた滴がひとつ。
「……ぁ、」
濡れて張り付いた後ろ髪を梳かれ、思わず声が漏れ出た。開いた瞳がもう一度、宵闇を捉え、熱を帯びたその光に立香はおかしくなりそうだった。
(どうして、こんなことに)
くらくらと揺れる思考の隅で立香は自問する。深紅に染まったオベロンの唇があと数センチ先に迫っていた。

「はーい、ちゅーうもーく」
1年3組の担任が教壇に立ち、声を張り上げた。短く整えられた髪に黒縁の眼鏡。ポンポンと出席簿を肩に当てながら、斎藤一は教室を見渡す。
「来週から、一年生の君らには初めての文化祭期間が来るわけだけど」
そう言って、簡単な線を黒板に描いた。日付と『準備』と『本番』と書かれたそれらに教室中の視線が集まる。
「他の学校と違って、ウチは文化部の活動がメインなのね。文化部に所属していない生徒はそれぞれの部活の臨時お手伝いさんになるってわけ。だから、クラスで何かっていうのは基本ないよ」
ブーブーと一部生徒から上がったブーイングに担任は肩を竦める。
「ウチの学園長が有名な研究家なのは知ってるだろ? その人が経営してる学園なんだから文化部優先なのも当然。そんでもって、さっきは分かりやすくお手伝いって言ったけど、活動をよく知らない文化部との交流ってのが一番の目的。運動部と違って文化部の活動内容は知らない人も多いだろうからね。良い機会だと思って参加してみてよ。意外と文化祭の手伝いを切っ掛けに嵌まるヤツも多いからさ」
生徒達の反応がそんなもんかという雰囲気で落ち着きそうな頃合いで、一人の女子生徒が手を上げた。はいどうぞ、と担任が促せば、頬を紅潮させた栗毛の女子が大きな声で質問を投げかけた。
「せんせー。ミスターコンがあるって本当ですか~?」
どよどよ、と落ち着きかけた生徒の雰囲気が一気に騒がしくなる。その様子に苦笑の笑みを浮かべて、担任は頷いた。
「あー、そうだよ。でも、普通のミスターコンじゃないけどね」
「どういうことー?」
幼げな問いかけに教師はにやりと人の悪い笑みを浮かべる。
「この学園らしいっちゃらしいかな。何せ――」
キーンコーンカーンコーン。
ホームルームの鐘とともに担任は教室の外へ出て行った。それをかわぎりにドッと生徒達が一斉に話し始める。

「やべー!」
「まじか、ミスターコンまじか」
「なんかさぁ、なんでミスコン無いんだろうなって思ってたんだけど」
「そういうことねー」
「マジで変わってんね、この学校」
ざわざわと生徒達の囀りは止まる様子が無い。それを興味深そうに眺めながら、セタンタは後ろの席のオベロンを見た。
「うわ、すげー皺」
「……」
彼の眉間にはこれ以上無いほど深く皺が刻まれている。両手は強く握りしめられ、微かに震えてすらいた。
「巫山戯んな」
まぁまぁとセタンタが宥める。
「まだ決まったわけじゃ無いし」
「じゃあ、お前に一票入れる」
「ぜってー止めろ」
「「…………はぁ」」
揃ってため息をついた二人の耳に女子生徒の声が飛び込んでくる。
「私、立香君に一票入れるね」
「わたしもー」
え、と動揺した少年の声。声の方向に視線を投げれば、いつの間にか藤丸立香の回りに人だかりが出来ていた。
「いや、僕は」
「なーに尻込みしてんだよ、ウチのクラスの選抜一人はお前に決まってんじゃん」
「そうだよー」
「だよねだよね!」
参ったなと顔を引きつらせる立香にオベロンの機嫌は更に悪くなる。
(断ればいいものを)
しかし、生前の性格から彼が断り切れずに引き受けてしまうんだろうなとオベロンは呆れ、事実、一年三組のミスターは藤丸立香に決定した。そして、……。

