「あの王を討つ」
馬鹿な!と声を上げた白の一族だったが、アルジュナの睥睨に言葉を詰まらせた。白の代表とも言える老人が倒れ伏した為か、彼らに普段の勢いは無い。アルジュナはこの議案の場で、どうやってあの王を討つかを話し合おうとしていた。ところが、彼が想像する以上に皆の意思はバラバラで纏まらない。白の一族や一部の者達が『否』と言う。その一人であるカルナをアルジュナは糾弾した。
「このまま言いなりになるというのか! あの王は、……立香を殺したのだぞ!」
アルトリアを通じて、アルジュナも立香と少なくない交流を持っていた。身分に捕らわれず、無私無偏。慈悲深くありながら、自分の考えや意見をしっかりと持っていた彼女をアルジュナは好ましく思っていた。融通が利かなくなる自分と違って柔軟な対応や思想に尊敬の念すらあった。
彼女の、己の意思を貫いた後ろ姿が忘れられない。彼女の宝珠の輝きはアルジュナがこうありたいと求めたものだった。それが、――あんな形で失われて良いはずが無い。
悲壮さすら感じられるのその叫びに、しかし、カルナは動じなかった。真っ直ぐにアルジュナの瞳を見返す。
「幻想を王とする。その定めに従い、これまで幾度もの導きや施しを受けてきた。彼らが自ら王位を望んだ話は無い。皆、そうあれかしと彼らを王に追いやった。此度もそうだった。かの黄金が玉座を望んだか? 否。断じて、否。我々が勝手に彼を王と呼んだのだ。なるほど、彼は正しい。王ならば何をしても許される。我々がそう定めたのだ。アルジュナよ」
ぐっとアルジュナは息を呑む。都合良く利用しておいて、都合が悪くなれば責を問う。確かに筋が通らない話だ。けれど、されど、――。その逡巡を好機と取ったのか、白の一族の者がそうだそうだと同調し始めた。が、カルナはそんな彼らに首を振る。
「俺はお前達を、あの王を擁護しているわけでは無い。何をしても許される。そのこと自体が問題だと言っている」
緑の当主であるアタランテが口を開いた。
「我々は考えが無さ過ぎた。己の力を過信し、考えることを放棄し、全てを王に委ねた。その結果がこれだ……」
シンと議会の場に沈黙が落ちる。そして、――ぽつりと白の一族の誰かが言った。
「白の王であれば、良かった……」
何だと、とアタランテが柳眉を逆立てその発言者を睨んだ。この期に及んでまだ自分たちだけが特別だとでも言うのか、と他の色の者達も気色ばむ。この因習を押し通してきたのは他ならぬ白だと言うのに。
黄の一族の若者が叫んだ。
「所詮、幻想になれぬ者が!」
「黙れ! 王には、……王にはなれたはずなのだ! 王位が五百年空位ならば、白の者で最も優秀な者を王とする。これとて、我らの定めであったはず! 後一年、たった一年でそれが成し得たはずなのに、……何故、よりにもよって黄の王などが」
白の男が苦悩の言葉を吐き出せば、ホホホと緑の老婆がそれを嘲笑った。
「底が知れたことよの。白が最優ならば、何故に幻想になれぬ? 緑も、黄も、……緋も! 皆、幻想となり、王となった。白だけよ、白だけが王に成らぬ。いや、……成れぬのだろうよ」
才無きものという嘲りに、眦をつり上げて白の女性が立ちあがる。彼女は見下げるように緑の老婆を睨み付けた。
「そもそも本当に幻想が王たり得たのかしら? それこそが誤りだったのでは無くて? いつの世も白がこの国を支えてきたわ。きっと歴代の王にも私たち白の一族の支えがあったはず。白の支え無くして、この国の繁栄は無かったのよ!」
彼女の叫びは、ガギンッ!!という大きな音で遮られた。机のひとつが真っ二つに割れている。机の前に小柄な女性が立っていた。
モルガナイトの瞳が白の女性に刺さる。見つめられた女性はカタカタと足が震え出し、その顔は真っ青になっていく。後ずさろうとするが、極寒の視線が白の女性を縫い留めていた。紫のメリュジーヌ。輝珠最強の騎士と呼ばれ、各国でも恐れられる勇士。その瞳から放たれる視線は、彼女の最速の剣のように鋭い。