「えっ、そのイベントまだ続いてたんですか?」
夕飯の席でベディが嫌そうに顔を引きつらせた。こくりと立香が頷く。
「なるほど、それで」
トリスタンの視線がオベロンの方に向けば、すこぶる不機嫌なオベロンが黙々とポテトサラダを口にしていた。気持ちが分かる立香も、はぁと憂鬱そうに息を吐いた。それに感化されたのか、オベロンが不満を食卓にぶちまける。
「本人に拒否権がないってどういうこと? 多数決とかいう民主主義の暴力なんて今時流行らないよ」
一年三組のもう一人のミスターは、言わずもがな、オベロンになってしまった。本人の性格に難はあれど、純粋に容姿で言えば、オベロンは一年の中でも頭一つ飛び抜けていた為だ。
「それはそれは、面白そう――いえ、大変でしたね」
ぎろりとオベロンがトリスタンを睨みあげれば、言葉半ばで言い換えた。
「……出るのはまぁ、いいとしても」
立香が言葉を濁すとベディが苦々しそうに箸を置いて相づちを打った。
「私もあそこのOBですが、未だに理解に苦しみます」
「私は結構楽しかったですよ、ジョソウ」
ジョソウ……、助走、除草、序奏、女装。そう、カルデア学園のミスターコンは女装しての美しさを競う大会なのである。

学園長曰く。
『いいかい、諸君。世間一般の言う人間の美しさとは均整の取れたパーツだ。黄金比なるものもあるくらいだが、そんなものは人形師にでも任せ給え。では、人間の美しさとは何か。それはあらゆるボーダーを超越したものさ。これまでも人類は多くの壁を乗り越えてきた。そう、つまり。真に美しい人間とは、性差をも超えて美しいのだよ』

「「はぁ」」
懸念点は違えどイベントに対する憂鬱さという点において、オベロンと立香は共通認識を持っていた。ところで、とトリスタンが立香に話しかける。
「ベディが家庭教師をしていたのが、貴方だったとは。意外な縁もあるものですね」
はいと立香が頷き、ベディもしみじみと語る。
「料理教室では立香のお母様に随分とお世話になりました」
「こちらこそ。ベディお兄ちゃんに勉強教えて貰えて本当に助かったよ」
仲睦まじげな二人の様子にオベロンの心にモヤモヤと暗雲が立ちこめる。その切っ掛けを作ってしまったのが自分かと思うと悔しいやら縁が出来て善かったと思うべきか複雑であった。
初めてオベロンがこの家に来た時。見覚えのある顔に冷や汗が止まらなかった。汎人類史の円卓など、オベロンにとっては天敵にも等しい。この家に放り込んだ実父に呪いの言葉を吐いた。けれど、幸か不幸か、ベディヴィエールに前世の記憶は無く。オベロンと同じように記憶を持っていたトリスタンは共に旅をした経緯があるせいか特にオベロンについて何かを言うことは無かった。安堵の息をついたのも束の間。真の地獄がオベロンを待っていた。初めてこの家で食事を取った時、ショックの余り吐いた。ベディヴィエールは壊滅的な味音痴だったのだ。トリスタンは何やかんや理由をつけて自分で料理したり外食していたりして難を逃れていたが、保護者と被保護者という関係上、オベロンの食事はベディヴィエールが賄っていた。一度二度と堪えたオベロンだったが、とうとう三度目でギャン泣きした。まさか、自分が泣くとは思わなかったが。人間の三大欲求である食事を奪われたとあっては、幼い体では到底耐えられなかったようだ。どうしてオベロンが泣いているのか分からず、ベディは大層慌てたが、事態を察したトリスタンが。
「ベディ。何時か言おうと思っていたのですが。貴方の作るご飯はおよそ人間の食べられるものではありません」
その時の彼の顔と言ったら。かの騎士王の死期を悟った時と同じであったというから余程である。しかし、ここで終わるベディヴィエールではなかった。一念発起。彼は料理教室に通い詰め、遂に一般人並みの食事を作れるようにまで成長したのだ。その影には料理教室の先生と同級生による涙ぐましい努力と根性の物語があったとか。大変気になる話ではあるが、長くなりそうなので割愛する。
「そこで知り合った藤丸さんのお子さんが学校の勉強に追いつけなくて困っていると聞きまして」
恩返し代わりに家庭教師を買って出ていたそうな。
「やー、あの時、ベディお兄ちゃんに面倒みてもらわなかったら。中学を卒業出来てたかどうか」
おや?とオベロンはそこで訝しんだ。日頃の彼女の様子を見ても、勉強嫌いのようには思えず。成績は中の上といったところ。中学卒業が危ぶまれるような頭の悪さには見えない。同じように思ったのか、トリスタンが「そんなに酷かったのですか?」と尋ねる。
「ええっと。僕、中学の二年生まで中国に居て」
「「中国!?」」
トリスタンとオベロンの言葉が重なった。
「私も驚きました。ご両親が海外赴任が多いそうで」
「そうなんです。あと、おばあちゃんの教育方針もあって。日本に帰ってきたのは割と最近だったり」
オベロンは立香の説明に内心で頷く。
(なるほど。通りで探しても見つからないわけだ)
『待ち人遠し。気長に待つべし』という例の神社のおみくじは正鵠を得ていたようだ。物理的に遠かったとは盲点。前世が日本人だったので今回も日本に生まれているだろうと安直に考えてしまっていた。
「だから、全然学校の勉強について行けなくて。周りも中国から来た転校生って遠巻きされちゃって。先生にもあんまり相談出来なくて」
あの時は大変だったと肩を落とす立香にオベロンはこれまでの自分勝手な対応に若干の罪悪感を感じる。
「なるほど、海外と日本では随分と学習内容が違っていたでしょう。大変でしたね」
これまでの苦労を労るようにトリスタンが言葉をかけると、立香は勢い良く首を縦に振った。
「本当ですよ! 日本じゃ綱渡りの練習したり、岩を割る訓練なんてしないっていうじゃないですか!?」
(((なんだって?)))
三兄弟の心の声がシンクロする。
「もー。猪を仕留めるのはいいけど、その後の血抜きするのが苦手だって学校の子に言ったら、すっごい驚かれて。恥ずかしかった……」
両手で顔を覆う立香は大変愛くるしかったが、三人の顔は若干引きつっている。立香に気づかれないようにトリスタンがベディに小声で尋ねた。
「中国ってそんな感じでしたっけ? 随分と原始的ですけど」
「まさか。経済大国ですよ、旅行したことありますけどそんな……わけあるんですか?」
「いやないでしょ。よっぽど田舎とかならあるかもだけど。岩って」
小声で話していたオベロンだったが、昨日、立香に吹き飛ばされた事実に思い当たる。あの時は油断していたからだと思ったが。
(部屋の奥まで吹っ飛ばされてたよな、俺)
ひょっとすると、彼は岩を割ることができるのだろうか。
(いやいやいや、英霊じゃあるまいし。………………まさか、ね)
ひやりとオベロンの背中を冷たい汗が伝った。パタパタと熱くなった頬を手で仰ぐ立香を見ながら、今後、言動には注意しようと誓ったオベロンだった。