「面白いことを言うじゃ無いか。君たちがボク達より優秀だというなら、今この場でその優を示しなよ。そうだ、丁度良い。そこの白いやつ。そいつが君たちの王なんだろう? だったら、このボクより強いはずだよね」
メリュジーヌがオベロンを指さした。
「なんたって、自分の両親すらルースしたんだ。そう、君たちが優秀という白の当主を!! さあ、この最強たるこのボクを倒してみせなよ」
彼女が大きく両手を広げれば、薄い紫苑の髪がその動きに合わせて宙を舞い、銀糸の川を作った。燐光を帯びたそれは、幻想の輝きには及ばないが、間違いなく国一番の強い煌めき。オベロンは、下唇を噛みしめて、彼女から視線を逸らした。相手の方が格上だと分かっていた。あと数年あれば、もしかしたら、オベロンにも可能性はあるかもしれない。しかし、所詮、あるかもしれないというレベルの話だ。十中八九、オベロンが大敗する。騎士として長年この国を周辺諸国の攻勢より守り抜いた彼女と、王の椅子に座るべく帝王学しか学ばなかったオベロンなど比べものにならない。
何も言わず視線を逸らし続けるオベロンに、騎士である彼女の神経がささくれ立つ。メリュジーヌがすらりと剣を抜いた。ガタッと白の一族がオベロンを守るように前に立ちあがる。メリュジーヌに加勢するように青と緑の一部の者も己の獲物に手をかけた。それを見た幾人かの白の導師が手の平を掲げ――。
「止めよ」という言葉に全員が我に返った。
はぁとため息を零して、紫の当主、スカディが杖を一振りする。キラキラと頭上に雪が降ってきた。
「頭を冷やすのには丁度良かろう。メリュジーヌ、お前もだ……」
最強の騎士は肩を竦めて剣を収めた。腰を浮かせていたオベロンは、気が抜けたようにぺたんと椅子に腰を落とした。鼓動が早鐘のように打っている。動揺を宥めながら、顔を上げれば、スカディがこちらを見ていた。オベロンが落ち着いたのを見計らって、彼女は鷹揚に頷く。
「良い。我々が争わなくても良いのだ……。みな、この国に生きる命。上も下も無い。ただ、我らは考えねばならぬのだろう」
これまで良しとしてきた我らの定めを――愛そうか、殺そうか。彼女は静かに、その場の全ての輝珠に問いかけた。
玉座の間より離れた場所に小さな倉庫があった。そこはヴォーティガーンやその友人の隠れ家。幼き頃は良く隠れんぼに利用して、給仕の女性や使用人に怒られたものだ。その暗い一角に、ヴォーティガーンは座り込んでいた。その生気の無い彼の肩をアルトリアが掴んで揺さぶる。
「ヴォーティ……! このままで良いんですか」
応えは無い。アルトリアの青い瞳からポロポロと涙の滴が溢れ出す。
「私、嫌だよ……、立香をあんな人の手に置いたままになんて出来ないよ! ねえ、お願い。立って、……立ってよ、ヴォーティ!」
村正が片膝をつきながら、決意を口にする。
「俺は例えあいつが王様だったとしても、許せねぇ。許せるわけがねぇ! 立て、ヴォーティ……立香を取り返すんだ」
二人は必死にヴォーティガーンに呼び掛ける。あの場に居て何も出来なかった自分。――許せなかった。一族の中だけの窮屈な二人の世界。その先があるのだと教えてくれた大事な親友だったのに、あんなにも呆気なく失ってしまった。……彼女が何の為に、誰の為に立ち上がったのか。彼女の決意を無駄になんてしたくなかった。
「……す、るんだ」
黒い髪の青年の唇から小さな言葉が零れ落ちる。
「戦ってどうするんだ。あのギルガメッシュに勝ったとして、それで何が変わる……? 立香はもう戻らない……もう二度と彼女のあの輝きを見ることはないんだ」
「それは……そうだけど、……でも、でもっ!」
泣きじゃくるアルトリアが両手で顔を覆った。村正の掌に爪が食い込む。筋が浮き出るほど強く握りしめられたその拳が、地面に叩きつけられた。
「くそったれ!」
暗い室内に打撃の音が響いて――、それとは異なる音が続く。ギイと扉が微かに開いた。アルトリアと村正が身を翻して背面を見る。ヴォーティガーンは下を向いたまま、顔を上げなかった。
(どうでもいい。もう、……終わりたい)
その彼の思考は村正の「何しに来やがった!」という鋭い言葉にかき消された。