翌日、快晴のカルデア学園に暗雲が立ちこめた。
「立香様、立香様、どうぞわたくしの茶道部へ」
「何を仰っているのですか清姫さん、立香さまはわたくしの料理部に」
「て、手品部とか興味あったりする? えへへ、マイナーだけど色々道具もあるし。楽しいよ? どうかな?」
「ちゃっかりアピールするシャルロットちん、抜け目なさ過ぎる。ひ、姫、ま、漫研部なんだけど、漫画もあるし、炬燵も冷蔵庫もあるし。息抜きには丁度いいかなぁっておもうだけど」
大岡越前の綱引きならぬ、四方からの引き抜き。
「い、いや、僕は」
クラスのど真ん中での騒ぎ。クラスメイトは流石にダブルF相手とあって遠巻きに観戦している。
(は、はくじょうもの~~~)
立香は周囲に恨みがましくヘルプの視線を投げつけたが、一向に助けが来る気配は無い。列の最後、椅子に座っていたオベロンとばちりと視線が噛み合った。
(たすけて)
口パクで伝えられた言葉に、はぁとオベロンが深いため息を吐く。がたん、と音をならして席を立ち、少女達の前に立ちはだかった。
「なんです、貴方」
「わたくしたち、取り込み中ですの。部外者はお引き取り願えますか?」
その言葉にオベロンは底意地の悪い笑みを浮かべる。
「部外者、ねぇ」
「あ、嫌な予感」
立香のセンサーが警告を受信したが、時既に遅し。オベロンの両腕が立香の腰に回り、頬を彼のそれに近づけた。きゃあああという女子生徒の悲鳴があがる。
「俺と立香は、同じ屋根の下で暮らす関係なんだけど? 部外者はどっちだろうね」
「「なっ!?」」
絶句する清姫と玉藻に追い打ちをかけるように、オベロンは立香の肩を抱いて教室のドアに誘導する。
「立香は俺のところの読書クラブの手伝いをするのに忙しいから。他を当たってね、お嬢さん方」
「な、な、な」
「っ~~~~!」
ちょっとと立香がオベロンの方に非難の視線を向ける。
「まだ何処に行くか決めてないよ」
「バカ。話し合わせとけって」
ひそひそと話す様子は大変親しげで、二人の少女の『尾』を踏んだ。
ばしーーーーーーっん!
扇子がワックスで磨かれた床に叩きつけられる。思わずその音に振り返ったオベロンと立香の視線の先で、清姫が人差し指を突きつけていた。
「決闘ですわ!!!!」
「「なんだって???」」
「そこの男子、立香様に馴れ馴れしい上に、ど、ど、同棲してるですってーーーーー! 決闘。決闘でございます!」
同じポーズで玉藻もオベロンに向かってずびしっと指を突きつける。
「ば、馬鹿馬鹿しい。決闘って一体なにを」
時代錯誤な単語にオベロンが動揺した時、決して学生生活において聞き慣れないであろう音が彼の耳を打った。
ぶおおおおおお!
勇ましい法螺貝の音だった。
「その勝負、我々が預かった!」
がらりと教室のドアが開かれる。そこから美丈夫がひとり。波打つ金髪に白い学ラン。腕には深紅の校章。そして、その後ろから自身の顔と同じぐらいの法螺貝を吹きながら、紫の髪の少女が追従する。更に後ろから数人、同じ校章を着けた生徒が現れた。
ぶおおおおおお!
「キリシュタリア様よ!」
生徒会クリプターだ!」
ざわめく一年三組の生徒に微笑み、悠然とした足並みでキリシュタリアと呼ばれた青年が教壇に立った。そして、ばっとマントを翻し、叫ぶ。
「説明しよう! このカルデア学園において生徒の自主性を重んじ、我々生徒一同には決闘権利が与えられている!」
長い栗毛に眼帯をした少女が黒板にカッカッカッと『カルデア学園における決闘とは』という字を書いていく。
「未熟な学生である以上、様々な理由で私達は意見の相違や衝突があるだろう。しかし、社会に出れば、学生時代の比にならないほどの困難や課題が待ち受けている。故に! この学園では教師が安易に介入するのでは無く、私達自身で課題を解決する力を養っていかなければいけないのだ」
黒板に『自主性』『問題解決能力』という字が書き足された。
「その方法こそ、カルデア決闘だ!」
ポカンとオベロンと立香の口が開く。そして、「けっとう」と音だけを繰り返した。
「安心したまえ、いつ何時、決闘が開始されても問題ない体制がこの学園には築かれている。では、宣誓しようではないか」
わあああああと教室と廊下から生徒の雄叫びが上がる。さながら、これからコロッセウムでも始まるかのような熱狂だ。
ばさっあああ
白いマントが風に吹かれ翻る。銀髪の少年が「何で俺が」と言いながら扇風機を回していた。
「これより! カルデア決闘を開始する!!」
一瞬の静寂の後、ごごごごという音がグラウンドから木霊した。窓の外を咄嗟に見れば、大地が割れ、そこから陸上トラックが現れた。
「「な、な、な」」
しかもただのトラックではない。網や高台など様々な障害物が置かれている。立香とオベロンは目を見開き、息を飲んだ。驚く二人の様子に機嫌を良くした美少女二人は、ふわさっと美しい髪をかき上げて哄笑する。
「おーっほほほ。さぁ、さぁ、さぁ、立香様を賭けて」
「いざいざいざ、尋常に」
「「勝負ですわ!!」」

「「なんじゃこりゃあああああああ!」」

次回へ続く!