「彼と話がしたい」
暗闇に響く鈴の音のような声。その声に、のろのろとヴォーティガーンが視線を上げる。彼を守るように立つ二人の合間から、白いドレスが見えた。
玉座に座りながら、ギルガメッシュは一人扉を開けて外に出て行くハクノの後ろ姿を見つめる。彼女と入れ替わるように一人の男が広間に足を踏み入れた。
「……」
彼の足は、止まることなく広間の中央を過ぎ、そして玉座の階段をも上っていく。彼が歩くにつれ、その背に緋色の髪がユラユラと泳いだ。やがて、王の目の前にその男は立つ。静かな緑の瞳が王を見下ろしている。男の右手が上がり――、ガッという鈍い音が広間に響く。王の頬を殴りつけたその音を聞いたのは、王と、その男、そしてエルキドゥだけ。ジンと熱を帯びた拳を振りながら、ロマニは痛いと顔を顰めた。
「この国の宝とも言うべき美貌を殴りつけておきながら、なんだそれは。不敬に過ぎるぞ、貴様」
「避けようともしなかった癖に良く言うよ。……見てよ、真っ赤だ!」
ほらとロマニはその手の甲をギルガメッシュの鼻先に突きつける。ギルガメッシュは嫌そうにその手をはたき落とした。いたー!とロマニがその手を引っ込めて、ふうふうと息を吹きかけた。撫で摩りながら、ジロリと王を睨む。
「だったら最初から殴るでないわ、馬鹿者」
「そういう訳にはいかないだろ。ボクはあの子の兄なんだから」
「……」
沈黙し、瞳を伏せた王をロマニは許さなかった。
「この国が腐りきってしまう前に成すべきことを成さねばならない。その思いにボクも賛同したし、この選択に後悔も無い。けれど、――これは別だ。緋の一族の当主として、何よりもあの子を愛する家族の一人として、ボクは君を殴らなきゃいけなかった」
あの場、あの瞬間。ああするしかなかった。あれはきっと必然だった。でも、あの子の怯えた顔を、零した涙を、ロマニはその目に焼き付けた。あんな顔をさせてはいけなかった。例え、それがどんなに正しい選択だったとしても。
ギルガメッシュは真実を見通す緑の瞳を見ながら、この国の衰退具合にため息をついた。頼りない風貌の男が実のところ、賢者と呼ばれるほど才気溢れた者だと知っているのは極僅かだ。長き平穏は輝珠の輝きを鈍らせた。形骸化した議会。横行する一部の貴族の傲慢。見るに堪えないそれらをこの国の大地は許さなかった。年を追う毎に輝珠は石を持たずに生まれる者が増え始める。ここ百年の王宮の記録を確認したギルガメッシュとロマニ達は自分たちの終焉を確信した。手を打たねばと思えども、白の一族の腐敗が加速し、事態を悪化させていく。黒を捨て石と呼び、白の王を夢見た。そして、極めつけがハクノだった。白の王女なぞとんでもない。彼女は人工的に生み出された輝珠だった。彼女の両親、否、白の一族は、石を持って生まれなかった彼女を認めなかった。その幼い体に無理矢理、石を埋め込んだ。他人の石を埋め込まれた彼女の体は虚弱で、成人まで生きられるかどうか。そうまでして己の地位に縋るか、とギルガメッシュは唾棄した。
そして、あの日――ギルガメッシュが王になった日。
死ぬ前に子を産めと強要しようとしたハクノの両親にとうとう彼は怒りを爆発させた。その怒りはその場に居た者の目を焼き、館の一室を吹き飛ばした。彼の胸には恐ろしいほどの強い輝き。実に数百年ぶりの王の誕生だった。
白だけではない。どの色の一族も大なり小なりの悪心を抱えつつあった。輝珠という地位を、輝きを失うことを彼らは恐れていた。それこそが彼らの輝きを失わせる行為だと気づかずに。
自分たちは変わらなければならない――、ロマニ達は輝珠の未来を考えた。
「現状維持など生温い。変革を恐れた時点で我らに先は無い。前進する者のみにこそ未来は開かれる」
そう言い放ちながらも何処か覇気に欠けるギルガメッシュの様子にロマニは苦笑いを返す。伊達に幼馴染みはやっていない。立香の兄を自称するこの男が本当は一番傷ついている、と彼の周りの人間は気づいている。
(本人は決して認めないだろうけど……)
困った王様だとロマニが内心で呟いていると、エルキドゥが「ねぇ」と問いかける。
「あの黒の子は泣けると思うかい?」
その一言に、異口同音に緋色と黄金の兄は答えた。
「「殴ってでも泣かせる」」
緑の美青年は頷き、同意の笑顔を浮かべる。――その笑顔は立香が知るものよりももっとずっと、晴れやかなものだった。
ハクノは立香と同じ黄金の瞳をヴォーティガーンに向ける。
「君は古い言い伝えを知っているか。白の家に生まれた者ならば必ずその話を聞かされる」
その言葉にヴォーティガーンは自分の記憶の引き出しを引っ張り出してみるが、心当たりは無い。そして、すぐにあの両親が白の一族の教えを自分に伝えるはずも無いなと思い至る。申し訳なさそうにハクノを見上げるヴォーティガーンだったが、彼女は優しく|眦《まなじり》を緩ませ、大丈夫だと口にする。そして、小さな弟妹に教えるように唄を諳んじた。
【色を持たぬ我ら、世界に彩をもたらすことは出来ねども。我らの涙で世界を癒そう。忘れる事なかれ、我らの涙を。忘れる事なかれ、我らの輝きを】
何故の白の一族が輝珠の中で特別であったのか。それは石となってしまった輝珠を復活させることが出来る唯一の癒やし手だったからだと彼女は言う。死者蘇生――三人は絶句した。同じ表情で口を開ける三人にハクノは面白そうに笑う。その屈託の無い笑みに毒気を抜かれたアルトリアと村正は、ぺたんと地面に座り込んだ。二人に倣うようにハクノもヴォーティガーン達の前にしゃがみ込む。凄い力だが、と前置きして彼女は話を続けた。
「私たちが流す涙は私たちの輝きを曇らせる。それは等価交換……無限なものじゃない。平和な時代が続くにつれ、自らの輝きを失うことを恐れた白は涙を忘れてしまった。――唄だけが残った。もはや白の一族に涙を流せる者はいない。ご先祖様はさぞお嘆きだろう。あんなに忘れるなと教えてくれているのにな。けれど、私たちはそうなんだ。忘れてしまったとしても、きっと私たちはそうなんだ」
「それからギル、……ギルガメッシュ王の事だけど。彼の行いを正当化するつもりは無い。だが、彼は悪では無い。悪ではないんだ」
ハクノはギルガメッシュは裁定者だと言った。
「彼は見定めている。私達が何を思い、何を選び取ろうとするのか。――だから、私はここに来た。私がこうすべきだと信じ、こうしたいと願ったから。
黒、君は何を思い、何を願う? 私はその答えを聞きたい」
緊張の為、カラカラになった口を必死に動かしてヴォーティガーンは願いを口にする。叶えたい、たった一つの願い。
「立香に逢いたい」
ハクノは頷き、その願いの為にもしかしたら、君はそのダイヤモンドの輝きすら失うかもしれない。それでもか?と彼にもう一度尋ねた。ハクノ言葉に、幼馴染みの二人は小さく息を飲んだが、ヴォーティガーンはそんなことかと笑みを浮かべた。
「黒でも、黒で無くなっても……、立香以上に俺にとって大切なことは無いんだ」
ヴォーティガーンは言い切った自身の言葉に安堵し、大きく息を吐きだす。ずっと胸の中にあった大きなモノを吐きだすようなため息だった。自分で言ったことなのに、と彼は不思議に思う。
(あ、そうか。……俺はずっとそう言いたかったのか)
クリアになった思考と視界。彼は漸くハクノを真っすぐに見つめ返すことが出来た。強い意志が宿ったその瞳に、ハクノは柔らかい微笑みを返す。その笑みに安堵したような、そんな空気を感じた。
「……良かった。これは無駄にならないみたいだ」
彼女は両手に持っていた箱を彼に差し出した。古めかしい意匠のそれを不思議そうに受け取ったヴォーティガーンは、手に取った瞬間、ハッと目を見開く。
「こ、れは、」
ヴォーティガーンのその様子にアルトリアと村正が互いの手を強く握った。祈るような視線が彼に向けられる。震える手でヴォーティガーンがその蓋を開けば、何処かもの悲しいメロディが部屋の中に広がった。それは大きなオルゴール。その箱の中にはシリンダーと……。
機械仕掛けの歌が流れる中、ひとしずくの涙が零れ落ちる。それは、世界で一番美しい緋色の石の上で弾けて、――夜空の星のように煌めいた。